第20話

文字数 1,177文字

若草は薄い青色が立ち込める早朝の街を颯爽と歩く。その姿には希望のようなものが見えてくる。刑務所の中でもそうだった。若草はいつも全身から希望が満ちているようなのだ。何か余裕があり、優雅であり、和やかな表情を浮かべ相手を見るときの目元はどこかほんの少しだけ寂しそうな光がある。すでに何も持ってないダニーは、その姿に強烈に惹きつけられる。シャッターの閉まった風俗街は静まりかえっている。二人の足音が微かに響いている。
「朝は、いいな。だって始まるだけだからな。空気だって、一回リセットされたみたいに、綺麗な気がする。なんでか分かるかい?」
「いいえ、考えたこともないです。」
ダニーは朝が嫌いだった。一日が始まってしまうからだ。あの退屈で、逃れられない一日。何かを食わなきゃならない一日。眠たくないのに眠いと思わないといけない一日。見たくもない漫画を見る一日。無駄な一日。それが強制的に始まる瞬間なんて見たくもないのだ。
「夜明け前が、一番冷え切っているんだ。だから、空気が冷たく硬いんだ。新品の本を開く前のような緊張と感動があるだろ?はじまりの直前って、いいじゃないか!」
ダニーは熱弁振るう若草に引き込まれそうになっているが、そのセリフに賛同は出来ないでいた。期待して始まったことなんて、生涯に一度だってない。もしかしたら小さいことにそういったことがあったかもしれないが、すっかり忘れてしまっている。
「ダニーは始まりとか嫌いらしいな。まあ、それは人それぞれだから、いいよ。それよりさあ、ダニーは池上アキラと知り合いだよね?」
その名前が若草から出ると思ってなかったダニーは、一瞬、頭の中が固まった。
「えっ、はい。池上アキラは、消費者団で一緒でした。一緒に殺人鬼から逃げた仲間です。」
「そうか、仲間か。でも、今は関係が途切れている。」
「はい。十年は会ってません。」
「仲間なのに、刑務所から出てきても知らんふりされているけど、それはなぜだか分かるかい?」
「それは、あいつは成功したから、俺みたいな犯罪者とは近づきたくないんでしょう。」
「そう、せっかくの評価が下がるからねえ。」
若草はまっすぐダニーを見つめて、凍えるような声で真っ直ぐ言った。ダニーは若草の言葉に少し恐怖を覚えた。朝なのに、光が失われていくような不安定さを感じる。
「でも、それは、自分だって同じ立場になれば、そうします。」
「仲間を都合が悪いからって、捨てるのかい?ダニーはそんな奴じゃないだろ?刑務所で一緒の時、君は、俺に対して親切で紳士だったよ。だから出所しても、こうして会いに来たんだ。信用しているからね。」
若草はさっきまでの冷たい雰囲気を捨てて、朝日が当たる顔を笑顔にした。ダニーは若草の顔をじっと見て、目を離すことができなかった。
「ありがとうございます。そんなこと言ってくれるの、若草さんだけです。」
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