悪魔のメロディ

文字数 1,460文字

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 初めて会ったマリンは写真で見るよりも愛嬌のある顔をしていた。青い右目は神秘的だけど、この犬の価値は目だけなんかじゃない。

 マリンは、自分の首が切り落とされるかもしれなかったなんて、夢にも思っていないだろう。僕たちを先導して歩き、時々無邪気な笑顔で振り返る。犬は口を開いていると笑っているように見えて、こちらの頬も緩んでしまう。

「犬は呑気なもんだな」

 リードを握る森巣が、尻尾を振って歩く犬を苛ついた顔で見ている。人格者で、みんなの人気者の森巣はいなくなっていた。

「おい、平、まだふらつくか?」
「まだ、少しふらふらするけど、大丈夫だよ」

 頭を軽く振る。が、余計具合が悪くなり、吐き気を覚えた。

「でも森巣、本当にいいのかな? あのままにしちゃって」
「警察には通報したし、別にいいだろ。警察や学校で騒がれると、すごく面倒臭いからな。でも、クビキリ犯を捕まえたってなれば、ヒーロー扱いされるかもしれないな。戻りたければ一人で戻っていいぞ」
「嫌だよ。あの場所に戻るのは怖いし。それに、あの状態の先生をなんて説明したらいいかわからない」
「俺の名前を出したら殺すけどな」

 冗談に聞こえない。

「絶対に、言わないよ」

 柳井を椅子に縛り上げてから、固定電話で百十番に電話をかけ、「動物を殺してるのを見た、クビキリの犯人がいる」とだけ告げて、僕たちは家を後にした。

 森巣曰く、ガレージには柳井の告白通りのギロチンと、血生臭いものが色々あったのだと言う。警察が調べれば、簡単にクビキリと結びつけられるだろう、とのことだった。柳井に拳を振るう森巣も怖かったけど、その後の手際の弱さも恐ろしかった。

「あのさ、森巣、質問があるんだけど……君って二重人格ってわけじゃないよね?」
「んなわけないだろ。学校じゃ愛想ふりまいてるんだけだ。絶対に余計なことは言うなよ。ところで、俺からも質問がある。お前、どうして逃げないで柳井に掴みかかったんだ?」
「それは……体が勝手にっていうやつだよ」
「お前は変わった奴だな」

 君にだけは言われたくない。

 森巣と並んで歩いていたら、自分が胸を張って歩いているような気がした。犬を救い出したことやクビキリの犯人を倒した興奮からなのか、誇らしい達成感が胸に生まれていた。

 犬も興奮しているのか、歩くスピード速くなる。知っている道だとわかったのだろう。もうすぐ家に着く! と喜び勇んでいるのがわかる。

 森巣が瀬川さんの家の前のインターフォンを押した。僕はぼうっとそれを眺めていたら、あることを思い出した。

 森巣には協力者なんていなかったし、彼は犬の懸賞金の額を釣り上げている。
 じわりと額に汗が浮かんだ。
 僕は、悪を恐れずに立ち向かえるのは、正義だけだと思っていた。
 だけど、そうじゃないのかもしれない。

 玄関から瀬川さんが現れ、「マリン!」と叫び、嗚咽を漏らしながら犬を抱き上げた。犬も千切れんばかりに尻尾を振り回し、瀬川さんの顔をぺろぺろ舐めている。森巣は、彼らのことを作った笑顔で見つめていた。

 森巣、君は良い奴なのか? 悪い奴なのか? とじっと見据える。
 不意に、森巣が振り返った。視線が交錯する。

「秘密、守れるよな?」

 森巣が悪魔のような、スマートな微笑みを浮かべた。
 唐突に、頭の中で音が鳴った。初めての経験だ。

 不穏で、それでいて僕を惹きつけるメロディが、頭の中で流れ始めてしまった。
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