悲しみと雲の行方

文字数 3,838文字

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 店を出ると、森巣は空を見上げてから、「ちょっと寄りたいところがある」と言って歩き始めた。僕は「いいけど」と返事をしつつ、森巣の歩調に合わせて隣を進む。

 歩きながら、でも、と思う。
 でも、君の隣を歩き続けるのは無理だ、と。 

「森巣は僕のことを買ってくれているみたいだけど、もう今回みたいに、君に協力はできないと思ってほしい。僕はまだ高校生だし、君みたいに悪に立ち向かうなんて無理だよ。そんな勇気はない」

 森巣は僕の言葉を聞いているのかいないのか、反応を示さず、歩き続けた。何か考え事でもしているのだろうか、と怪訝に思いながら、肩をすくめ、おとなしく追従する。

 元町のメインストリートの一本裏を歩く。洒落た店構えの雑貨屋やレストランを横目に進んでいたら、森巣が突然立ち止まった。

 白い木製の外壁がシンプルだが、店の前には背の低い観葉植物のプランターが並び、どこかほっとする。大きな窓ガラスの向こうには、色鮮やかな花で彩られたブーケや鉢植えが並んでいた。
 花屋? と思っていたら、

「ごめんくださーい」

 と森巣が爽やかな声をあげながら、店の中に入って行った。アップルパイの次は花を買うのかな、と思いつつ後に続く。

 店の中には、棚が綺麗に並び、黄色やオレンジやピンクなど色とりどりの花が種類ごとにまとまっている。陳列されているというよりも、そこに生えているように見え、自分が花畑にやって来たような安らぎを覚えた。

 店内は花独特の自然のエネルギーと優しい香りに溢れ、どんなところよりも平和な場所のような気さえする。値札に書かれた聞き覚えのない花の名前を読みながら、黄色いおしべに白い花弁のマーガレットを見つけ、君なら知っているぞと頬が緩んだ。

「はいはーい」と声が聞こえ、棚の影からひょっこりと人影が現れた。

 眼鏡をかけたお婆さんは顔を出すと、驚いた様子で「まあ」と口にし「まあまあ」と唱えながらこちらにやって来た。白シャツに淡い緑色のエプロンをしている。どうやらこの店の人のようだ。

 ショートカットの髪は全て白く、光沢を放っている。染めていないのがなんだか潔い。化粧をしているだろうけど、うっすらとしたもので、顔には小皺も見える。だが、肌には張りがあり、背筋が伸び、若々しく見えた。

「いらっしゃい。森巣くん、どうしたの? こないだ来たばかりじゃない?」
「友達と近くを通ったので」

 森巣が僕を紹介するように手招きしたので、僕は「平です」とぺこりとお辞儀をする。

「どうも、吉野(よしの)です。森巣くんがお友達を連れてくるなんて珍しい」

 僕は、「はあ」とか「どうも」とか曖昧な返事を返す。「素敵なお店ですね」と感想を口にすると、吉野さんは花が咲くような穏やかな笑みを浮かべた。

「これ、お土産です。アップルパイ、結構美味しかったですよ」

 森巣がアップルパイの入った箱を差し出すと、吉野さんは「まあまあ」とまた唱えながら、ありがとうねと笑みを浮かべた。

田崎(たさき)くーん」

 吉野さんが振り返り、大きな声をあげると、店の奥から眼鏡をかけた痩身の男性が現れた。七三頭に眼鏡をかけた、インテリ大学生っぽい感じの人だ。シャツにエプロンと同じ格好をしているから、アルバイト店員なのかもしれない。

「どうしましたか?」
「これ、お土産だって。森巣くんが」
「ああ、それは、どうも」

 花屋の店員、接客業の店員としては淡白で愛想があまりない感じがする。森巣を見て、「ありがとう」とぽつりと言った。森巣も「いえいえ」と短く応答している。

「あら、今日はなんだか賑やかですね」

 振り返ると、入り口に淡いブルーのワンピースにオフホワイトのカーディガンを羽織った女性が立っていた。こちらは、瞳が大きくて鼻が高く、お嬢様女子大生という感じがする。吉野さんがまた「まあまあ」と喜んだ様子で口にする。

「堺ちゃんまで来てくれて、勢揃い」と嬉しそうに手を叩く。
「元町でお買い物していたので。ついでに、田崎くんがちゃんと働いているか様子を見に来たんです。あっ、森巣くんもいる。こんにちは、お久しぶり」

 お久しぶりです、と森巣がまた好青年の仮面を被り、白い歯をのぞかせる。

「ところで田崎くん、最近講義を休んでいるでしょう。大丈夫? ゼミの人とか教授が心配していたけど。最近、連絡なしで休んでるって」
「ん、ああ、ちょっと忙しくて。体調を崩したりもしていたし」
「そうなの? 大丈夫?」吉野さんが田崎さんを心配そうに窺い、田崎さんが「あっ、大丈夫です。お店にはちゃんと来れますから」と誤魔化すように眼鏡をいじった。

「お店はいいの。体調、無理したらいけないよ」
「それは、はい、もう治りましたので」
「大学にも、ちゃんと来てね。みんな心配しているから。わたしも」
 田崎さんは、すまさそうな顔をして頬をかいた。
「二人は、ちゃんと卒業して、大人になるんだよ」

 吉野さんがそう言うと、三人の顔が曇った、ように見えた。ちらりと窺うと、吉野さんも笑顔を湛えいるが、なんだか寂しそうに見えて、妙な違和感を覚える。

「わたしたち、もう大人ですよ。来年は社会人ですけど」と堺さんが苦笑し、店の雰囲気がふわっと和んだ。今のはなんだったのだろうか、と思ったが、気のせいかもしれない。
「わたしは結局お父さんの会社を手伝うことになりそうだけど、堺くんはどうするの? 院だっけ?」
「ああ、多分、教授が推薦をしてくれる、らしい」
「多分とからしいとか、しっかりしないとダメだよ。まずはちゃんとご飯を食べて」

 堺さんが母親のように田崎さんを注意する。田崎さんは余計なお世話だという感じを少しも見せず、反省している様子で「心配をかけてすまない、わかった」と精一杯作ったような弱々しい笑顔で返した。

「そうだ、お土産、ちょっと量が多かったと思うんで、皆さんで召し上がってください。俺たちはもう行くんで」

 森巣がそう言うと、「そうなの?」「そうか?」「え、もう?」と名残惜しそうな声があがった。教室だけではなく、ここでも人気の森巣くんらしい。

 森巣は笑顔で「また近いうちに来ますよ」と言って店を出た。ので、僕もみんなにお辞儀をしてから、森巣に続いた。

 アップルパイのテイクアウトを注文したとき、自分の家で食べるのかと思っていたが、花屋のお婆さんへ差し入れするためだとは思わなかった。悪人に鉄槌を下したり、見逃したり、学校で人を欺いたり、お婆さんに優しくしたり、森巣がわからない。絵の具が次々に足され、どんどん色が変わっていくようだ。

「素敵なお店だったね。よく来るの? あと、知り合いが多いみたいでびっくりした」
「知り合いの店でな、よく来るんだ。そんなことよりも、平は店にいた人たちのことがどう見えた?」
「どうって、みんな優しそうというか、楽しそうというか、いい人たちに見えたけど」

 僕はそこで一呼吸置き、「けど、なんだか無理をしている感じがした」と答える。
 すると森巣は「やっぱり平は目がいい」と、嬉しそうにした。

吉野美里(よしのみさと)田崎英(たさきえい)堺絵衣(さかいえい)。あの店にいたのは、娘が殺された親と、恋人が殺された男と、親友が殺された女だ」

 森巣の言っていることがわからず、立ち止まる。森巣は平気で嘘を吐く。でも、それが人を騙すための口調やトーンではないように感じた。

 半ば呆然とした気持ちで、空を見上げる。夜に向け、空が暗くなっていく。森巣のやり切れなさや、悲しみが色となって滲み出たせいではないかと思えるくらい、急に暗くなったように感じた。

「吉野みすず殺しの遺族だよ」

 吉野みすず、と聞いて、記憶がフラッシュバックする。クビキリ事件の犯人、柳井先生に向かって、「お前がやったんじゃないのか?」と森巣が拳を振るい、尋問していた、あのときに出た名前だ。

「強盗ヤギの動画の○×マーク、あれは柳井の家にあったギロチンにも同じ刻印がされていた。同一犯、もしくは同一のグループの仕業なんじゃないかと思って追っているんだ」

 森巣はそう言うと、僕の目を見て、真剣な顔つきで口を開いた。

「お前は、さっき悪に立ち向かうなんてまだ無理だと言ったな。じゃあ、何歳になったら立ち向かうんだ? 筋肉がついたら立ち向かえるようになるのか? そもそも、人間の悪意から目をそらすことなんてできると思うか? 大切な人を守れるのか? それとも、放っておけるのか?」

 まくし立てるように言われ、「それは」と口ごもる。無理だろう。森巣と出会って間もないけど、僕の世界は変わった。いや、世界の見方が変わったと言うべきだろうか。日常は簡単に捲れ、そこから危険が溢れてくることを知ってしまった。

「俺は、自分の快楽のために弱い者を虐げて、利用する奴を許さない。敵がいるなら戦う」

 お前はどうなんだ? と挑むような視線を向けるてから、森巣は僕に背を向けてそのまま去って行った。小さくなっていく背中を見ながら、僕はどちらへ進むべきかがわからず、もう一度空を見上げた。

 夕闇に浮かぶ空では、ゆっくりと、小さな雲が流れていく。
 吹けば飛ぶような雲よ、君はどこへ行くのだ?
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