第4話 トゥーロン包囲戦
文字数 1,526文字
国民公会の代表者、サリチェッティが、ボナパルト兄弟に、職を紹介してくれた。彼は、兄弟と同じ、コルシカ島出身だった。
サリチェティは、長兄ジョゼフと三男リュシアンを、事務員等に取り立ててくれた。※
この頃、南部の軍港、トゥーロンの砲撃士官のポストに空きが出た。前任者が負傷したためである。
トゥーロンは、ヴァンデ地方(第二話参照)やボルドーと並び、王党派の勢力の強い強い町だった。ここにさらに、イギリス・スペインが結びつき、町を占拠していた。
要塞都市でもあるこの町を、フランス革命政府は、奪還する必要があった。
が、フランスの軍隊の将校の大半は、貴族だった。彼らは、国外へ亡命するか、王党派として敵に回っている。
ここで、コルシカの同郷人サリチェッティは、ボナパルト家の次男のことを思い出した。
人手不足の折、勤務状態を疑われ(引っ切り無しに故郷コルシカへ帰っていたので欠勤が多かった)、軍を追われていたナポレオンは、1973年、軍に復帰を許された。功績は全くなかったが、大尉になっていた。
国民公会の代表者だったサリチェッティは、同僚のオーギュスタン(ロベスピエールの弟)に提案し、ボナパルト家の次男ナポレオンを、トゥーロン包囲作戦の、砲兵士隊指揮官に任命した。
海だ!
砲撃すべきは、北の山にある要塞ではない!
海辺の要塞だ!
上官の無理解等、紆余曲折はあったが、結果として、彼は正しかった。
フランス側は、高地の要所も確保した。
イギリス艦が外洋に撤退した後、革命政府は、残された王党派に、過酷な制裁を加えた。
が、足に怪我を負っていたナポレオンは、この虐殺に立ち会わなくて済んだ。(しかしそうではない記録も残っている)
その後も、南仏での勤務が続く。……テルミドールのクーデターまで。