第69話

文字数 1,396文字

「あっ、池上じゃ。変わっとらんな。」
薄暗い会場にはアルバイトの警備員が既に配置されていた。客席に不審物がないか、不審者の侵入がないか見て回っていた。しかし、アルバイトが初めから不審者であることだってあるのだ。警備員姿のダニーは薄暗いところから、眩しいステージの方を見ていた。作戦実行の機会に恵まれた。暗い中で誰にも気づかれず、そっと近づくことができる。椅子の輪郭がずらりと並ぶ大きな会場、息を殺して、実行方法を頭の中で何度も繰り返す。暗い海の回遊魚のように会場内を動き回れるが、それは今だけである。いいねを持った連中が席につくと簡単には動けなくなる。規制線の内側に入る資格がある警備員の制服、初めから近くにいると怪しまれる。実行後に逃げないといけない。捕まったら、指示を受けたことを喋ってしまうに違いない。そんなことになれば、自分のことをちゃんと評価してくれたあの人を裏切ることになる。評価、期待に対して応えないといけない。人から与えられた目的を持って生きるということが、これほどまでに楽であることがよく解った。自分が決めた目的を果たすために生きるのは責任が伴うが、誰かに評価されるとは限らない。だが、人から言われた目的は、果たせば必ず評価される。自分の行動が評価と交換される。すると、行動に意味が生じる。自分発の行動は、評価されなければ、世間的には全く意味がない。評価を得るということは、生きている意味を身につけるということなんだろう。人は世界を作るために生産に追いやられているようだが、実際のところは、何かして評価されないと、存在することができない。会社に勤めたことはないが、会社員とかは雇用されることで、仕事を振られることで、存在意義を証明することになる。社会に出ず、自分の意味を高めるために生産ではなく消費に意味を求めていたが、そんなのは誰も認めなかった。だから、自分の人生には人からの全く評価がなく、意味がなかった。しかし、渋谷血祭り事件を起こすことによって、存在を世間に知られた。全くもって迷惑な犯罪者に違いないが、自分の存在が世間に放たれた。刑務所にいるときは、刑務所内だけの認知だと思ったが、出所すると、世間が自分がしたことを覚えていてくれた。存在を知っていてくれた。自分が世界に存在していたことを認識していた。実の所、それは本当に嬉しかった。何もせずに自分は誰からも知られず、もしくはいなかったものとして扱われるのだろうと思っていたけど、行動を起こすことによって、存在の永久的凍結から抜け出すことができた。批判は多いだろうが、世間にダニーという存在を犯罪によって認めさせていたのだ。
「じゃが、わしは犯罪者じゃ終わんけえの、正義の鉄槌を見せてやるんじゃ!評価を変えるんじゃ!あいつを殺してわしは英雄になるんじゃ!」
ダニーはすっかり決心を固めていた。言われた殺人を実行することによって、指示者からの評価を得て、その評価が世間に認められると信じていた。これまではただの穀潰し、孤独な消費者、もしくは失敗した犯罪者に過ぎなかった自分が評価を得ることによって、その評価を増やしてくれる人に託し、世間からの大きな評価、英雄になるんだ。「あいつは立派な奴じゃけえね。」と皆に言わせてやるんだ。特別な存在になるんだ。ダニーは殺人のあとにやってくる輝かしい未来を思い、自分を奮い立たせていた。
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