おまけ 革命戦争とは何か 1

文字数 1,652文字

ブリュメールのクーデターの後、ナポレオンが出した宣言により、フランス革命は終結したことになっています。


フランス革命については、39話の後の、「おまけ 革命の流れ」で、簡単にまとめてみました。



ここでは、革命戦争とはどういうものだったか、簡単にみてみたいと思います。



例によってご存じの方は、飛ばして、先へお進み下さい。



33話「ブリュメールのクーデター」

1791年8月、オーストリアのレオポルド2世と、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が、ピルニッツ宣言を出した。これに対し、フランスは、オーストリアに宣戦布告(92.4.20)、後に、プロイセンやドイツ諸邦も参加し、革命戦争が始まった。

[議会](92.7.11)


祖国は危機にあり!!

[フランスの革命家]



革命の成果を、世界に広げよう! 王や諸侯に支配されている、かわいそうな外国の民を救おう!

国会宣言を受け、市民による義勇兵が集まった。

マルセイユからやってきた兵士たちが「ラ・マルセイエーズ」を歌ったのはこの頃である。



が、軍には当時、彼らを指導できる将校が、圧倒的に少なかった。貴族の将校の多くが、国外逃亡していたからである。(あまつさえ、彼らは、亡命貴族軍として、革命政府に立ち向かってきた)



特に東の国境付近では、深刻な混乱が生じた。ロンウィ要塞(8.23)、ヴェルダン要塞(9.1)が、相次いで破られる。



(国境等は、現在のものです。以下同)

ところが……。
[プロイセン軍将校]


なんだあれは! こちらがいくら攻撃しても、立ち向かってくるぞ!

まるで、*狂信者か殉教者の軍隊だ!



*『物語 フランス革命』安達正勝

ヴェルダンから1ヶ月弱、ヴァルミーの戦い(92.9.20)で、フランス軍は、プロイセン軍に勝利する。ぼろぼろの衣服を着た、昨日まで鋤や鍬を持っていたような義勇軍が、当時最強の精鋭部隊(と考えられていた)プロイセン軍を破った。
[ゲーテ]


(主君であるヴァイマル大公について、同盟軍として参戦していた)



この場所から、この日から、世界史の新しい時代が始まる。



*引用:『ナポレオン戦争』マイク・ラポート[楠田悠貴]白水社


続いて、ジェマップ(92.11.6)で、フランス軍はオーストリア軍に勝利、低地地方(ベルギーやオランダの南)進出への足掛かりをつかむ。


[ダントン](1793.1)


「フランスの国境は、自然によって印づけられており、それは地平の四方の果てまで達するだろう。すなわち、ライン川、海、アルプス山脈である」



*『ナポレオン戦争』マイク・ラポート[楠田悠貴]

ダントンのこの宣言により、フランスの国境が定められた。


下の地図、赤紫の辺りを、フランス軍は、侵略し始めた。

フランスの低地地方(ベルギー、オランダ南部)侵略と、ルイ16世の処刑(1793.1.21)を危機と感じ、オーストリア・プロイセン・イギリス・スペイン・オランダなどにより、第一回対仏大同盟が結成される(2.13)。



この頃、生活苦から、ヴァンデやトゥーロン、リヨンなどでも、蜂起が起きる。

絶対的な支配力が求められる中、ジャコバン派が台頭してくる。



93年8月、総動員法施行。これにより、再び、フランス軍は、兵士の確保に成功する。

フランス軍の勝利は、数の勝利ともいわれる。



94年7月、フランス軍は、フルリュス(ベルギー)で、オーストリアに大きな勝利を収める。

この間、ライン河の南寄り(上流)でも、フランス軍は、遮二無二、進軍していた。



だが、95年。


・フランスとの戦争にそもそも乗り気でなかったプロイセンは、ポーランド分割に力を入れる為、フランスと、講和を結んだ。


・それにつれて、ドイツ諸邦も、次々と、フランスに和議を申し込む。


・スペインも講和条約に調印。


・低地地方のオーストリア領では、ネーデルランドが、初の、フランスの「姉妹共和国(傀儡国家)」になる。また、ベルギーは、正式にフランスに併合された。



かくして大同盟軍で残ったのは、オーストリア(と、海の向こうのイギリス)だけになった。


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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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