幕間 束の間の平和 ①

文字数 1,053文字

10年にも及ぶ革命戦争*は、ようやく終わったかのように見えた。

エジプト遠征組も徐々に帰還し、人々は束の間の平和を楽しんだ



*後述

 ブログ「フランス革命戦争 1」

[ダヴー]


やった! ご褒美を貰った!

俺は、ドイツでもエジプトでも頑張ったからな

努力が報われたんだ。

[ルクレール]*


おめでとう、ダヴー。

妹をよろしく頼む



9話「イタリア遠征」、初出

ルクレール義兄さん(くすぐったい)


義兄さんには、俺の奥さん(エメ)の他に、まだ姉妹がいらっしゃるでしょ?

俺の同僚のフリアンを紹介します。彼はエジプトで大活躍したんですよ! 俺たちは同じドゼ師団でした(誇り)! もちろん俺の方が遥かに格上ですが。

フリアンは後に、ダヴー第三軍団の第二師団を任される。

ちなみに、第一師団を任されたのは、同じくエジプトでドゼ師団にいたモランだった



※第二師団はギュダン。彼はエジプト遠征には参加していない

へえ。珍しいね、君が友人を紹介してくるなんて。
それは、ですね。フリアンは、エジプトで俺と仲良くしてくれたんです。

ドゼ将軍以外に、俺とまともに口をきいてくれたのは、フリアンだけです!(きっぱり)



*ダヴーファンの皆さん、怒らないで。私の小説の設定によります。

 ライン・モーゼル軍編「負けないダヴーの作り方」

 エジプト遠征編「汝、救えるものを救え『逃げろ―――っ!』」

そっ、それは天然記念物並みの希少人種だな!
俺、幸せになります!

(うるっ)でも、ドゼ将軍のことは忘れません!!

[ナポレオン]


(しぶしぶ)

これでダヴーも俺のファミリーか……



*ダヴーが結婚したのは、ルクレールの姉妹(妹だと思います)。ルクレールはナポレオンの妹ポーリーヌと結婚している

ダヴーの妻 エメ・ルクレール。

彼女はダヴーの子を8人産んだ


この後ルクレールは、サン=ドマングへ蜂起鎮圧に向かい、その地で黄熱病を患い、亡くなった(1802.11.2)

翌年、ナポレオンは妹ポーリーヌを、イタリアの名門貴族カミッロ・ボルゲーゼ侯爵と再婚させた(1803.11.5)


ルクレールの死後、ポーリーヌの再婚まで1年ですよ? 早すぎると思いませんか?

それで数年かけて、いろいろ調べてみました


そもそもなぜ、ナポレオンは義弟(ルクレール)をサン=ドマングへ送ったのか。

第一執政となったナポレオンは、自分に反抗する可能性のある者を、遠方へ飛ばしたといいます。


・元ライン方面軍と元イタリア軍の確執。

・王党派の陰謀、そしてボナパルトへの疑惑。


以上も加味し、ブログにまとめました。


ブログ「ルクレール 1」

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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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