趣味じゃないだけ
文字数 2,369文字
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柳井に飛びかかり、脛のあたりに抱きついた。まさに、足止めだ。驚きの声をあげ、柳井が座ったままよろめいた。
が、すぐに「平」と冷笑するような声が頭上から聞こえた。
「お前のように他人の顔色ばかり窺って自分の人生を歩んでいない人間はな、死んでいるのと同じなんだよ。今更、見苦しいぞ」
瞬間、思いっきり掴んでいる両手を踏みつけられた。
それでもぎゅっと手を手首に回して離さないでいると、追い討ちをかけるように、肩を蹴り上げられ、僕は床の上をごろごろと転がった。
だが、少しは時間を稼げた筈だ。森巣は逃げられただろうか、と視線を這わせる。
愕然とした。
森巣は椅子に座ったままだった。それどころか、姿勢も変えず、驚いたような顔で僕を見ている。何をしているんだ、と焦りが込み上げてくる。「逃げろ」と口だけ動かすが、聞こえるほどの大きな声はもう出ない。
「次はお前だな、森巣」
「先生、俺たちはオッドアイじゃないけど、いいんですか?」
「知られてしまったからには、生かしてはおけないだろ。お前たちもギロチンで首を切り落としてやるよ」
森巣の口から、ふっと息を吐くのが聞こえた。
「大層なことを言ってたが、結局お前は、自分より弱い者を殺したいだけじゃねえか」
室内に、ぴんっと糸が張り詰めたような緊張感が生まれる。森巣を見ると、氷のような瞳で柳井のことを見据えていた。
「平に『クビキリを見て何を感じたか?』なんて訊いたのは、欲が出すぎたな。教師がする質問じゃないぞ」
森巣の口調とトーンががらりと変わっている。低く、険があり、苛立っていた。
纏っていた爽やかさは消え失せ、殺気を纏っている。まるでそこにいるのが別人であるようだった。
「散歩中の瀬川の犬を見てオッドアイだと知り、散歩時間を把握して狙っていた、そんなとこだろ」
森巣がゆっくりと立ち上がると、ティーカップを傾けた。床にお茶がびちゃびちゃと音を立てながら垂れていく。
「一つ、訂正してやる。平は死んでいるのと同じなんかじゃない。覚悟を決めて、死に物狂いで、お前の足止めをしようとした。お前に同じことができるか? 人間はな、困難から背を向けて逃げた時、死ぬんだよ。現実逃避を続けてるお前みたいにな」
豹変した森巣を見て、柳井が表情を強張らせる。
「俺は一滴も飲んじゃいない。柳井、お前も平の観察眼を見習うんだったな」
森巣は唇の端を上げ、ティーカップを地面に叩き落とした。高そうな食器が悲鳴を上げるような音を立てて砕け散る。
柳井が無言で足早にキッチンへ向かった。一体何を? と思って見つめていると、銃を模した黄色い工具のようなものを握りしめて戻ってきた。顔を真っ赤にして、蒸気機関のように鼻息を荒くして森巣を睨みつけている。
「テーザー銃か。珍しいおもちゃの自慢か?」
森巣がからかうような口調で尋ねると、柳井は喚くように声を荒げながら、右手に持ったテーザー銃を森巣に向けて構えた。テレビで見たことがある。アメリカの警察官が持っている電流を流す銃だ。
危ない! 逃げろ! そう頭の中で念じる。
だが、森巣は逃げずに、前進した。
森巣が身を屈めつつ摺り足で移動し、間合いを詰めていく。
柳井が引き金を引くよりも早く、左手でテーザー銃を持つ手を弾き、すかさず左腕を振り子のようにしならせた。右の掌底が柳井先生の顎を思いっきり打ち上げると、がくんと柳井先生の顔が後ろに反り、床にひっくり返った。
動きに無駄がなく、大きな力を必要としない、しなやかな反撃だった。格闘と言うよりも、舞いのような流麗さがある。
森巣が屈み、柳井の胸ぐらを掴んで睨みつけている。
「ところで、さっき言ってたギロチンってのはなんだ? どこで手にいれた?」
返事をしないでいると、森巣は容赦なく胴体を殴りつけた。柳井の顔が歪み、呻き声があがる。僕も短い悲鳴をあげそうになった。
「人を殴るのは趣味じゃない。けど、趣味じゃないだけだ」
呻く柳井先生に、森巣は舌打ちをし、拳を高く振り上げた。
「地下の、ガレージにある。か、借りたんだ。滑川(なめかわ)っていう男から。ギロチンとかその銃とか、器具のレンタルをしていて、それで」
弱々しい声で、柳井先生が詫びるように説明する。
「で、そいつはどこにいるんだ」
「わからない。会ったことがないし、レンタルについては人に教わっただけで」
「それでごまかせると思ってるのか?」
森巣が柳井の頬を平手打ちし、乾いた音と柳井の情けない悲鳴があがる。目の前で行われる暴力に顔を背けたいけど、僕は首を動かせなかった。
「嘘じゃない、本当なんだ」
「素直に言った方が楽だぞ」と更に裏拳で顔面を弾く。
「本当に、知らないんです!」
「そうか、残念だ。じゃあ、俺から大事なことを教えておく」
森巣が掴んでいた手を離して立ち上がる。
「絶対に俺たちのことを喋るなよ」森巣は落ちていたテーザー銃を拾い上げて構えた。
「絶対に言いません!」
柳井が恐怖で表情を歪め、悲痛な声をあげる。森巣がにこりと笑う。
乾いた音が鳴り、銃の先端から何かが発射され、柳井の体に刺さった。
瞬間、空気を震わせる音が鳴り、柳井の体が大きく痙攣し、床に転がる。しばらく、小刻みに体が動いていたが、気を失ったのか動かなくなった。
しんとした静けさに包まれ、全てが終わったのだとわかる。
ゆっくりとした足取りで森巣がやって来て、僕を見下した。
「待たせたな。超短時間作用型の薬は、すぐに効く代わりに持続時間が短い。平が動けるようになったら、犬を連れて帰るぞ」
柳井に飛びかかり、脛のあたりに抱きついた。まさに、足止めだ。驚きの声をあげ、柳井が座ったままよろめいた。
が、すぐに「平」と冷笑するような声が頭上から聞こえた。
「お前のように他人の顔色ばかり窺って自分の人生を歩んでいない人間はな、死んでいるのと同じなんだよ。今更、見苦しいぞ」
瞬間、思いっきり掴んでいる両手を踏みつけられた。
それでもぎゅっと手を手首に回して離さないでいると、追い討ちをかけるように、肩を蹴り上げられ、僕は床の上をごろごろと転がった。
だが、少しは時間を稼げた筈だ。森巣は逃げられただろうか、と視線を這わせる。
愕然とした。
森巣は椅子に座ったままだった。それどころか、姿勢も変えず、驚いたような顔で僕を見ている。何をしているんだ、と焦りが込み上げてくる。「逃げろ」と口だけ動かすが、聞こえるほどの大きな声はもう出ない。
「次はお前だな、森巣」
「先生、俺たちはオッドアイじゃないけど、いいんですか?」
「知られてしまったからには、生かしてはおけないだろ。お前たちもギロチンで首を切り落としてやるよ」
森巣の口から、ふっと息を吐くのが聞こえた。
「大層なことを言ってたが、結局お前は、自分より弱い者を殺したいだけじゃねえか」
室内に、ぴんっと糸が張り詰めたような緊張感が生まれる。森巣を見ると、氷のような瞳で柳井のことを見据えていた。
「平に『クビキリを見て何を感じたか?』なんて訊いたのは、欲が出すぎたな。教師がする質問じゃないぞ」
森巣の口調とトーンががらりと変わっている。低く、険があり、苛立っていた。
纏っていた爽やかさは消え失せ、殺気を纏っている。まるでそこにいるのが別人であるようだった。
「散歩中の瀬川の犬を見てオッドアイだと知り、散歩時間を把握して狙っていた、そんなとこだろ」
森巣がゆっくりと立ち上がると、ティーカップを傾けた。床にお茶がびちゃびちゃと音を立てながら垂れていく。
「一つ、訂正してやる。平は死んでいるのと同じなんかじゃない。覚悟を決めて、死に物狂いで、お前の足止めをしようとした。お前に同じことができるか? 人間はな、困難から背を向けて逃げた時、死ぬんだよ。現実逃避を続けてるお前みたいにな」
豹変した森巣を見て、柳井が表情を強張らせる。
「俺は一滴も飲んじゃいない。柳井、お前も平の観察眼を見習うんだったな」
森巣は唇の端を上げ、ティーカップを地面に叩き落とした。高そうな食器が悲鳴を上げるような音を立てて砕け散る。
柳井が無言で足早にキッチンへ向かった。一体何を? と思って見つめていると、銃を模した黄色い工具のようなものを握りしめて戻ってきた。顔を真っ赤にして、蒸気機関のように鼻息を荒くして森巣を睨みつけている。
「テーザー銃か。珍しいおもちゃの自慢か?」
森巣がからかうような口調で尋ねると、柳井は喚くように声を荒げながら、右手に持ったテーザー銃を森巣に向けて構えた。テレビで見たことがある。アメリカの警察官が持っている電流を流す銃だ。
危ない! 逃げろ! そう頭の中で念じる。
だが、森巣は逃げずに、前進した。
森巣が身を屈めつつ摺り足で移動し、間合いを詰めていく。
柳井が引き金を引くよりも早く、左手でテーザー銃を持つ手を弾き、すかさず左腕を振り子のようにしならせた。右の掌底が柳井先生の顎を思いっきり打ち上げると、がくんと柳井先生の顔が後ろに反り、床にひっくり返った。
動きに無駄がなく、大きな力を必要としない、しなやかな反撃だった。格闘と言うよりも、舞いのような流麗さがある。
森巣が屈み、柳井の胸ぐらを掴んで睨みつけている。
「ところで、さっき言ってたギロチンってのはなんだ? どこで手にいれた?」
返事をしないでいると、森巣は容赦なく胴体を殴りつけた。柳井の顔が歪み、呻き声があがる。僕も短い悲鳴をあげそうになった。
「人を殴るのは趣味じゃない。けど、趣味じゃないだけだ」
呻く柳井先生に、森巣は舌打ちをし、拳を高く振り上げた。
「地下の、ガレージにある。か、借りたんだ。滑川(なめかわ)っていう男から。ギロチンとかその銃とか、器具のレンタルをしていて、それで」
弱々しい声で、柳井先生が詫びるように説明する。
「で、そいつはどこにいるんだ」
「わからない。会ったことがないし、レンタルについては人に教わっただけで」
「それでごまかせると思ってるのか?」
森巣が柳井の頬を平手打ちし、乾いた音と柳井の情けない悲鳴があがる。目の前で行われる暴力に顔を背けたいけど、僕は首を動かせなかった。
「嘘じゃない、本当なんだ」
「素直に言った方が楽だぞ」と更に裏拳で顔面を弾く。
「本当に、知らないんです!」
「そうか、残念だ。じゃあ、俺から大事なことを教えておく」
森巣が掴んでいた手を離して立ち上がる。
「絶対に俺たちのことを喋るなよ」森巣は落ちていたテーザー銃を拾い上げて構えた。
「絶対に言いません!」
柳井が恐怖で表情を歪め、悲痛な声をあげる。森巣がにこりと笑う。
乾いた音が鳴り、銃の先端から何かが発射され、柳井の体に刺さった。
瞬間、空気を震わせる音が鳴り、柳井の体が大きく痙攣し、床に転がる。しばらく、小刻みに体が動いていたが、気を失ったのか動かなくなった。
しんとした静けさに包まれ、全てが終わったのだとわかる。
ゆっくりとした足取りで森巣がやって来て、僕を見下した。
「待たせたな。超短時間作用型の薬は、すぐに効く代わりに持続時間が短い。平が動けるようになったら、犬を連れて帰るぞ」