何者

文字数 2,522文字

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 森巣が何者なのか、まだわからずに迷っている。悪に立ち向かう孤高なヒーローなのか、戦わずにはいられない獰猛なヴィランではないと信じていいのか。

 町に巣喰う悪の親玉と、そいつを狙う別の悪党の諍いに、高校生である森巣と僕は巻き込まれている。しかも、森巣を巻き込んでしまったのは僕だ。失敗すれば、僕のように骨を折られる、だけでは済まないだろう。

 森巣が戦うのは彼の意思だ。そして彼は僕に、好きにしろと言った。

「どうしてそういうことを言うんだ」

 夕飯を終え、ベッドでそう口にしてみる。
 信じてくれ、助けてくれ、頼む、そう言ってくれたら、迷わないで済むのに。

 サイドボードに置かれた時計を見ると、九時を少し過ぎたところだった。消灯は十時だから、まだ時間がある。

 そう言えば、森巣は明日、見つけた不審者を病院のどこに誘き出すつもりなのだろうか。人目につかず、それでいて戦いが起きても誰の迷惑にもならない場所はあるのか。

 展望室に患者がいるのはあまり見ないけど、職員の人が休憩しているのは見かける。

 となるとやはりあそこか。ベッドで大人しくしていろ、と森巣に言われたが、ベッドから体を起こし、病院の中で忘れ去られたような、図書室に向かう。

 下見しておいてあげようと、病室を抜けてエレベーターに乗り、三階の隅にある図書室へやって来た。扉をスライドさせると電気が着いており、おや? と思いながら室内を見回す。

 そこにはテーブルに向かっている、博士さんがいた。こちらに背を向け、スマートフォンを右手に持って耳に当てていた。電話中のようだ。ここは通話してもいいのだろうか、と少し気になったが、博士さんと少年以外見たことないし、図書室だから私語厳禁かもしれないのにトランプや飲食もしているな、と勝手に納得する。

 盗み見ているようで悪い気がしたので、小声で「こんばんは」と声をかける。
 博士さんは僕に気付くと「やあ」という感じにペンを持っている左手を挙げ、すぐにスマートフォンをポケットにしまい、代わりに補声器を取り出して喉に当てた。

「こんばんは。夜に会うのは珍しいですね」
「ですね。夜もよく来るんですか?」

「眠れない夜はたまに来ます。不眠症なんですよ、睡眠薬も飲んでるんですけどね」
「それは、大変ですね。でも、まだ消灯前ですよ」

「実は言いにくいんですけど、忘れ物を取りに来ました」申し訳なさそうに、博士さんが椅子に乗っているコンビニ袋に目を向け、中から僕が持参していた地元銘菓を取り出した。
「トランプの景品、折角くれたのに、すいません」

「あー」と思い出しながら頷く。少年が眠ってしまったので車椅子のまま運び出し、菓子をどうしたか記憶になかった。

「平くんはどうしたんですか?」
「ちょっと散歩に」

 そう言いながら、僕は「相談に乗ってもらえませんか?」と博士さんの向かいの席に移動し、腰掛けた。

「当事者意識がないのは無責任だって言ってましたよね。『裸の王様』の話で」
「間違ってると思うことに対して何もしないのは怠慢だ、というお話でしたかね」
「ええ。でも、子供がリスクを負う必要はあると思いますか? 周りの大人がなんとかするべきだと思うんですけど」

 童話を真顔で持ち出されても困るよな、そう思ったけど、博士さんは茶化すことなく、思案するような間を置いてから口を開いた。

「それこそが、あの童話のテーマなのかもしれませんね。大人は空気やルールを大事にするから、あてにならない、という」
「そこまでして大人は何を守りたいんでしょうか」

「社会にあるルールや暗黙の了解は、みんなが平和な生活を送る為です。ですが、残念なことにルールを守ることイコール幸せになれる、ではありません。例えば、復讐は悪いことだと思いますか?」
「思いますよ」

「言葉だけ聞いたり、見ず知らずの人の話だったらそうかもしれません。ですが、当事者になれば、同じことが言えるでしょうか。尊厳を奪われ、大切な仲間が酷い目に遭って、何もしない、ということを選べますか? そんなの間違っていると思いませんか?」

 大切な仲間、と言われて森巣が思い浮かぶ。彼の身に何かあったら、僕は冷静にルールが適応されるのを待つだろうか。

「そんなことがあったら、昔の僕だったらわからないですけど、今の僕は勇気を振り絞って立ち向かうはずです……立ち向かいたい」

 博士さんは、僕がこう答えることをわかっていたかのように、小さく頷いた。

「ルールを守っているだけでは、幸せにはならない。この世で最も大切なことは、満足する結果になるかどうか、自分で選ぶことじゃないでしょうか」
「でも、みんながルールを守るのをやめたら、世の中が滅茶苦茶になりませんか?」
「ええ、なので、ルールを破ったら、責任を問われる自覚をしておくべきですね」

 責任を問われる自覚、と胸の中で復唱する。僕は、強盗の被害にあったと嘘を吐いている八木橋さんを見逃し、悪徳大学生を脅迫した男性を見逃し、そして悪人と戦う森巣を見逃している。
 僕は、自分がどうしたいのか、自分の考えがない、中身のない存在に思えた。

「偉そうに話してしまってすいません。喋り過ぎる悪い癖が出てしまいました」

 博士さんがそう言い、頭を下げる。いえいえ、と首と手を振って悪いのは変なことを言い出した僕です、と伝える。

 僕の満足は何か?

 周りの人たちが平和に暮らすことだ。その中に、森巣も含まれている。
 僕は森巣に一人で危険な目に遭って欲しくない。
 だから、警察に通報しよう。

「それじゃあ、お先に」帰りますね、そう言いかけた時、テーブルの上にあるものを見つけて固まった。

「どうしましたか?」

 テーブルの上には、地元銘菓の入ったコンビニ袋とメモ帳とボールペンが置かれている。
 目を閉じて、考える。進むか、戻るか。
 なんでもありません、おやすみなさい、そう言うべきなのに、口が勝手に動く。

「博士さん、ところであなた、本当は何者ですか?」
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