第40話 トロワ・デュマ

文字数 936文字


1801年、デュマ将軍は、ナポリでの3年間の監禁を経て、解放された。



*31話「ナポリへの漂流」参照

[デュマ将軍]


ナポリの監獄で毒を盛られたのだろうか。

体調が悪い。

だが、軍に復帰せねば。

家族を養わなければ。


しかし、ムラート(混血)であることを理由に、デュマは、軍への復帰を拒絶されてしまう。



共和国の理念を信じ、素晴らしい活躍のあったデュマ将軍。



それなのに、レジオンドヌール勲章(1802.5.19制定)どころか……、


当然受け取るべき年金も、

ナポリ収監中の給料さえも支給されなかった。



その上……。

(1802年)

退役、除隊になった有色人の元将校、兵士が、パリおよび近郊に居住することを禁止する。



*デュマ解放の翌年

有色人種の彼は、妻のいるヴィレル=コトレ(パリ近郊の町)に住み続けることができなくなってしまった。



国外退去処分を免れ、ヴィレル=コトレに住み続ける為に、彼は、かつての軍人仲間に頼り、特別許可を申請しなければならない始末だった。**



*デュマの妻、マリア・テレサは、フランス人女性

**ブログ「有色人種の権利」


ナポリでの監禁生活で衰えた健康が回復せぬまま、解放から5年後、デュマ将軍は亡くなった。


[デュマの戦友たち]


デュマ将軍の未亡人は、遺族年金も貰えず、非常に困窮しています。どうか、彼女と子どもたちが、受け取る資格のある年金を受けられるよう、援助をお願いします。



*ミュラ、ブリュヌなど

うるさい!


あの男のことは、二度とわたしの前で口にするなと言ったはずだ。



*『ナポレオンに逆らった黒い将軍』トム・リース[高里ひろ]

デュマ将軍の息子は、後に、『モンテ・クリスト伯』を書いたアレクサンドル・デュマである。孫は、「椿姫」を著した。


ちなみに、デュマ(息子)の『モンテ・クリスト伯』に出てくる、ファリア神父のモデルは、例の科学者、ドロミュー*だとされている。


息子のデュマが、父の将軍から聞いた話を元に造詣したのだろう。


 

38話「執政政府」

19世紀の終わり、息子のファン達が、マルゼルブ広場(現カトルー将軍広場)に、「トロワ(3人の)・デュマ広場」を造る計画を立てた。


下は、デュマ将軍の像。後に、ナチスドイツに破壊された。*



ブログ「デュマ将軍と革命期のヒーロー達4」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

オーストリア皇帝フランツ


神聖ローマ帝国最後の皇帝でもある。

くそまじめで、四角四面な性格。

ロシア皇帝アレクサンドル1世


父パーヴェルの暗殺に関与または黙認し、即位した。

欧州の平和は自分が守る、と、固く心に誓う「騎士」。

フランス皇帝ナポレオン


あ、最後になっちゃった……。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色