59:マニュアルは、ネット上でPDFデータのダウンロードも可能
文字数 2,353文字
というわけで、ルカ姉に使ってもらった。
ぼわん、とルカ姉の大きな背中に透明な薄い膜が乗った。私とレイシアはすでにルカ姉の上。試しに、膜をつついてみた。
ぷにぷにしていて、なんというかこんにゃくみたいな感触。しかし、強く突いても割れる気はしない。
「どうかしらん?」
とルカ姉。
「いいとは思うけど、見た目ちょっと怖いかなぁ。透明だし、膜薄いし」
「安全ッスよ?」
地上から私たちを見上げているミーサさんが言った。
「絶対に爆発しない不発弾があったとしてさ、爆発しないことを知っていても、そばにそれがあったら怖いでしょ? それと同じで、やっぱりちょっと、怖いんだよね」
「わかるわん。他種族を傷つけることが禁じられた今でも、ドラゴンバスターさんは怖いもの」
とルカ姉。
ドラゴンバスターとは、大戦時代に対ドラゴンに特化した魔法武器を使い、数多のドラゴンを倒してきた人間らしい。資料で読んだことがある。
「あの」
レイシアが右手を挙げた。
「レイシア、思ったんだけど……その、安全性を主張しつつ、宣伝にもなる動画を撮って公開……とかはどうかなって」
「宣伝にもなる動画……? つまり、見ることでバルーンが安全だとわかり、かつ面白そうに感じる。そんな動画ってことかな?」
レイシアが頷いた。
「なるほど。やってみようかな」
私はスマホを出す。
「私がバルーンの中から景色を撮るよ。レイシアは下から撮影して。私がバルーンに入り、空を移動して、戻ってくるところまでを撮ってもらえるかな?」
「うん」
レイシアが頷くと、ルカ姉がバルーンを解除した。レイシアはぴょん、と地上に飛び降りる。
私はルカ姉の手のひらに乗って、下ろしてもらう。
動画は乗るところから始めるのだ。
「あたしはどうすればいいのん?」
「ルカ姉はゆっくり、案内所の上をぐるりと回ってほしいかな」
「了解よん」
2日後。魔王城第一会議室。
「【ホテル魔王城】で行う接客や掃除の仕方などを、マニュアル化してみたよ」
私は印刷した冊子を、テーブルにつく魔王ちゃん、レイシア、ローパーちゃん、スライムくん、ミーサさんに渡す。
こ2日で大浴場の排水口改修工事、魔王城カフェ内に物販コーナーの設立を終わらせ、バルーン動画のいいねとリツイート数も稼いだ。
そろそろ新しい客が来てもいい頃合いなので、ここで各作業内容をわかりやすくマニュアルにしてみた。
仕事は見て覚えろ、質問する前にまず考えて動け――と言う者もいる。
しかし一方で、十数年の下積み修行がいるとされる寿司界で、たった数ヶ月学んだだけなのに店をミシュランに載せた人もいる。
だから、私は詳しいマニュアルを用意した方が、効率的だと思っているのだ。すべての仕事はマニュアル化出来ると思うし、あらかじめ想定される質問に答えておけば、従業員に不安を与える頻度が減り、結果的に私も仕事をしやすくなるのだ。
結局、効率化を図ったほうが物事は成功するものなのだ。
たとえば、改修した排水口にもモノが詰まった時の対処法。お皿を割ってしまった時の対処法。各道具の名称や収納場所など。理想は、これを読めば新人でもある程度仕事内容が理解できる。というレベルのマニュアルだ。
スライムくんのデータを流用して、私とスライムくんはこの【ホテル魔王城従業員用完全マニュアル】を2日でまとめた。従業員リストまでついた、128ページの大ボリュームだ。
巻末には、頼るべき業者リストも載せている。覚えてなくていいことは覚えず、業者を使う。これもまた、効率化だ。つまり、この前のように改修工事が必要な時は、また異世界専門業者を呼ぶ――ということ。
「布団の畳み方や洗濯物の手洗い方法、シミの落とし方まで書くとは……よくもまあ、2日でこれをまとめたものだな」
魔王ちゃんが関心したふうに言った。
「レイシアは心配性だから、こういうのがあると助かる」
とレイシア。
「すべてマニュアルは、ネット上でPDFデータのダウンロードも可能だよ。LINEの従業員用グループに用意してあるから、自由に使って。新しい問題や質問が発生したら、更新するよ。質問しにくい人は、匿名で書き込める掲示板も作ったから、使ってね」
冊子版マニュアルは食堂と一階入り口にも置いて、自由に持っていけるようにした。
マニュアルに関する説明を終え解散させると、魔王ちゃんが立ち上がり、言った。
「またお前の世話になったな」
「ん? マニュアルのこと? 私自身、いろいろ聞かれなくて済むようになるし、後々楽するためというのもあるよ」
もちろん、質問されたら答えるし、相談にも応じる。
「そうではない。ルカ姉のことだ。お前のおかげで、引きこもるのをやめて温泉にも来るようになった。本来の、山の方にある温泉だがな」
「ああ、そっちね。ルカ姉が望むなら、洞窟の中に湯を転送させる案も考えていたんだけどね」
「その案が必要になったら、ボクが協力しよう」
「うん、よろしく」
魔王ちゃんが協力しないと、成り立たない案だ。
「ともかく、お前には感謝している。みんなをまとめるのも、心を開かせるのも、うまいんだな」
「魔王ちゃんこそ、みんなに好かれてるじゃん。私は自分のためにできることをしているだけだよ」
「それでも、レイシアやローパー、ルカ姉が救われたのは事実だ。同じ魔族であるボクではなく、人間の宮子だからできたことだ。感謝している」
「それじゃあ、私のことは認めてくれたんだ?」
「ああ。これからも頼む」
魔王ちゃんは頰をかき、少し照れ臭そうに言った。
会議室から出ると、井上先輩からLINEが来ていた。