第16話 タリアメントの戦い

文字数 1,274文字

1797年3月。

皇帝フランツの弟、カール大公は、敗戦の続くイタリアに投入された。



*前年終わりまで、ライン方面で、ジュールダン軍・モロー軍と戦っていた。「ライン防衛」参照






この報を受け、イタリアにいるナポレオン軍は、ブレンナー峠を越えてチロルから進軍してくるオーストリア軍に対抗するため、左翼を精鋭部隊で固める必要があった。



フランス本国から派遣されたのは、ベルナドット将軍率いる支援軍である。



ブログ「ベルナドット1」~


一方、カール大公のオーストリア軍には時間がなかった。

峠から雪が消えれば、下からフランス軍が進軍してくる。

オーストリア軍は、タリアメント川に沿って布陣していた。

川は雪解け水に溢れ、危険な状態になっている。

3月16日午後、ナポレオンが、意表をついて攻撃に出た。


すぐに、ベルナドット軍が浅瀬を渡り、対岸のオーストリア軍に奇襲をかけた。

突然の奇襲に、オーストリア軍は、浮き足立った。

オーストリア軍は、傭兵の集まりだ。

彼らには、命を捨ててまで戦う理由がない。


兵達は、我先にと逃亡を始めた。


フランス軍は、カール大公軍を追いやり、タリアメント河を越えて、オーストリア領内に侵攻した。



[カール大公]



(報告書)

懇願も報償も脅しも、潰走する烏合の衆の前には無益でした。


兄上、フランスと講和を!

この戦いを含め、ナポレオン軍はオーストリア軍を3度撃退、オーストリア領を行軍し続けた。



ナポレオンのフランス軍は、レオ―ベンまで迫っていた。ウィーンまで8日ところである。
[オーストリア皇帝フランツ]


負けは認められない。

ウィーンに防衛体制を敷かなければ。

それなのに、民衆は消極的であるばかりか、反抗的ですらある

時間が足りない!

絶体絶命だった。

ところが……。

[ナポレオン]


(イタリアから)


人類社会の利益のために、オーストリアは休戦に応じられたし。


オーストリアは、レオ―ベン条約を受け容れ、ベルギー、ルクセンブルクなどとともに、ロンバルディア(北イタリア)をフランスに譲渡した。


また、ライン左岸を巡っても、交渉を継続する約束を呑まされた。ドイツ問題解決の為、後日、ラシュタット会議が持たれることになった。



※半年後に、カンポ・フォルミオ講和条約として、再確認される。

[ロシア パーヴェル1世]



(半年後)

カンポ・フォルミオ? なんだそれは。

[ロシア高官]


これにより、フランスは、イオニア諸島を獲得しました。イオニア諸島は、アドリア海の入り口に位置します。

というと?
フランス革命軍は、イタリアに進軍、オーストリアから領土の多くをもぎ取りました。イタリア、イオニア諸島と抑えられては、ロシアの地中海進出の障害となります。
えーと、
モスクワから南下すれば、すく、黒海です。我々は、黒海から地中海に出るのですから!
うむ、その通りだ。地中海は、ロシアのものなのだ!
おのれ、フランスめ~~~!!!




順に、

・カール大公からフランツ帝への報告

・フランツ帝がカール大公に書いた手紙

・ナポレオンがウィーンに送った書状

より抜粋

(『マリー・ルイーゼ』アラン・パーマー[岸本完司・訳])


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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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