35:文化が変われば価値観も変わる

文字数 1,496文字

「えっ、なにこれ温泉……?」
 ズドドドド。
 激しい水音を響かせながら、絶えず流れ続ける滝。その落下ポイントには、岩に囲まれた湖がある。水面からもくもくと立ち上っているのは、白い湯気だ。魔界にしては珍しく、水の色は無色透明であった。
「実は、魔王城近辺にはいくつもの薬湯が沸いていて……」
「薬湯? これ、なにか効能があるわけ?」
 レイシアはメイド服のスカートにあるポケットから、手のひらサイズの短刀を取り出した。刃を覆うカバーから抜き放ち、そっと自分の手首に切っ先を当てる。
「ちょっ、なにしてるの?」
 ぷつり。手首の皮が破れ、赤黒い液体が溢れてくる。ゾンビとはいえ、血の色は人間とかわらない。
「見てて」
 レイシアはそう言うと、傷ついた手首を湯の中に突っ込んだ。そして、引き抜く。あらふしぎ。刺したはずの箇所から、傷が綺麗さっぱりなくなっていた。

「治癒魔法の薬湯なの」
「すっごぉ……」
 傷に効く薬湯、肌にいい薬湯。そういうものなら、日本にもある。あるけれど、こんな即効性のある回復効果は、地球のどこを探しても見つかるわけがない。
 これが魔法の力というわけか。
 改めて、思う。いろいろと損をしているだけで、魔界は異世界の宝物庫だ。
「もう少し進むと、色とりどりの温泉がわいていて、その……全部効能が違うから」
「え? なんでそんなに温泉わくの?」
「あの、魔界は空気中や地中にたくさんの魔力が含まれていて、その影響なんじゃないかって、先代の魔王様……魔王様のお父上様は言っていました」
「へぇ。よくわかんないけど、だから全部に魔法効果があるんだ。それって、私が入っても平気なやつ?」
 レイシアが頷く。
 人間にも効果があるというわけだ。

「そんな薬湯があるんなら、十分プッシュできると思うんだけど……でも、レビューには薬湯のことなんか書いてなかったなぁ」
「みんな、ここにたどり着く前に帰って行っちゃうから。サイトも更新してないし、魔王様本人も、あまり温泉の価値をわかってないかも。魔族にとって、薬湯は当たり前すぎるものだし。みんなで湯に浸かるという文化は、根付いていない世界のほうが多いから」
「なるほど。地球でも、温泉には抵抗のある外国人もいるしね」
 文化が違えば、価値観も変わる。魔界の住人ではなく、地球人で日本人な私だからこそ気づける、魔界の魅力。というのもあるわけだ。スライムくんのアップした写真を部屋で眺めているだけでは、これには気づけ得ない。
『だから散歩は発見の連続だと、言ったじゃないですか』 
 そんなローパーちゃんの声が聞こえたような気がした。彼女には悪い子としたなあ。
「でも、レイシアはここを知ってたんでしょ? どうして今まで推さなかったの?」
「あの、宮子さんが来るって聞いた時に、日本のことも調べて。地球の東京には行ったことあるんだけど、詳しくは知らないから。それで温泉を知って。でも今まで、忘れてた」
「そっか。で、思い出してくれたんだ。ありがと」
 レイシアを撫でる。レイシアは嬉しそうに、目を細めた。
「この温泉ってさ、たとえばなにかの魔法を使って、城内に運ぶことは出来ないかな?」
「水魔法が得意な魔族に頼めば、運べるかも」
 となると、室内に温泉を作ることも可能。つまり、魔界健康ランド的な感じにすることもできるわけだ。

「面白そうだね。いくつか試しに入っておきたいから、レイシア、どこにどんな湯があるか教えてよ」
「う。うんっ。それなら……着替え持って、みんなで入ろう」
「賛成! ちょうど寒いし、いい温泉日和だ!」

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登場人物紹介

花崎宮子 25歳  / ホテル《魔王城》経営隊長


異世界旅行提供会社《ファンタジートラベル》で働く、優秀なツアー部の社員。さまざまな企画を立て計画的に実行、ツアー企画や地域復興などで結果を出しまくっている。という経歴からの左遷をくらった。魔王城で働くがんばりやさん。



魔王 ラティ  / ホテル《魔王城》社長(魔王)


見た目は幼女。人間はRPGにでてくる魔王城を好んでいると知り、泥の魔物や触手をけしかけ楽しませようとした。それが逆効果だったことを、彼女は知らない。家族思いの優しい娘だが、プライドが高く自信家。根拠のない自信を持つ困ったところがある。

新村美咲  / 異世界旅行提供会社 《ファンタジートラベル》ツアー部所属


宮子の後輩。入社1年目。努力家だけどドジで要領が悪い。胸が大きく、マイペースな性格。ツアー部で、王道的な冒険気分が楽しめる、人気のファンタジー世界を担当している。

井上 / 異世界旅行提供会社 《ファンタジートラベル》広告部の先輩


宮子のことを評価している。今回の左遷に反対している。


近藤 / 異世界旅行提供会社 《ファンタジートラベル》ツアー部の先輩


女性を軽視している中年の男。宮子が出世し、女性のくせに自分より上へ行くのが嫌で、左遷させた。社内でもそれなりの立場で、彼に味方している取り巻きが存在。


ローパーちゃん  / ホテル《魔王城》マッサージ・接客担当


見た目がグロい触手。敬語で喋る、真面目で魔王城の委員長的な存在。しかしグロい。

レイシア  / ホテル《魔王城》飲食担当・魔王城カフェ店長


シャイで女の子好きなゾンビ。生前は喪女なメイドで、その頃から魔王の世話をしていた。魔王に蘇生された恩義があるものの、人見知り。緊張すると、ネバネバした緑色の液体を吐く。

スライムくん  / ホテル《魔王城》データ管理・ツイッター中の人


意識高い系のスライム。

ルカ姉  / ホテル《魔王城》交通手段担当


ドラゴン専門のゲイバーに勤めていた繊細なオネエ。本名はシュヴァルツ・デスダーク・キルカイザー・ブラックドラゴン。

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