第49話 王族殺し1

文字数 1,237文字

フーシェの言うように、王党派の犯行であったか。しかし、カドゥーダルのような小物を処刑しただけでは、腹の虫が治まらないな。なんといっても、俺は、フランスの第一執政だからな。終身の。


なんとかして、この落とし前をつけないといかん。

[スパイ]


処刑されたカドゥーダルは、イギリスに逃亡していた際、アルトワ伯の近くに居住していました。



*ルイ16世の下の弟。後のシャルル10世

 ブログ「シャルル10世」

黒幕は、かつての王弟たちか!

[外務大臣タレーラン]*


いいえ。アルトワ伯は臆病者ですし、その兄のプロヴァンス伯**は、痛風病みの上、太り過ぎて、ワルシャワから動けません。



ブログ「タレイラン」

**後のルイ18世。アレクサンドルの父、故パーヴェル帝にミタウ(ロシア)を追われた彼は、姪のマリー・テレーズ(アントワネットの娘)とともに、彼女の友人であるプロイセン王妃ルイーゼを頼って、ワルシャワに来ていた。(「プロイセンへの接近」参照)

 ブログ「ルイ18世」

コンデ公はどうだ。革命時代、我々軍人は、亡命貴族軍には悩まされたものだ。



*コンデ家は、ブルボン家の傍流。フランス革命で、取る物も取らずに国を出た亡命貴族(エミグレ)たちは、コンデ公の元に集まり、亡命貴族軍を結成、オーストリアなど、諸外国軍に援助を求めた。従って、革命に賛同し、国内に残った貴族出身の将校には、自らの身内と戦う羽目になった者もいる。

革命期のコンデ公(下の画像)は、息子のブルボン伯、孫のアンギャン公とともに、亡命貴族軍を率いた。

コンデ公は年寄りです。彼は、息子のブルボン公とともに、イギリスへ渡ってしまいました。

むしろ……



※1801.2 リュネビルの講和でフランスとオーストリアの和約、同年5月、亡命貴族軍解散

むしろ?
孫のアンギャン公を、疑うべきでしょう。
革命戦争時代から、快活なアンギャン公(下の画像)は、軍のムードメーカー的な存在だった。その人柄と勇敢さは、敵方の革命軍からも賞賛の声が上がっていた。


王党派においては、

太り過ぎて一人では立てないほどのプロヴァンス公(後のルイ18世)や、

陰謀好きなくせに臆病なアルトワ伯(シャルル10世)ら、

ルイ16世の弟二人を差し置いて、ブルボン一族で、一番、王にふさわしいとされている人物だった。

アンギャン公は、バーデン領内のエテンハイムに亡命しています。



*エテンハイムは、ロアン大司教(アントワネットの首飾り事件で有名)の居住地。アンギャン公は、大司教の姪、5歳年上のシャルロットと結婚したばかり。それで、祖父と父はイギリスに渡ったが、彼は、この地に残った。家長である祖父コンデ大公は、シャルロットとの結婚に猛反対していた

ライン河の対岸じゃないか! フランスとの国境のすぐ近くだ!



※この辺りでは、革命戦争時代、ライン・モーゼル軍が戦っていた

 当時、フランス亡命貴族は、格段に反抗心のある者以外は、帰国を許されていた。しかし、王族は許されていない。

非常に怪しいと存じます。
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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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