おまけ 革命戦争とは何か 2
文字数 1,124文字
ライン地方の2つの軍は、オーストリアのカール大公により、ライン川西側へ押し戻された。
一方、イタリア軍は快進撃を続け、ついに、ウィーン近郊まで迫った。
フランスのイタリア遠征軍は北へ進軍し、オーストリアの領土に入った。ところが、総司令官ボナパルトから停戦が提案され、やがてそれが、カンポ・フォルミオ条約として結実する。
こうして、1798年末、これらの国々が中心となって、第二回対仏大同盟が結ばれた。
翌年4月、ロシアのスヴォロフ将軍が、オーストリア・ロシア軍を指揮して、ミラノでフランス軍を制圧、トリノ、マントヴァ、アレッサンドリアなど、次々と掌中に収めた。フランス軍は、ジェノヴァへ撤退した。
これに対し、エジプトから帰国したナポレオンが、ブリュメールのクーデターで権力を掌握してすぐ、マレンゴで勝利する
また、ライン地方では、モロー軍が、オーストリアのヨーゼフ大公に勝利した。
連合国の足並みは揃わず、1800年、ロシアは大同盟を離脱する。
フランスは、オーストリアとリュネヴィル条約(1801.2.9)を結び、イギリスともアミアン条約(1802.3.25)を結んだ。
(フランスの同盟国スペインの侵略を受けていたポルトガルも、5月に和平を結んだ)
こうして、ヨーロッパに、(一応の)平和が訪れた。
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