第29話 ヤッファ・アッコ攻囲戦

文字数 1,375文字


翌1799年2月、フランス軍は、エジプトから、パレスティナ、シリアめがけて進軍した。


フランス=アフリカ=アジア帝国……。


ナポレオンの(見果てぬ)夢の実現の為である。



18話「ラシュタット会議」参照 

※詳細はブログ「ボナパルトのシリア遠征




まず、物資の補給をする為に、ヤッファ*を手に入れる必要があった。



*現在のイスラエル

[ナポレオン]


なんてちゃちィ城壁なんだ。

簡単に落とせるぞ。

だが、俺は紳士だからな。まずは、使者を送って、降伏させよう。

[配下の兵士]


大変です!

ヤッファ市長へ送った使者が殺されました!

やつら、残酷にも、わが同胞の首を刎ねたのです!

なにぃ! 許さん!


砲撃、開始


その日のうちに、ヤッファは陥落した。


おい、こちらから送った使者はどうした?

降伏の条件を示してやったはずだが?

帰りが遅いですねえ。


げぇ、司令官! あれをご覧ください!

城壁に突き立てられている、あれはっ!

くっ……首!

私が送ったわが軍使者達の、生首ではないか!


使者らは、残酷な拷問された上で、殺されていた……。


おのれ……この私の言うことを聞かぬとは……。


栄えあるフランス共和国の兵士諸君!

諸君に、2日間の略奪を許す!


共和国の使者たちは、殺される前に去勢されていた。

だからお前たちも、ヤッファの市民を、男でも女でも、好き放題、強姦していいぞ!

もちろん、わが軍が捕えている捕虜も、皆殺しだ!



*以上、日本版wikiをもとに構成


ヤッファ陥落の知らせは、たちまちのうちに、シリアの各都市へ伝わった。


これにより、トルコ側は、いっそう激しい抵抗を示すようになった。


アッコの戦いでは、シドニー・スミス代将(上の絵)率いるイギリス海軍が、トルコ側に尽力した。


イギリスは、トルコ側に、大砲と人員を供給し、エジプトから海路で送られてくるフランスへの大砲を奪った。


ナポレオン軍に向けられた大砲。「ファリー対ナポレオン」と刻まれている。

ハイム・ファリーは、アッコのオスマン帝国総督の右腕だった。


イギリスとシリア諸都市の他に、フランス軍には、強敵があった。


ペストである。


蔓延する疫病に対し、軍医は、なす術もなかった。全身にオリーブオイルを塗って発汗を促すくらいのことしかできない。


これはひどい。

彼らに、大量のアヘンを与えてやるがいい。

[従軍医師]


あ、それは致死量のアヘン……。

患者が、死んでしまいます!



*デジュネット医師

まさしくその為だよ。

健康な兵士に、感染させない為だ。


ついに、弱った兵にアヘンを与えて置き去りにするまでに至った。


フランス軍のペストによる死者は、戦死を上回った。


にもかかわらず……。

ジャン・グロ*による、「ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン」


ナポレオンの背後、左側の(恐らく)医師は、ハンカチで口を覆っているのに対し、ナポレオンは無防備だ。また、右側の人物は、ナポレオンが患者と危険な接触をしないように押しとどめているという。



ブログ「アルコレ橋のナポレオン」





シリア諸都市の奮戦、イギリス海軍の妨害、その上、悪天候が重なり、フランス軍は、不衛生な環境に置かれた。


ペストは蔓延するばかりである。



アッコ包囲の2ヶ月後(5月21日)、ついにフランス軍は、エジプトへ向かって退いた。



※詳細はブログに

シリア遠征 1」〜

アッコ包囲戦 1」〜

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登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

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