おまけ 革命戦争とは何か 2

文字数 1,124文字

1796年。フランスのカルノーは、3方向からのウィーン攻略を命じた。



ライン地方の2つの軍は、オーストリアのカール大公により、ライン川西側へ押し戻された。

10話「ライン防衛」参照



一方、イタリア軍は快進撃を続け、ついに、ウィーン近郊まで迫った。

16話「タリアメントの戦い」参照




フランスのイタリア遠征軍は北へ進軍し、オーストリアの領土に入った。ところが、総司令官ボナパルトから停戦が提案され、やがてそれが、カンポ・フォルミオ条約として結実する。



[オーストリアの不満]


イタリアと、ベルギーの領土を、フランスに取られてしまった……。



[ロシアの不満]


フランスのイタリア進出とイオニア諸島占領は、ロシアが黒海から地中海へ出る邪魔になる。


ナポレオンがエジプトへ行く途中に、マルタ騎士団のマルタ島を占拠されてしまった。

[トルコの不満]


エジプト遠征に来たナポレオンが、シリア方面へ攻め込んで来た。

[イギリスの不満]


フランスが地中海に目を向け、インドからイギリスへの補給路を絶とうとしている。さらに、フランスがベルギーを手に入れたことにより、北海も安全ではなくなった。

(以上、23話「諸国の思惑・カール大公の恋」参照)






こうして、1798年末、これらの国々が中心となって、第二回対仏大同盟が結ばれた。




翌年4月、ロシアのスヴォロフ将軍が、オーストリア・ロシア軍を指揮して、ミラノでフランス軍を制圧、トリノ、マントヴァ、アレッサンドリアなど、次々と掌中に収めた。フランス軍は、ジェノヴァへ撤退した。

35話「鬼の居ぬ間に」




これに対し、エジプトから帰国したナポレオンが、ブリュメールのクーデターで権力を掌握してすぐ、マレンゴで勝利する

33話「ブリュメールのクーデター」

36話「マレンゴの戦い」




また、ライン地方では、モロー軍が、オーストリアのヨーゼフ大公に勝利した。

37話「ホーエンリンデンの戦い」




連合国の足並みは揃わず、1800年、ロシアは大同盟を離脱する。






フランスは、オーストリアとリュネヴィル条約(1801.2.9)を結び、イギリスともアミアン条約(1802.3.25)を結んだ。



(フランスの同盟国スペインの侵略を受けていたポルトガルも、5月に和平を結んだ)



こうして、ヨーロッパに、(一応の)平和が訪れた。

→次の「終身第一執政へ」






なぜ、ナポレオンだったのか。革命期には、イケメン将軍はいなかったのか。その探究に手間取っておりまして、少し遅れますが、この後、ブログで、革命戦争について、もう少し詳しく、ご説明いたします。


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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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