第10話 ライン防衛
文字数 3,069文字
若きボナパルト将軍に導かれて、イタリアでは、フランス軍の快進撃が続いた。
しかし、ライン方面は、そうはいかなかった。
よくやった、クレベール! これで、モローの中央軍が、ストラスブールからケールへライン川を渡河する時間は充分稼いだな!*
*中央軍は、南のケール(ストラスブールの対岸)から、ライン河を渡河した
ドイツ方面では、
ジュールダン(北部軍)と、
モロー(中央軍)
が連携を取り合い、カール大公のオーストリア軍を、大きく東へ押し戻していった。
フランス軍は、次第に、ドイツの深くまで入り込んでいった。
モロー軍が優勢になると、カール大公は、自ら南下した。
【ネスレハイムの戦い】(8月11日)
(フランス)ドゼ師団・グーヴィオン予備軍
vs
(オーストリア)カール大公軍[ホッツェ元帥(下の画像)中心]
だが、ジュールダン軍が東へ突出してしまった上に、間に河を挟まれてしまっては、連絡を取り合うことは困難になった。
この機を逃さず、カール大公は2万8000の兵を連れ、ドナウ河を再渡河、北上した。
南には、ラトゥール軍が残り、モロー軍に対し、防衛に努めた。
カール大公は、北に残してあった味方と合流、ジュールダン軍へ戦いを挑んだ。
カール大公は常にジュールダンを翻弄し続けた。
結果、オーストリア軍はほぼ無傷。対してフランス側は、3,000人もの兵士を失う大敗を喫した。
だが、これ以上は無理だ。
あいかわらず、中央軍のモローとは連絡が取れないし……。
ここは諦め、撤退すべきだ。
中央政府に命じられ、ジュールダンは、ヴュルツブルクの城砦に立て籠っているフランス軍に援軍すべく、霧の中、攻撃を仕掛けた。
【ヴュルツブルクの戦い】(同年9.3)
カール大公の巧みな攻撃に、ジュールダンは、残りの兵の、さらに1割を失った。
【リンブルクの戦い】(同年9.16~19)
カール大公が、側面から奇襲。ジュールダン軍は、壊滅状態に。
撤退の際、マルソー軍は、アルテンキルヒェン付近で、オーストリアの主力軍(カール大公軍)に攻撃される。部下が勝手に退却を開始、マルソーは撃たれて重傷を負った。
カール大公は、彼に医者を遣わし、手当の甲斐なく亡くなった時は、涙したと、伝えられている。
ジュールダン北部軍は、モロー(中央軍)のいる南部に向けて退却しようとした。
しかし、カール大公は、ライン川東側を確保した上で、北部軍をライン川西部の湿地帯まで追撃し、西岸まで追いはらった。
そこで素早く南へ転進し、中央軍の撃滅に向かった。
その頃……
……なにっ! ジュールダンが負けた!?
いなくなったと思ったら、カール大公、ジュールダンを叩いて来たんだ……。
次は俺らの番ってわけか……(ふるふるふる)
カルノー大臣の挟み撃ち作戦*は失敗だ!
なら、文句はないよな?
我々も退却だ! 全軍、ライン河方面へ向かって、退却!!
*9話「イタリア遠征」参照
カール大公は、レンヘン谷からキンツィヒ谷にかけて封鎖。これにより、フランス軍は、「
フランス軍とオーストリア軍の間で、死闘が行われた。
【エメンディンゲンの戦い】
フランスのボーピュイ将軍が戦死。
[モローに]私が左翼を務めます。カール大公の後部を脅かしてやる……(ぶつぶつ)。[部下に向かい]ついてこれるものだけついてこい!
[再びモローに]我々は、ブリザッハの橋を渡ります。あの橋は小さいですから、司令官は残りの部隊を率いて、南のユナングから、フランス国内へ入って下さい。
ケールとブリザッハに分かれて中央軍もライン河を渡河、フランス領内に撤退した。
かくして、ライン地方に勝利が齎された。
弱冠24歳、最年少司令官、カール大公の手柄である。
しかし、1793年に"général de division" になったドゼを例にとると、彼はこれ以上の階級の昇進はないのですが、日本では「将軍」と呼ばれているので、ここでは、"général de division" に、「将軍」の訳語をあてはめました。
ホッツェは、この2年前のフランス・ライン軍との戦闘での功績が認められ、元帥に昇格したばかりです。