第41話 ロシア・スウェーデン・ドイツ

文字数 796文字

フランス革命に対し、ロシアは、距離を保って接してきた。



ロシアにとっては、フランスのごたごたよりも、ポーランド獲得の方が、はるかに重要だったのである。



ポーランド貴族の反乱鎮圧に乗じ、ロシアは参戦、勝利した。1793年。勝者ロシアとプロイセンの間で、ポーランドは分割された(第二次ポーランド分割)。

とはいえ、ロシア女帝エカチェリーナは、フランス革命に対して、無関心だったわけではない。特に、ルイ16世と妃マリー・アントワネットの処刑には、同じ王族として、深い嫌悪を感じた。



エカチェリーナ2世は、スウェーデンのグスタフ3世の提唱した「反革命十字軍」を受け容れ、軍事同盟を結ぶ。



しかし、ロシアとスウェーデンの反革命への動きは、グスタフ3世の暗殺で、頓挫してしまう……。




ブログ「スウェーデン ホルシュタイン・ゴットルプ王朝1」

ところで、どういうわけか、エカチェリーナは、実の息子であるにもかかわらず、パーヴェルを嫌っていた。



孫のアレクサンドルが生まれると、彼女は、息子夫婦からこの子を取り上げ、自分の手元で養育させた。



女帝は、アレクサンドルに、自分と同じ、ドイツ人の妻を与えた。15歳のアレクサンドルと、14歳のバーデン公女・エリザヴェータは、人形のようにかわいらしい夫婦だったという。二人を並べ、女帝は、大変、満足していた。



女帝エカチェリーナは、息子ではなく、孫のアレクサンドルに帝位を継がせるつもりだった。



ブログ「アレクサンドル1世1」


1796年9月。

スウェーデンの18歳のグスタフ4世(前出3世の息子)が、エカチェリーナの孫娘、13歳のアレクサンドラと婚約する為、ペテルブルクを訪れた。しかし彼は、この話を破談にし、スウェーデンに帰ってしまった。



憤激のあまり女帝は体調を崩し、どうもこの辺りから、健康状態が悪化していったらしい。



同年11月17日。エカチェリーナ2世、没。脳梗塞だった。

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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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