第66話

文字数 1,203文字

「・・・分かった。もう、俺の思っている場所じゃないんだ。誰にも言わないでほしいけど、俺は、そう考えるのが嫌だ。チームとか集団で何かをするってのが、嫌いだから表現者になったんだ。一人で発想して、一人で表現して、一人で発信できる。人と関わるのが煩わしいから、この道を選んだんだ。で、それが正しい選択と証明するために頑張ってきたんだ。でも、正しくなかったってことだ。結局は大きな波に飲まれてしまう。大勢の中の一人にされようとするんだ。なんか、悔しいよ。」
タクミはヒマキンが芦田宏明になったことを目の当たりにした。自分が自分でいるために、たった一人で戦ってきたのだと、その男が敗北を突きつけられたように項垂れているのを目撃してしまった。タクミは芦田宏明という人間の純情にひどく焦がれた。あんなに素直で真っ直ぐだから、あれだけの評価を得たんだと改めて思い知らされた。
「でも、明日は、タクミくんが言うようにするよ。その後は考えたい。」
「何を考えるんですか?」
「今後のことだよ。時代が変わってしまったことを理解しないといけない。その中で自分ができることをするんだ。」
「後進の指導、プロデューサーになりますか?」
「いや、後進に対して、徹底的に邪魔をする。死んでもキングは降りない。」

「寧さん、昨日の夜、ヒマキンさんがスタジオに来てたんだ。」
「えっ、何しに来たんですか?」
「寧さんのこと、見に来たんだよ。人気に嫉妬しているのかもね。」
「まさか、顎だしがそんなことないでしょ?あの人は人気の化け物ですよ。」
「だからだよ。秀でている人は、色々と細かいからね。でも、脇役に徹してくださいってお願いしておいたよ。それは了解だって。」
観客がいないステージに向けての一回目のリハーサルを終えていた。一時間休憩後にもう一回通しでリハーサルを行う。プレゼンター役は代理がしている。ヒマキンは二行のセリフを読むだけだから本番にしか来ない。
寧は大きな体育館の中、中央のステージに立って周りを見渡す。薄暗い会場には椅子が並べられている。天井は高く、音が響いている。ステージの床は思った以上に柔らかく撓んでいる。客席から見れば、それは立派なステージに見えるだろうけど、そのステージとは、突貫工事で作ったハリボテに他ならない。木枠にベニア板を貼って、そこにカラーシートを貼り付けていある。でも、遠くから見たら歴史ある宮殿の舞台と同じ価値があるようなステージに見えてしまう。ステージの装飾物だって、遠くから見たら歴史遺産と遜色ない価値のある造作物に見えてしまうが、実際は近くで見ると薄っぺらい紙とか、腰のない布だったり、明日には廃棄物になる木端の塊に違いないのだ。ハリボテステージの実情を間近に見ると、それが今の自分に相応しいと寧は素直に思ってしまった。嘘、熱狂、過大評価によって事実は捻じ曲げられ、なんでもないものが、大したものに変わってしまうのだ。
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