クビキリの話

文字数 2,432文字

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「この二ヶ月、桜木町の周辺で動物の死骸が見つかってるんだ。首を切られた、頭だけの状態でね。ネットとか同級生の間では、それがクビキリって呼ばれている」

 森巣が表情に嫌悪感を浮かべ、「マジで? それってみんな知ってるの?」と目を剥いた。

「多分。テレビでも報道されたみたいだけど……森巣はネットでも見なかったの?」
「えー、どうして知らなかったんだろう。うちのクラスで話題にならないからかな」

 暗いニュースには縁がないほど、彼の周りは明るいということかもしれないそうかもねと相槌を打ち、「じゃあ、話を進めるね」と説明を再開することにした。

 一体目、三月の下旬に横浜の山下公園のベンチに置かれた犬の頭が見つかった。早朝ジョギングをしていた人が発見をしたらしい。その後も駐車場、住宅街の公園、小学校でクビキリは見つかった。

 ニュースを知る度に、町の夕闇の色が濃くなっていくような、そんな不気味さを覚えた。僕の住む町には、人間の皮を被った怪物がいる。耳をすませば「助けて」というか細い声が聞こえて来るようだ。

「というわけで、犯人は犬とか猫とか、小動物ばかり狙って、事件を起こしているんだよ」

 概要の説明をすませ、カップを口に運ぶ。コーヒーがいつもより、ずっと苦く感じた。

 森巣の様子を窺うと、彼は黙って僕の話を聞き終え、ゆっくりテーブルの上のアイスコーヒーに手を伸ばした。

 ガムシロッップとミルクを入れる。細い指がストローをかき混ぜると、液体がどろっとと溶け合い、黒と白がだんだん混ざっていった。それがなんだか不吉でいかがわしいものに見え、目を逸らす。

「弱い者いじめは許せないな」

 冷たい温度の声に思わず、ぞくりとする。

「で、平はクビキリの犯人を見たんだっけ?」

 はっとし、瞬きをすると森巣が変わらぬ表情をしていた。森巣が別人になったように思えたが、気のせいか。

「そうなんだ、見たんだよ」

 こんな酷いことをする犯人の気持ちなんてわからない。それに、殺された動物の悲しみや発見者の気持ちも計り知れないな、と思いながら僕は過ごしていた。

 なので、まさか、自分が思い知ることになるとは考えてもみなかった。

 二週間前の土曜日の夜、僕は野毛にある図書館に向かった。借りている本の返却期限が今日までだったと気がついたからだ。十時を過ぎているし、夜の外出を母と妹からは咎められた。でも自転車で行けばすぐだし、「ポストに入れるだけだから」と言って家を出た。

 十分ほど自転車を漕ぎ、図書館に向かう。駅前の辺りで飲み会帰りと思しき大人たちが楽しげな声をあげているのを見たが、丘の上にある図書館へ向かうにつれ、人の数が減り、そして誰もいなくなった。道路沿いに立つ街灯だけが、夜の住人のように並んでいた。

 勝手知ったる道だけど、夜道は心細くなる。早く済ませて家に帰ろう、そう思ってペダルを早く回転させて図書館を目指した。

 図書館に到着し、自転車を降りる。誰も見てはいないけど路駐をしたくなかったので、駐輪場まで自転車を押した。

 すると行き先に気配を感じた。駐輪場のそばにあるベンチの前に、誰かがいることに気が付き、反射的に立ち止まる。

 上下真っ黒の服装をしていて、まるで夜の闇が人間の形をして蠢いているような不気味さを覚え、鳥肌が立った。

 図書館の閉館時間は二十時半だ。館内の電気も消えている。職員さんではないだろうし、僕のように返却ポストを利用しに来たのだろうか、と考えを巡らせる。

 じっと目を凝らした。黒服の人物はこちらに背を向け、中腰になって体をもぞもぞと動かしている。パーカーの背中に「XXX」と白文字で大きく書かれていた。落ち着け、あれは人だ。同じ人間だから怖くない。そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと前進を再開した。足が動き出す。

 歩くのに合わせて、自転車の車輪が回転するカラカラという音が鳴った。
 その瞬間、黒服の先客が警戒する動物のような俊敏な動きで体を起こし、振り返った。
 僕は目を剥き、頬が引き攣った。

 パーカーのフードをすっぽりと被り、マスクをし、サングラスをかけていた。何か出会ってはいけないものに出会ってしまった、と本能で理解して背筋が凍りつく。
 僕はじっと見つめられている。何故、見つめる? わからない。ただ、このまま接近されたら、何か恐ろしいことをされるという予感がした。逃げなければと自分に言い聞かせる。だけど、誰かに足首を掴まれているように、足に力を入れることができない。

 手の力が抜け、自転車が倒れ、がしゃんと音が響いた。
 その音を合図にしたように、黒服が素早い動きを見せた。

 危ない! と僕は反射的に顔を守るように両手を構える。

 が、黒服の動きは僕の予想に反していた。逃げるような動き、というフレーズが思い浮かぶ。

 黒服は、こちらに背を向け、勢いよく駆け出していた。

 逃げた? 何から? 僕から? 何故? そんな疑問を抱きながら、僕は倒れている自転車をそのままに、おそるおそる黒服がいたベンチのそばに歩を進める。

 電灯の下、ベンチの上にそれはあった。
 まるでベンチから生えているように、白猫の頭が置かれていた。
 目と口を大きく開けていて、絶叫しているように見える。

「クビキリ」

 そっと耳元で誰かに囁かれたようではっとし、理解し、僕は尻もちをついていた。打ったお尻がじんじん痛み、呼吸が荒くなり、心臓が早鐘を打ち、心が掻き乱される。

 白猫と視線が交錯する。黄色と青の瞳が、僕を見つめている。
 おぞましい光景なのに、怖ろしいが故に視線を外すことができなかった。

 どのくらいの時間そうしていたかわからない。帰りの遅い僕を心配した妹からの着信でポケットのスマートフォンが震え、僕は我に返った。
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