第55話

文字数 1,138文字

「茶谷雄介さんですか?」
きっちりとした背広姿、鋭いような冷たい目つきのがっちりした体格の男が話しかけてきた。顔を覚えようにも、辿るのが難しいほど、個性や特徴を、表情や仕草なんかで、ずらしている。それに、どうみてもこれから風俗にいくような雰囲気はない。ダニーは頭の中の殺人を見られたのではないかと少し緊張した。
「わしは、なんも、悪いことはしとらんよ?」
ダニーは緊張で方言が出る。すると男はダニーの肩に手を伸ばした。ダニーは目を瞑ることなく、ダブルドラゴンに教えてもらったように、その手を瞬時に叩き落として、叩いた右手側に一歩斜め前に出て、そのまま逃走した。逃げられたと思ったが、もう一人が待機していた。道を塞がれ、後ろからも、さっきの男が近づく。
「うまい逃げ方ですね。練習しました?」
人通りが多いところで小競り合いが始まると、行き交う人の速度が遅くなる。人だかりが出来つつある。これだけいれば暴力はないだろう。
「何のようだ?」
強気でダニーが出ると、正面の一人が目の前からいなくなった。その後、頭に衝撃が走る。蹴られたのだろう。視界がチカチカと揺めき、景色が歪んでいく。重い痛みが頭の中を駆け巡る。
「おい、見せもんじゃねーぞ!」
大声で一括、ざわめきが一瞬消えた。助けようとする人は全くおらず、人だかりは一定の距離を空ける。そこに大きなバンがやってきて、ダニーは連れ込まれた。

沢田賢治は家にいた。明日、ひめにゃんの代々木体育館でのステージを前に、リハーサルとか、音合わせとかしているが、沢田賢治は、ひめにゃんの中身は、あかりもついてない暗い部屋でぼんやり光るスマホを握りしめていた。中身であることをスタッフに知られてはならないと、ステージ関連には出入り禁止となっていた。一応、設置された遠隔カメラで、ステージの準備の様子を見ることはできるが、触ることも、そこに入ることも禁止されていた。自分が作ったはずの世界から、自分だけが追い出されていた。ガラスケースに閉じ込められた自分の魂を、触ることも出来ずに、じっと眺める状況は、まるで自分の死、そのもののように感じられた。
(あの衣装は、僕の中にあったものなんだ。あの、ひめにゃんのキャラクターは自分が想像し、創造したものなんだ。ひめにゃんが人気を得たアニメや古い車の知識は、僕の中にあった知識なのに!僕の考えが、みんなに受け入れられて、いいねと評価されたに違いないのに、なんで、僕だけがいないんだ!)
「賢治、あんた、すっかり吸い取られたね。でも、いいじゃない。お金はがっぽりよ。」
家に帰ってきた綾子が明かりをつけた。綾子はすっかり身綺麗な格好になっていた。紙袋から新しい鞄を取り出しながら、何かツマラナイものでもみるかのように、顔を顰めた
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