第67話

文字数 1,206文字

寧は慌ただしく準備される会場の空気に包まれると、急に怖くなってきた。自分が人前に出るわけではない、ひめにゃんというキャラクターとして人前に出るのだが、自分がひめにゃんではなく、長原寧と気がつかれたら、これまで溜まった人の評価「いいね」が吹き飛んで、それどころか、裏返って「よくないね」にガラリと変わってしまうのではないか?と怖くなってきた。いいねを集めて、取引して、何かをしようとしている若草の計画を吹き飛ばし、池上の築いてきた社会的信用を無くし、巻き込み事故にあった状況となるヒマキンの顎が突き出しすぎて外れてしまう。
「どうしよう?」
思わず小さな声が漏れてしまう。誰かに拾って欲しい声だが、誰にも聞かれてはならない声。評価を背負うとは、ものすごい重圧を抱えてしまうことを今更ながら実感した。期待を集めたからには、裏切るわけにはいかない。期待に応えたいという思いもあるが、それ以上に、期待が、失望へ、失望が悪意へ、悪意が憎悪に変わっていくのが怖い。人気者が嫌われ者になり、捨てられ、無視され、無かったことにされる。
「ヒマキンさん、入りました!」
スタッフの一人が声を上げた。スタッフのほとんどが作業の手を止めて「お疲れ様です!」とか「おはようございます」と歓迎の挨拶をし、拍手が生まれる。ヒマキンは誠実な雰囲気で、恐縮した様子で会釈をしながら会場に入ってくる。誰にも嫌われないという心構えができている。ヒマキンは頭を下げつつ、ステージの方に近づいてくる。寧は大勢の中で敬意を集めるヒマキンを見て、顎だしと馬鹿にしていた自分が急に恥ずかしくなってきた。あの人は、自分と違って特別な人なのだ。そう思ってしまう。寧は近づくヒマキンに胸の鼓動を高めた。別に好きでもないが、周りから大事にされている人が自分に近づいてくる状況に飲み込まれてしまう。特別な存在とは、周囲が作るのだろう。周囲に取り囲まれて、特別な存在は権威をまとい、別格になっていく。寧は緊張して、ヒマキンの存在に飲まれようとした。
「お疲れ様です。タクミさん昨日はありがとう。」
「えっ、こちらこそありがとうございます。」
 ヒマキンは寧を通り過ぎて、タクミに挨拶をしにいった。寧は通り過ぎるヒマキンにホッとしたし、イラッともした。ヒマキンは取り止めもない設営中のステージの感想をタクミに話し、タクミは笑顔をそれを受けていた。表面上はなんでもない会話だが、そこには緊張感があった。寧はそれを察した。二人になにかあったのだろうか?でも、それは触れない方がいい。今、二人に嫌われてしまったら、ステージに立てなくなる。
「はーきゅいーん!」
大きな声でひめにゃんあいさつが聞こえた。周囲から笑いが漏れる。
「若草さん、池上さんが入りました!」
スタッフの一人が半笑いで声を上げた。愉快な若草はここでも人気者だった。穏やかな様子の池上も一目置かれている。スタッフの歓迎の拍手が響く。
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