第70話

文字数 1,224文字

「おい、バイト、なんかあったか?」
リーダー警備員がダニーの独り言に気がついた。ダニーは一瞬ヒヤリとしたが、まだ何もしてないのだからと、堂々とした態度で返答する。
「声出し確認です。不審物ナシ!安全ヨシ!」
「声出すな。ひめにゃんが歌ってるの邪魔すんな!」
 少し怒り気味のリーダーはひめにゃんのファンだった。ダニーは着飾った紫色の髪の毛をつけた女の子を見て、なんであんなのが人気があるんだろうと素直に思った。タレント活動の人気とは、評価とは、根拠がないのだろう。どう考えても虚なのだ。その点、俺は違う。世間を驚かせ、今度は、世間を救うのだ!今回のリハーサルで、実行するタイミングは理解した。頭の中で繰り返す。よく知った顔を確認し、後ろからドン。それで終わる。逃げ道はステージ裏の通路を通って、階段を降りて、非常口から外に出る。ダニーは作戦の成功をイメージし集中する。何度も頭の中でターゲットを殺す、殺す、殺す。

 会場の外、八月の夕暮れは蒸し暑い。熱された空気が固まりとなって漂っている。そこには既に行列ができている。いいねをたくさん持った特別な人たちが、行儀良く列を作っていて、そのほとんどがスマホ片手にライブ実況をしている。
 「今日は、ひめにゃんのライブに来ています!待ってる人たちは、いいね!をたくさん持った特別な方で溢れています。まあ、私、シーアールテーもその一人ですが、おや、あそこにはマニョさんがいます。パッキーと一緒です。手を振ってみましょう!」
 「どうも、富士山冨士夫です。左傾化する国家を憂うあまりに、今日は視察に参りました。私は、いいね上位二十八番です。日頃の行いが評価につながっております。さて、三国人が来てないかチェックしていきますね。」
 「ひめにゃーん!俺はお前が好きだ〜!でも、お前は俺のことを知らない!そんな一方通行を解消させるために来ました!代々木体育館です!にしても、うっせーな!」
 「ヒマキンのことを一目見たいんです。ひめにゃんとかどーでもです。」
 あちこちで独り言が始まっている。表現者は繋がりがない。今日は本人しか来てはいけないから、スタッフ連れが出来ない。でも、元々は一人で始めた人ばかりだから、初心に戻ったように少し緊張気味だけど、一人実況をうまくこなしている。そんな光景を見ようと列の外側にも多くの人が訪れて、とても混雑している。
 「本当だったら、僕がステージに立っていたのに!」
 「そうよね。お母さんも悔しい。」
 沢田親子が人混みに紛れて様子を見ていた。二人とも大きな紙袋を下げている。どこかに入り込む隙がないかと、あちこちに目をやっていたが、このお祭り騒ぎの原因がひめにゃんであることが、どうしても悔しかった。列のロープには警備員が立ち並び、一般の侵入者を許さないでいた。いいねを持った八千人と持たないその他大勢。夕暮れの熱風と人の熱気で代々木体育館の周辺は温度上昇して、集団の意識も茹で上がりつつあった。
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