02:歓迎しないクライアント
文字数 1,795文字
働けるだけでエリートの仲間入りという【ファンタジートラベル】だが、魔界担当にだけはなりたくない――という話を、何度か先輩たちがしていたのを耳にしている。
そんなところへ、この優秀な私を送り込むとは。なんて憎いハゲ達磨なのか。
「まあ、なんだ。ちょっと付き合えよ」
井上先輩はそう言うと、近藤への怒りで震える私をガラスに囲まれた休憩室へと誘った。
「10年ほど前まではな、魔界にも通う人間がいたんだよ。そりゃあ魔界っていやぁ、ファンタジーゲームの王道マップだ。興味持つ奴なんかゴロゴロいらぁ」
井上先輩はタバコに火をつけ、少し吸うと、ぷはぁっと煙の輪っかを吐いてみせた。
「それが、今じゃ完全に過疎。もう半年、だーれも客が入っちゃいねぇ。何故だと思う?」
「昔見たレビューサイトに、現魔王が勘違いしたサービスをしているとありましたが……」
私が知っている情報では、ちょうど10年前、魔界のトップが変わったらしい。その新しい魔王が、ホテルの経営方法をよく理解していないのだろう。
井上先輩は、まだ火のついているタバコを備え付けの灰皿に押し付けた。
「まあ、そういうことだ。以前にも二回ほど、ウチの社員が送り込まれたらしいんだが、現魔王さんは取りつく島を与えない頑固者で、経営方針を変えなかった――と、“報告書”にはある」
「そこで、私に白羽の矢が立ったと?」
「正直な話、上の連中は期待しちゃいねぇんだ。元々旅行先としての人気は中間程度。厄介な魔王を必死こいて説得して、経営方針を改善させようにも限界がある。そもそも、問題はそれだけじゃねえしな」
「経営方針の他に、問題がある……?」
「まあ、詳しいことは、行きゃわかる。とにかく、だ。上はお前に期待していない。だが俺はお前を評価している。近藤の取り巻き連中はお前の帰還に反対するだろうが、魔界で結果さえ出せば、どうにかツアー部に戻って来られるよう取り計らってやるさ。俺は優秀で、努力している人間は正当に評価されるべきだと思っている」
そう言うと、井上先輩は私にマネーカードを握らせる。
「片道分の交通費だ。魔王には俺から改めて連絡しておくから、今日はもう帰れ。明日も休んでいいから、荷物をまとめておくといい」
「荷物……?」
「あ、言ってなかったか? 今回のは、住み込みの仕事だそうだ」
「す、住み込み……」
これまで私がしてきた仕事は、主に東京のオフィスで資料やアイディアをまとめ、それをメールでクライアントに送る。あるいは、たまに相手方へ赴き現地の人に協力する、というやり方でさばいてきた。
つまり、現地へ赴くことはあっても、基本的に日帰り。主な仕事場は東京のオフィスだし、仮に現地へ宿泊することがあっても、1泊か2泊である。
しかし住み込みとなれば、プライベートな時間まで仕事先の人間と顔を合わせることになる。それも、ずーっとだ。なにせ、家が魔王城になるわけだから。月曜の朝から、憂鬱だ。
「ああ、お前は現地に滞在して仕事をするの、はじめてか。そうなると、少し勝手が違うかもな」
「同じですよ。要は、魔王城の人気を上げればいいんですよね」
憂鬱だが、やるしかないのなら、やってやる。
「そうだが……今回の魔王城は通常の仕事と少し違うぞ。なにせ、ニュアンス的には、家族で経営している民宿の大規模版だ。そこに部外者のお前が――いや、まあ、やればわかるか。とにかく、俺はお前ならなんとかできると、信じている」
バン、と背中を叩かれる。
こうして、私は平日の午前から街中をうろつくこととなった。
オフィスを出ると、ブブブ――ポケットのスマホが震えたので、取り出してみる。後輩の新村美咲からLINEが届いていた。
『話は聞きました。私のせいで、すみません』
「後輩ちゃんはいい子だなぁ。悪いのはハゲ達磨なのに」
気にしないで、私も気にしてないから――と返信しておく。もちろん気にしているのだが、後輩ちゃんに当たることではない。
こうなってしまったからには、果たすしかないのだ。最低最悪の魔王城からの成り上がりを。
というわけで、 私、花崎宮子25歳。
明後日から、魔界の中でもさらに不人気な、辺境地――【ホテル魔王城】に勤務し、性格に問題があるという魔王と共に仕事をすることとなりました。