第15話 デュマ将軍
文字数 1,898文字
アルプスの他にも、ベルギー、ピレネー(スペイン)、ライン方面、フランス軍が劣勢になると彼が派遣されている。いずれも彼は、その優れた身体能力と高潔な人柄で、素晴らしい戦果を挙げた。
まさしく、男がついていきたくなるような男である。
*10話「ライン防衛」初出
だが、デュマは、断らなかった。
彼は、ヴァンデ地方へ赴き、略奪品で贅沢な暮らしをしているフランス軍の規律を正した。短期間でヴァンデを離れたが、共和国の敵からも味方からも称えられる、稀有な将軍だった。
デュマ将軍の、イタリア方面への合流は、1796年11月のことだった。
すでに階級は、ナポレオンの方が上になっていた。
サーベルで次々と敵兵をなぎ倒すデュマの戦いぶりは、すさまじかったという。
それなのに、ナポレオンの副官、ベルティエ*は、デュマを過小評価して報告した。
ナポレオンもまた、マントヴァ包囲戦に参加した全員の名を挙げて総裁政府へ報告したが、その中にデュマの名はなかった。
マントヴァの勝利を以て、イタリア方面軍は改編された。
相変わらず先遣隊として、少しの手勢を率いて敵軍へ切り込み、次々と、敵をなぎ倒した。馬が倒れても、その馬を遮蔽として、攻撃を緩めなかった。
そんな彼を、オーストリア兵は、「der schwarze Teufel(黒い悪魔)」と呼んで恐れた。
実はこの時、デュマは、下の娘を、1歳3ヶ月で亡くしたばかりだった……。
ジュベール将軍はデュマに数個の連隊を任せたが、相変わらずデュマは、小規模隊で突っ込み、サーベルで敵を切り殺していった。
デュマはチロルの全騎兵部隊の指揮官に任命された。
ナポレオンは、彼を、「チロルのホラーティウス・コクレス」と讃えたという。