盗難事件

文字数 2,912文字

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 隣のベッドのカーテンが今日も開いている。つるんと禿げ上がった頭の磯貝さんと目が合う。彼は不機嫌そうに眉に皺を寄せた。「なんだよ」

「あの、ここにあった、僕の大きな紙袋知りませんか?」
「おれは別にお前のベッドを見張ってるほど暇じゃねえよ。松葉杖に慣れねえから、じっとしてるだけだ」
「ですよね、すいません」
「あ、でも、変な奴は来なかったな。お前がいなくなった後、カーテンを開けてのんびりしてたんだよ。ずっとカーテンをしてると、なんだか狭っ苦しいだろ?」

 カーテンをしていないとプライバシーが守られていない気がするので僕は嫌だけど、「確かに、そうですね」と同意してみせる。

「理学療法士がお前に会いに来たけど、留守だって教えてやっといたぞ。あんまりうろちょろして、病院の奴らに迷惑をかけるなよな」

 あなたに言われたくない、と喉まで出かかったが素直に「すいません」と謝る。

 が、だとすると、誰が盗んだのだろうか。

 お菓子は構わないけど、静海から借りている漫画は返して欲しい。森巣に相談したら、「袋はどこそこにあるんじゃないか」とあっさり推理してくれるのではないか、という期待と、今何しているかなと気になって、

『ちょっと事件が起きたんだけど、相談に乗ってくれないかな』

 とメッセージを送った。
 メッセージが送信済み表示になってから、「あ」と声が漏れる。

 まさか滑川絡みではないよな、と急に不安が込み上げてきた。キノコ男が滑川のついでに僕をなんとかしようと思ってやって来たのではないか。

 巻き込みたく無いと思い、慌てて『さっきのはなんでもない』と打ち込んでいるときに、『食堂に来てくれ』と森巣からメッセージが飛んで来た。

 返信の速さに驚きつつ慌てて病室を出てエレベーターへ向かう。スイッチを押そうかと手を伸ばした時、ピポーンと音がして扉が開いた。
 中に乗っていた看護師さんが、僕を見て「あ」と声をあげる。

「平くん、ちょっといい?」

何 事かと身構えたら、見覚えのある袋を差し出された。盗まれたと思っていた僕の袋だった。中を確認すると、少女漫画と地元銘菓の箱が入っていたので間違いない。どこでこれを?

「落し物で届いてたよ。この漫画、読んでたよね?」



 看護師さんと話した後すぐに食堂に向かうと、森巣は昨日と同じ場所に座っていた。てっきり僕が待つものだとばかり思っていたので、どうしてもういるのかと驚く。

 が、他にも驚いたことがある。森巣の向かいの席には髪を後ろで結った女医さんが座っていた。何かを話している様子だったが、僕が来たことに気付くと森巣が手を挙げ、そして女医さんも僕を一瞥して席を立ち上がった。

 女医さんとすれ違う。チタンフレームの眼鏡が似合っているけど、表情が硬く、冷たい近寄りがたい雰囲気のある綺麗な人だった。

「今の人は? お医者さんをナンパしてたわけじゃないよね」
「まさか。ナンパはするもんじゃなくてされるもんだからな」

 病院で何をしているのか、と顔をしかめる。昨日も森巣がいる間、看護師さんが代わる代わる様子を見に来ていたな、と思い出す。

 改めて森巣の顔を見る。僕や同級生とは顔の造形が違う。神様が、「本気で作るか」と意気込んだのではないかと思えるくらい、森巣の顔は整っており、そして人を魅きつける儚さと危うさのある顔をしていた。が、目の下に昨日よりクマが目立っている。

「早いね」学校は? と訊こうかと思ったが、行っていないのだろう。
「近くにいたからな。で、何があったんだ?」
「ああ、別に、なんでもないよ」
「いじけるなよ。さっきの女はそういうんじゃないぞ」
「いじけてないし、本当になんでもなかったんだ。これ、待たせたお詫び。好きだろ、甘いもの」

 袋に入っていた菓子を差し出すと、森巣はじっと見つめていた。

「地元銘菓って食べる機会がないけど、結構美味しかったよ」

 森巣が菓子をブレザーのポケットにしまった。今食べないのかと眺めていると、「呼び出したんだから、勿体ぶらないで話せよ」と促された。大袈裟な話題にしてしまったことに、申し訳なく思いながら、責任感を覚えて説明をする。

「なんてことはない話だけど、図書室に行って戻って来たら、漫画とお菓子を入れた袋がなくなってたんだ。隣のベッドの磯貝さんによると、僕のベッドに来たのは理学療法士さんくらいで、不審者は来てないらしい」
「もうリハビリするのか? 早いな」

 血流とか筋肉を弱らせない為に、リハビリはもう始まっている。それよりも、だ。

「で、袋を誰かに盗まれたと思ったんだけど、帰って来たんだ。看護師さんから落とし物だよって渡された。同じ階の喫茶スペースにあったらしい。地味な話だろ? どうせ犯人は磯貝さんだろうし」
「磯貝って、隣のベッドの患者か。どうしてそう思うんだ」

「森巣は、春に犬探しをしたことのこと覚えてる?」
「ああ、あれからもう三ヶ月経つのか、懐かしいな」

「そんなのんびりした反応しないでよ。あの時、犯人が犬を盗んで逃げたって嘘を吐かれていただろ? 存在しない犯人の話を聞いて、僕はそれを信じて調べていた」
「あったな、そんなことも。懐かしい」

「だからしみじみしないでよ。で、これはそれと同じなんだよ。磯貝さんは、理学療法士さんが来たって嘘を吐いたんじゃないかな?」
「どうして」

「理学療法士さんが盗む理由がないじゃないか。大方、磯貝さんがお菓子の盗み食いでもしたかったんじゃないかな?」
「だったら、袋ごと盗むのはおかしいだろ」

「そっか。じゃあ、少女漫画を」と口にしながら「四十冊隠れて読破しようとはしないよね」と考えを否定した。

 こうなってくると、目的がわからず、不可解だ。

 不可解と言えば、僕の弾き語りを聴いて百万円払い、その後ゾンビの真似事をして警察に逮捕された大学生がいた。あのときのゾンビ大学生程ではないものの、磯貝さんの行動はおかしい。

 もしやこれも、あのときと似た様な理由なのではないか、と考えが浮上してくる。

「磯貝さん、何か弱みを握られていて盗みをさせられたって考えられないかな?」
「ゾンビの大学生みたいにか?」森巣も同じことを考えていたようだ。
「そういうこと。大事なのは結果だって森巣はよく言っていただろ。結果から考えるとどうなるだろう」

 そう口にし、頭の中で考えをこねる。お菓子も少女漫画も、盗まれたけど戻ってきた。
 結果何も変わってなかったな、と肩をすくめて森巣を見る。
 困ったことがあり、森巣とこうして話しているだけだ。

 その時、嫌な想像が浮かび、じわっと冷や汗が浮かんだ。

 僕は何に気づいたのか、とじっと森巣の顔を見つめていたら、頭の中で閃光が焚かれた。

 それは、真相を照らし出す鮮やかなものではなく、閃いたせいで闇が濃くなるのを思い知らせるようなものだった。

 森巣のいつもの推理方法は正しい。僕は自分が迂闊なことをしたと、唇を噛んだ。

「どうした」
「森巣、まずいことになったかもしれない」
「骨を折られて入院して、盗難の被害に遭って、まだ平はまずいことになるのか?」

 森巣が余裕を感じさせる笑みを浮かべるが、危ないのは僕じゃない。

 君だ。
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