第17話 モンテベッロでの憩い
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この条約は、実は、ライン方面での勝利こそ、評価されるべきものだった。フランスは、ライン左岸を、完全に手に入れることができたのだ。これは、権勢を誇った太陽王、ルイ14世でさえなしえなかった偉業である。(ただし、この功績は、ナポレオンのイタリア軍に帰すべきではない。ライン軍で戦ったサン=シル将軍が言うように、営々と戦い続けた、ライン軍にこそ、その栄誉は与えられるべきである。)
イタリアにおいては、オーストリアは、ヴェネチア併合を認めてもらう代わりに、領土の大半を手放し、チサルピーナ共和国(フランスの傀儡国家)を認めさせられた。
なお、なお、カンポ・フォルミオ条約は、ナポレオンが単独で、オーストリアと結んだ。ナポレオンが頭角を現してくる上で、欠かすことのできない功績である。
*16話「タリアメントの戦い」参照。
なお、イタリアで勝利してから、ナポレオン軍は、タリアメントでの戦いを含むオーストリアの反撃を、3度、撃退している。
いやいやいや。何言ってくれちゃってるの。大事なのは、イタリアにおける領土拡大でしょ。ま、俺の手柄なんだけどね!
*カルノーの言う、北軍と中央軍。9話「イタリア遠征」参照
イタリアの獲得が強く印象付けられ、ナポレオンの勝利は、パリに轟いた。
モンテベッロは、ナポレオンが初めて築いた王朝めいたものといわれている。
フランス士官は、皆、若かった。
彼らは、美しいイタリア女性と、束の間の逢瀬を楽しんだ。夕刻、並木道の端に止められた馬車の中で、多くの愛が語られた。
法律上の世俗の結婚と、そして……
宗教上の結婚式と。
フランス革命は、カトリックを排斥しているので、宗教上の結婚式は、非公開で行われた。
なお、ナポレオンは、ジョゼフィーヌとは、宗教上の結婚をしていない。
お兄ちゃん、ありがとう! ルクレール※1は素敵な人だわ!
(ジュノ―、フレロンのことは、すっかり忘れている※2)
※1 第9話「イタリア遠征」参照
※2 第8話「ナポレオン、最初の結婚」参照
そんなある日、不幸が襲った。
アルノ「回想録」より
(『恋するジョゼフィーヌ』ジャック・ジャンサン)