第29話 ヤッファ・アッコ攻囲戦
文字数 1,375文字
翌1799年2月、フランス軍は、エジプトから、パレスティナ、シリアめがけて進軍した。
フランス=アフリカ=アジア帝国……。
ナポレオンの(見果てぬ)夢の実現の為である。*
※詳細はブログ「ボナパルトのシリア遠征」
*現在のイスラエル
使者らは、残酷な拷問された上で、殺されていた……。
栄えあるフランス共和国の兵士諸君!
諸君に、2日間の略奪を許す!
共和国の使者たちは、殺される前に去勢されていた。
だからお前たちも、ヤッファの市民を、男でも女でも、好き放題、強姦していいぞ!
もちろん、わが軍が捕えている捕虜も、皆殺しだ!
*以上、日本版wikiをもとに構成
これにより、トルコ側は、いっそう激しい抵抗を示すようになった。
アッコの戦いでは、シドニー・スミス代将(上の絵)率いるイギリス海軍が、トルコ側に尽力した。
イギリスは、トルコ側に、大砲と人員を供給し、エジプトから海路で送られてくるフランスへの大砲を奪った。
ナポレオン軍に向けられた大砲。「ファリー対ナポレオン」と刻まれている。
ハイム・ファリーは、アッコのオスマン帝国総督の右腕だった。
イギリスとシリア諸都市の他に、フランス軍には、強敵があった。
ペストである。
ついに、弱った兵にアヘンを与えて置き去りにするまでに至った。
フランス軍のペストによる死者は、戦死を上回った。
にもかかわらず……。
ジャン・グロ*による、「ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン」
ナポレオンの背後、左側の(恐らく)医師は、ハンカチで口を覆っているのに対し、ナポレオンは無防備だ。また、右側の人物は、ナポレオンが患者と危険な接触をしないように押しとどめているという。