被害者の話
文字数 2,385文字
8
隣に座る瀬川さんの様子を窺う。
髪は肩に届かない程度に切りそろえられ、前髪はヘアピンで留めている。制服も着崩さず、知的な雰囲気の赤いチタンフレームの眼鏡をかけていて、今日も委員長然としていた。だけど、寝不足なのか、疲れた顔をし、目も充血気味に見える。
瀬川さんは店にいた森巣に驚いたようだったが、協力してくれるのだと伝えると、やっと少し笑顔になった。
「森巣くん、久しぶりだね。元気だった?」
今、一番元気じゃない人が、他人の心配をするのか、と胸がきゅっと痛くなる。
「俺は元気だけど、瀬川は大変みたいじゃないか」
「大変」と瀬川さんが森巣の言葉を繰り返す。そのことによって、自分の状況を確認しているようだった。
「大丈夫、ごめんね。わたしよりも妹が塞ぎ込んでいて、それが、ちょっと」
同じ家の中で家族が落ち込んでいると、自分も気落ちしてしまうのはわかる。
何と慰めの言葉をかけようかと思案していたら、店員のお姉さんがやって来て、瀬川さんに親しげな口調で声をかけた。
「あら、両手に花。潔子ちゃん、やるじゃん」
はっとした様子で瀬川さんが顔を赤くし、「三田村 さん!」と声をあげる。
「優しそうな彼か、イケメンの彼か。安心かスリルか」
「そういうんじゃないから。からかうならもうお店に来ないよ?」
「それは困るわ。大事なお客様だし」
「大事なお客様なら大事にしてってば」
三田村さんと呼ばれたお姉さんが「ごめんごめん」とけらけら笑う。「もう」とむくれる瀬川さんは、学校では見せない幼さがあった。
「あ、ねえあのケーキ、美紀 ちゃんに喜んでもらえた?」
「……ええ、はい」
「よかった、お誕生日おめでとうって伝えておいてね」
三田村さんは、瀬川さんから注文を受けると、軽快な足取りでカウンターの奥に帰って行った。瀬川さんが、ふーっと息を吐き出して、気恥ずかしそうに僕らのことをちらちら窺ってくる。
「近所に住んでて、わたしのお姉さんみたいな存在というか。逆らえない人というか」
身内の不祥事を弁解するように、瀬川さんが説明を始めた。
「小さい頃からわたしのことを知ってるから、いつまでも子供扱いで。未だに迷子のわたしを見つけてあげたのは自分だって持ち出したりするんだよ」
「子どもの頃のことを知られてるのは、弱みを握られているような感じがするよな」
心から同情しているような口ぶりで森巣が言った。「森巣は別に弱みなんてないんじゃないの?」と反射的に口にする。美談こそあれ、恥ずかしいエピソードはなさそうだけど。
「あるよ」「どんな」「そりゃ言えないよ」「それもそうか」
瀬川さんのレモネードが運ばれて来て、僕たちは話題を「犬探し」に戻す。瀬川さんが委員長らしく、きりっとした顔つきに変わり、議題を切り替えた。
「それで、平くん、学校の方はどうだった?」
「柳井先生が学校側にかけあってくれることになったよ」
「よかった。わたしは家に一度帰ったんだけど、自治会の人からお母さん掲示の許可をもらえたって。これから二人には、分担して貼るのを手伝ってもらえると助かる」
「お安い御用だね。そう言えば、瀬川は警察にはもう行ったの?」
「うん。でも、あんまり期待はできないかもって言われちゃった。やんわりとだけど」
あのとき助けると言ったじゃないですか! と責められるかもしれないだろうか。警察も辛い立場だな、と同情する。
「だから、懸賞金もかけることにしたの」
「懸賞金!?」
初耳だったので、反射的に声をあげてしまった。そんな話は出ていなかった筈だ。
瀬川さんがスクールバッグから、チラシの束を取り出す。
『発見に繋がる情報を提供してくれた方には三十万円をお支払いいたします』
「三十万」
思わず、口からこぼれる。
少ないとか多いとかではなく、その金額をどう捉えたらいいかわからなかった。ただ、お金が絡むと、なんだか嫌な感じがする。
「……お金をかけるのは、なんかちょっと、違くないかな?」
「マリンは家族だし、なんとしても見つけたいってお父さんが言っていて。それに見つけた人にもちゃんとお礼がしたいからって」
「でも、三十万円がマリンちゃんの値段ってわけじゃないじゃないか」
「もちろん、そういう意味じゃないよ! 相場とか、すぐに用意できる金額をお父さんとお母さんが調べて決めたみたい」
瀬川さんが、沈痛な表情で俯くのを見て、はっとする。僕が瀬川さんを追い詰めてどうするのか。
「平、お金は財産だけど、力の一つだよ。ものを買うこともできるし、人を動かすこともできる。出し惜しみしたり、持っている力を使わないのは怠慢だ」
そう、なのだろうか? 人はお金だけで動くわけではないと思い、釈然としない。森巣を窺うと、にこりと微笑まれた。その笑顔からは、無言の圧を感じた。この場でお金について議論をするのは、やめることにする。
「僕も、犬が見つかるのが一番だと思うよ」
「じゃあ、できることをやってみよう。三人揃ったわけだし。文殊だよ、文殊」
森巣が場を和ませつつ、鼓舞するように言った。僕らが力を合わせれば、お金をかけずに力を合わせて見つけられるかもしれない。
「でも、その前にちょっと気になることがあるんだけど」
気になること? と僕と瀬川さんが首を傾げる。お金のこと以外で何かあっただろうか。
「瀬川は犬を拐われたんだよね?」
「……うん、散歩中に突然」
言い淀む瀬川さんの返事を聞き、森巣がこつこつ、こつこつとテーブルを指で叩いた。
どうしたの? と僕が訊くより先に森巣は口を開いた。
「現場に案内してくれないかな?」
隣に座る瀬川さんの様子を窺う。
髪は肩に届かない程度に切りそろえられ、前髪はヘアピンで留めている。制服も着崩さず、知的な雰囲気の赤いチタンフレームの眼鏡をかけていて、今日も委員長然としていた。だけど、寝不足なのか、疲れた顔をし、目も充血気味に見える。
瀬川さんは店にいた森巣に驚いたようだったが、協力してくれるのだと伝えると、やっと少し笑顔になった。
「森巣くん、久しぶりだね。元気だった?」
今、一番元気じゃない人が、他人の心配をするのか、と胸がきゅっと痛くなる。
「俺は元気だけど、瀬川は大変みたいじゃないか」
「大変」と瀬川さんが森巣の言葉を繰り返す。そのことによって、自分の状況を確認しているようだった。
「大丈夫、ごめんね。わたしよりも妹が塞ぎ込んでいて、それが、ちょっと」
同じ家の中で家族が落ち込んでいると、自分も気落ちしてしまうのはわかる。
何と慰めの言葉をかけようかと思案していたら、店員のお姉さんがやって来て、瀬川さんに親しげな口調で声をかけた。
「あら、両手に花。潔子ちゃん、やるじゃん」
はっとした様子で瀬川さんが顔を赤くし、「
「優しそうな彼か、イケメンの彼か。安心かスリルか」
「そういうんじゃないから。からかうならもうお店に来ないよ?」
「それは困るわ。大事なお客様だし」
「大事なお客様なら大事にしてってば」
三田村さんと呼ばれたお姉さんが「ごめんごめん」とけらけら笑う。「もう」とむくれる瀬川さんは、学校では見せない幼さがあった。
「あ、ねえあのケーキ、
「……ええ、はい」
「よかった、お誕生日おめでとうって伝えておいてね」
三田村さんは、瀬川さんから注文を受けると、軽快な足取りでカウンターの奥に帰って行った。瀬川さんが、ふーっと息を吐き出して、気恥ずかしそうに僕らのことをちらちら窺ってくる。
「近所に住んでて、わたしのお姉さんみたいな存在というか。逆らえない人というか」
身内の不祥事を弁解するように、瀬川さんが説明を始めた。
「小さい頃からわたしのことを知ってるから、いつまでも子供扱いで。未だに迷子のわたしを見つけてあげたのは自分だって持ち出したりするんだよ」
「子どもの頃のことを知られてるのは、弱みを握られているような感じがするよな」
心から同情しているような口ぶりで森巣が言った。「森巣は別に弱みなんてないんじゃないの?」と反射的に口にする。美談こそあれ、恥ずかしいエピソードはなさそうだけど。
「あるよ」「どんな」「そりゃ言えないよ」「それもそうか」
瀬川さんのレモネードが運ばれて来て、僕たちは話題を「犬探し」に戻す。瀬川さんが委員長らしく、きりっとした顔つきに変わり、議題を切り替えた。
「それで、平くん、学校の方はどうだった?」
「柳井先生が学校側にかけあってくれることになったよ」
「よかった。わたしは家に一度帰ったんだけど、自治会の人からお母さん掲示の許可をもらえたって。これから二人には、分担して貼るのを手伝ってもらえると助かる」
「お安い御用だね。そう言えば、瀬川は警察にはもう行ったの?」
「うん。でも、あんまり期待はできないかもって言われちゃった。やんわりとだけど」
あのとき助けると言ったじゃないですか! と責められるかもしれないだろうか。警察も辛い立場だな、と同情する。
「だから、懸賞金もかけることにしたの」
「懸賞金!?」
初耳だったので、反射的に声をあげてしまった。そんな話は出ていなかった筈だ。
瀬川さんがスクールバッグから、チラシの束を取り出す。
『発見に繋がる情報を提供してくれた方には三十万円をお支払いいたします』
「三十万」
思わず、口からこぼれる。
少ないとか多いとかではなく、その金額をどう捉えたらいいかわからなかった。ただ、お金が絡むと、なんだか嫌な感じがする。
「……お金をかけるのは、なんかちょっと、違くないかな?」
「マリンは家族だし、なんとしても見つけたいってお父さんが言っていて。それに見つけた人にもちゃんとお礼がしたいからって」
「でも、三十万円がマリンちゃんの値段ってわけじゃないじゃないか」
「もちろん、そういう意味じゃないよ! 相場とか、すぐに用意できる金額をお父さんとお母さんが調べて決めたみたい」
瀬川さんが、沈痛な表情で俯くのを見て、はっとする。僕が瀬川さんを追い詰めてどうするのか。
「平、お金は財産だけど、力の一つだよ。ものを買うこともできるし、人を動かすこともできる。出し惜しみしたり、持っている力を使わないのは怠慢だ」
そう、なのだろうか? 人はお金だけで動くわけではないと思い、釈然としない。森巣を窺うと、にこりと微笑まれた。その笑顔からは、無言の圧を感じた。この場でお金について議論をするのは、やめることにする。
「僕も、犬が見つかるのが一番だと思うよ」
「じゃあ、できることをやってみよう。三人揃ったわけだし。文殊だよ、文殊」
森巣が場を和ませつつ、鼓舞するように言った。僕らが力を合わせれば、お金をかけずに力を合わせて見つけられるかもしれない。
「でも、その前にちょっと気になることがあるんだけど」
気になること? と僕と瀬川さんが首を傾げる。お金のこと以外で何かあっただろうか。
「瀬川は犬を拐われたんだよね?」
「……うん、散歩中に突然」
言い淀む瀬川さんの返事を聞き、森巣がこつこつ、こつこつとテーブルを指で叩いた。
どうしたの? と僕が訊くより先に森巣は口を開いた。
「現場に案内してくれないかな?」