元小学生へ
文字数 2,124文字
12
一人になると、自分の中にあった気持ちがゆっくりと浮上してきた。
森巣はあの袋小路で何か思いついた様子だった。もしかしたら、他の現場に行けば森巣のように何かを気付けるのではないだろうか。瀬川さんの役に立てることがあるならば、やっておきたい。
町の掲示板にチラシを貼りながら、三体目のクビキリが置かれた小学校の前にやって来た。三体目のクビキリは、世間的には一番衝撃的な事件だろう。
三体目が発見される一週間前、小学校から白い兎が一羽行方不明になっていた。生徒が小屋の鍵を閉め忘れたせいで脱走してしまったのかと思われたが、違った。兎は、頭だけの状態で、小屋に帰って来た。
想像するだけで、おぞましくて身震いが起こった。
フェンス越しに見える、校庭でサッカーをしている小学生たちを横目に、学校の周りをぐるりと回る。ボールを追いかけ回る無垢な動きは、エネルギーに溢れていて、安心した。
校舎の隅にある、トタン屋根の飼育小屋の前で立ち止まる。
学校を囲むフェンスは越えられない高さではないから、犯人はここを乗り越えて、飼育小屋の鍵を壊し、兎を連れ去ったのだろうか。
小屋の中に動物の気配はない。空の飼育小屋は寒々しく寂しさがある。まさか、他の兎も殺されてしまったのだろうか?
「すみませーん、どうかしたましたかー?」
声のした方に目をやると、校庭にふくよかな体型の女の人が立っていた。眼鏡を触りながら、不審そうにこちらの様子を窺っている。学校の先生だろう。
「すいません。ちょっと近くに寄ったんで様子を見に来たんです」
「はぁ、なんのですか?」
クビキリの調査の、という説明をしたら逆に怪しまれてしまうぞ、と思い「ここの卒業生なんですけど」と咄嗟に口から嘘が飛び出た。
「酷い事件があったと聞いて。昔、飼育係で餌をあげていたので」
僕が卒業生だと聞いて、相手の緊張が解けたのがわかる。眉間の皺が消え、口調も柔らかいものになった。
「卒業生なのね。そうなの。去年から飼い始めた、パランちゃんていう白兎で、みんなで可愛がってたんだけどね……」
「酷いことをする奴がいますね」
「本当にね。カウンセリングを受けてる子もいるわ」
「犯人は子供たちの気持ちを考えられないんですかね」
「んー、だけど、犯人も元小学生なのよね」
「元小学生」
そう口にしながら、考えを巡らせる。僕もこの先生も、元小学生だ。昔はみんな同じだったのに何故、虐げる側と傷つく側に分かれてしまったのだろう。それとも、犯人は小学生の時から既に何か酷いことをしていたのだろうか。
「小学校で生き物は大切にしようっていうことは教えられるけど、ちゃんと伝わらなかったんんだなあって思うと、がっくりくるわ」
「でも、先生に責任はないでしょう」
「でも、大人としてね、犯人にも自分と関係の無いことなんてないんだって、わかってもらいたかったかな。学校以外でも、学べることができたら良かったんだけど、環境とか人間関係は、運もあるから歯がゆいわね。他人に優しくしようとか、命を慈しもうとか。わたしたちが本当に伝えたいことを、どうにかして知ってもらえたら良かったんだけど」
元小学生の僕は考える。
僕が人に優しくしようと心がけているのは、妹と母親がいるからだ。
もし、家庭が違ったらどうだろう。弱い者いじめをするような人間になっていることもありえたのだろうか。そう考えたら、ぞっとした。
「腐らずにがんばるけどね。がんばるけどね。伝わりますように、って丁寧に教えるわよ」
「心強いです。なんだか励まされた気持ちになりました」
「様子を見に来てくれて、ありがとう。他の兎たちはケージに入れて、職員室の中に移動させたの。飼育小屋だと、散歩の途中に近所のお年寄りが見れてよかったんだけど」
そうう言いながら、先生が急におや、と眉を上げてまじまじと僕を見た。
「あなた、湊第一高校 の生徒さんじゃない?」
「そうですけど」
「ああ、いい高校なのねぇ」と一人で何かに納得した様子でうんうん頷く先生に、「何か?」と訊ねる。
「パランを見つけてくれた子も、湊一高の生徒さんだったのよ」
「登校して来た小学生が見つけたんじゃないんですか?」
「違うわよ。早朝のジョギング中に通りかかって、見つけて教えてくれたの。ちょうどあの日、わたしは採点とか授業の準備があって早くから学校にいたから会ったんだけど」
先生の口調が、段々うっとりとしたものに変わっていく。
「しゅっとして、すごく綺麗な子だったわねえ。男の子なんだけど」
ふっと、周りの気温が下がったような、嫌な予感を覚えた。
まさかと思いつつ、おそるおそる口を開く。
「もしかして、森巣って名前じゃありませんでしたか?」
「そうそう。あなたお友達? イケメンで礼儀正しい子だったわねえ」
先生の言葉が頭の中でもやとなり、包み込んでくる。
森巣もクビキリの発見者?
だとしたら、どうしてクビキリについて知らないフリをしていたのか。何故。
一人になると、自分の中にあった気持ちがゆっくりと浮上してきた。
森巣はあの袋小路で何か思いついた様子だった。もしかしたら、他の現場に行けば森巣のように何かを気付けるのではないだろうか。瀬川さんの役に立てることがあるならば、やっておきたい。
町の掲示板にチラシを貼りながら、三体目のクビキリが置かれた小学校の前にやって来た。三体目のクビキリは、世間的には一番衝撃的な事件だろう。
三体目が発見される一週間前、小学校から白い兎が一羽行方不明になっていた。生徒が小屋の鍵を閉め忘れたせいで脱走してしまったのかと思われたが、違った。兎は、頭だけの状態で、小屋に帰って来た。
想像するだけで、おぞましくて身震いが起こった。
フェンス越しに見える、校庭でサッカーをしている小学生たちを横目に、学校の周りをぐるりと回る。ボールを追いかけ回る無垢な動きは、エネルギーに溢れていて、安心した。
校舎の隅にある、トタン屋根の飼育小屋の前で立ち止まる。
学校を囲むフェンスは越えられない高さではないから、犯人はここを乗り越えて、飼育小屋の鍵を壊し、兎を連れ去ったのだろうか。
小屋の中に動物の気配はない。空の飼育小屋は寒々しく寂しさがある。まさか、他の兎も殺されてしまったのだろうか?
「すみませーん、どうかしたましたかー?」
声のした方に目をやると、校庭にふくよかな体型の女の人が立っていた。眼鏡を触りながら、不審そうにこちらの様子を窺っている。学校の先生だろう。
「すいません。ちょっと近くに寄ったんで様子を見に来たんです」
「はぁ、なんのですか?」
クビキリの調査の、という説明をしたら逆に怪しまれてしまうぞ、と思い「ここの卒業生なんですけど」と咄嗟に口から嘘が飛び出た。
「酷い事件があったと聞いて。昔、飼育係で餌をあげていたので」
僕が卒業生だと聞いて、相手の緊張が解けたのがわかる。眉間の皺が消え、口調も柔らかいものになった。
「卒業生なのね。そうなの。去年から飼い始めた、パランちゃんていう白兎で、みんなで可愛がってたんだけどね……」
「酷いことをする奴がいますね」
「本当にね。カウンセリングを受けてる子もいるわ」
「犯人は子供たちの気持ちを考えられないんですかね」
「んー、だけど、犯人も元小学生なのよね」
「元小学生」
そう口にしながら、考えを巡らせる。僕もこの先生も、元小学生だ。昔はみんな同じだったのに何故、虐げる側と傷つく側に分かれてしまったのだろう。それとも、犯人は小学生の時から既に何か酷いことをしていたのだろうか。
「小学校で生き物は大切にしようっていうことは教えられるけど、ちゃんと伝わらなかったんんだなあって思うと、がっくりくるわ」
「でも、先生に責任はないでしょう」
「でも、大人としてね、犯人にも自分と関係の無いことなんてないんだって、わかってもらいたかったかな。学校以外でも、学べることができたら良かったんだけど、環境とか人間関係は、運もあるから歯がゆいわね。他人に優しくしようとか、命を慈しもうとか。わたしたちが本当に伝えたいことを、どうにかして知ってもらえたら良かったんだけど」
元小学生の僕は考える。
僕が人に優しくしようと心がけているのは、妹と母親がいるからだ。
もし、家庭が違ったらどうだろう。弱い者いじめをするような人間になっていることもありえたのだろうか。そう考えたら、ぞっとした。
「腐らずにがんばるけどね。がんばるけどね。伝わりますように、って丁寧に教えるわよ」
「心強いです。なんだか励まされた気持ちになりました」
「様子を見に来てくれて、ありがとう。他の兎たちはケージに入れて、職員室の中に移動させたの。飼育小屋だと、散歩の途中に近所のお年寄りが見れてよかったんだけど」
そうう言いながら、先生が急におや、と眉を上げてまじまじと僕を見た。
「あなた、
「そうですけど」
「ああ、いい高校なのねぇ」と一人で何かに納得した様子でうんうん頷く先生に、「何か?」と訊ねる。
「パランを見つけてくれた子も、湊一高の生徒さんだったのよ」
「登校して来た小学生が見つけたんじゃないんですか?」
「違うわよ。早朝のジョギング中に通りかかって、見つけて教えてくれたの。ちょうどあの日、わたしは採点とか授業の準備があって早くから学校にいたから会ったんだけど」
先生の口調が、段々うっとりとしたものに変わっていく。
「しゅっとして、すごく綺麗な子だったわねえ。男の子なんだけど」
ふっと、周りの気温が下がったような、嫌な予感を覚えた。
まさかと思いつつ、おそるおそる口を開く。
「もしかして、森巣って名前じゃありませんでしたか?」
「そうそう。あなたお友達? イケメンで礼儀正しい子だったわねえ」
先生の言葉が頭の中でもやとなり、包み込んでくる。
森巣もクビキリの発見者?
だとしたら、どうしてクビキリについて知らないフリをしていたのか。何故。