第36話 マレンゴの戦い

文字数 3,215文字

奇襲だ!

ハンニバルに倣うのだ!


グラン・サン・ベルナール峠を越えて、イタリアへ入るぞ!


1800年5月。

ランヌ軍を前衛に、フランス軍は、まだ雪や氷河の残るグラン・サン・ベルナール峠を越えた。


北部イタリアは、オーストリア軍のメラス元帥(下の画像)が制圧していた。



ブログ「モンテベッロ公爵夫人」

雪や氷河を越えての、峠越えは、オーストリア側の意表をついた。

フランス軍は、オーストリア軍の背後を断つ形で、側のミラノパヴィアを占領することに成功した。




【ナポレオン軍の、北イタリア進出後、マレンゴ戦までの動き】


マレンゴの9日前(6月4日)

 ジェノヴァが陥落(敗将はマッセナ)。

 ※ナポレオンがこれを知ったのは、4日後、6月8日

 ※ジェノヴァには、前年、ロシアのスヴォルフに叩かれたフランス軍が立て籠っていた(1799年、フランス軍は、ジェノヴァ以外の、一次イタリア遠征で得た要衝の全て[トリノ、マントヴァ、アレクサンドリアなど]を失っていた)




モンテベッロでの勝利(6月9日)

 ナポレオンは、メラスの主力軍をストラデッラの要衝地におびき寄せようと、ランヌを派遣した。ランヌ軍は、モンテベッロ(地図:カステッジョ)の丘でオーストリア予備軍(オット軍)との白兵戦となり、勝利する。

 しかし、数日間、司令部と連絡が取れなかった。

 フランス側では、軍の損失は600と言われるが、実際は、3000とも。オーストリアは、捕虜を合わせて4000を超える。これにより、オーストリア軍の士気は下がったが、フランス軍もまた、人的損失が多かったことは否めない。

 次の会戦は、14日のマレンゴの戦い。

 

この時、フランス軍には、エジプト遠征から帰還したばかりのドゼーも参加していた(ストラデッラの司令部に合流したのは、6月9日)。


トゥーロン港に到着した彼は、家族に会う暇もなく、イタリアに召喚されている。


途中、荷物を略奪されて軍服を盗まれ、私服姿であった。



10話「ライン防衛」27話「カイロでの戦い(ピラミッドの戦い)」30話「エジプトの人気者」参照

 ブログ「ドゼー」

 ブログ「クレベール将軍、ドゼ将軍」

オーストリア軍は、フランス軍の西側、トリノに集結した。


オーストリア寄りのは、フランス軍に抑えられてしまっている。が、メラスは、あえて、へ進軍することを選択した。


メラスはオーストリア軍を、アレッサンドリアまで進めた。


敵の姿が見えない。

さてはメラスめ、俺様が怖くて逃げたな!

ナポレオンは、スクリーヴァ川まで前進し、司令本部をヴォーゲラ(ボゲーラ)に置いた。それから、ラポワプ将軍の軍をポー河左岸に送り、オーストリア軍の退路を塞いだ。また彼は、メラスが、陥落したばかりのジェノヴァ占領軍と合流することを恐れた。ドゼーの軍をノヴィ(ノビ)方面へ送り、オーストリア軍がこの方面へ来たら、これを阻止するよう命じた。


(下の地図は、上の地図の「フランス軍分散」と書かれた青の矢印の詳細です)

これが、失敗だった。メラスは、退却など考えていなかったからだ。


少数となったナポレオン軍は、間もなく、オーストリアの主力軍と対峙する。


フランス軍は、多くの死傷者を出した。ナポレオンは、退却を思案し始めた。


メラスは勝利を確信し、ウィーンの皇帝へ伝令を出した。


しかし、オーストリア軍は、フランス軍を容赦なく追撃することを怠った……。



そこへ、ナポレオンからの急使を得たドゼー軍6000が、引き返してきた。



*エジプトから帰ったばかりのドゼーは、ブデ将軍の軍を指揮していた。ブデもまた、グアドプールから帰還したばかり。この軍は、ベルティエ配下の予備軍だった。

(逃げる兵士達を睥睨)


退却はしない。

これより、ドゼー軍を中核に、反撃を開始する!



*弱気のボナパルトに対し、折からの雨で川が増水しているから、退却はしない方がいいと諭したのは、ドゼーとも。ドゼーは、大砲で敵の度肝を抜き、そこへ、自らが切り込んでいく作戦を提案した。

 有名なドゼーのセリフがあるが、戦場は混乱し、さらに、後世のナポレオン神話が跋扈しているので、注意が肝要


右翼をマルモンの砲撃が擁護する中、ドゼーの率いる、ブデ師団第9軽旅団は、敵の主力軍へ突撃した。**



*無謀なグラン・サン・ベルナール峠越えの為、フランス軍は、大砲の多くを崖から落として失っていた

**戦闘が激しくなると、ドゼーは、師団長のブデを、後方へ下がらせた。ブデはこの後、グアドループに戻り、植民地の人に配慮した戦闘を繰り広げる。帰国し、ワグラムの戦いで、不審な死を遂げた

【ドゼー(敵と交戦中)】


もう待てない! 私には騎兵隊がいない! 破れた軍の再編はまだなのか!

自分が突撃を掛けている間に、午前中の戦闘で敗れたヴィクトル軍ランヌ軍他が再編し、側面攻撃を仕掛けてくるのを、ドゼーを待っていた。しかし、ナポレオンの優柔不断は続く。ドゼーは、補佐官のサヴァリを手放し、ナポレオンに催促に行かせた。



フランス軍左翼には、ケレルマンの残存部隊がいた。ナポレオンは、サヴァリを直接、彼の元へやり、側面攻撃を促した。



*ジェマップの勝者、ケレルマンの息子。

 ブログ「ケレルマン(父)」

【ケレルマン(息子)】


なんだって!? あそこにドゼー将軍が? つか、ドゼー将軍が軍の中にいたなんて、俺は、聞いてないぞ!



*サヴァリの回顧録、"Memoirs of the Duke of Rovigo"を参照した

ケレルマンは目を凝らした。彼は、オーストリア軍の中に、僅かな間隙を見つけた。ブデ師団第9軽旅団(指揮官・ドゼー)の、決死の突撃でできた揺らぎだ。その僅かな隙に、ケレルマン部隊は、切り込んでいった。


ケレルマン部隊は、敵軍側部を攻撃、分断に成功した。



分断されたオーストリア軍は降伏し、リヒテンシュタイン騎兵部隊は潰走した。

オーストリア側の損失は、9400名、フランス側は6000名だった。


フランスは勝利した。


犠牲は大きかった。

ドゼー……。

なぜ私には泣くことも許されないのか?



*『ナポレオン言行録』オクターヴ・オブリ[大塚幸男 訳]

なお、マレンゴの戦いを勝利に導いた最大の功労者、ケレルマンは、戦功を過小評価された上、以後、ナポレオンから遠ざけられることになる……。



ブログ「ドゼー3(マレンゴの戦い1)」

ブログ「マレンゴの日」

マレンゴの戦いの日、即ちドゼーが死んだのと同じ日。


エジプト遠征の後片付けを負わされたクレベール将軍も、シリアの学生に刺殺されている。



*32話「ナポレオンのくそ」

[ナポレオンの部下]


第一執政。

エジプトから、クレベール将軍の遺体が戻ってきました。フランス本土への上陸を求めています。

クレベール?

ダメに決まってる! 彼の墓は、共和主義の象徴になってしまうからな!

いまやフランスは、第一執政、即ち俺様の時代なのだよ!

クレベールの遺骸は、本土上陸を許されず、マルセイユ近くの島、シャトー・ディフに埋葬された。


本土、ストラスブールへ移ったのは、18年後、ルイ18世によってだった。



ブログ「ルイ18世」








【作者より】


ナポレオンの優柔不断とドゥゼ(と、後に表記を改めました)の死については、いろいろ言いたいことがあるのですが、今は止めておきます。

ドゥゼについては、今の時点で、以下の作品があります。



1795-97年ライン軍、史実のみ→「ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」

同上、小説→「負けないダヴーの作り方」カクヨム版あり)

短編小説→「正義か死か Vaincre ou mourir」2000字ヴァージョンあり)

エジプト遠征について、小説→「汝、救えるものを救え『逃げろーーーっ!』」

中編ファンタジー小説→「オリエント撤退」


あと、マレンゴについて

ブログ「マレンゴの日」



ドゥゼ将軍は逸材なので、これからじっくりと取り組んでいきたいと思います。

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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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