溺れるヤギが藁をも掴む

文字数 4,521文字

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 パグに似たおじさんは、「私、店のオーナーの八木橋(やぎはし)です。覚えてますか?」と言いながら、僕らのいるテーブルの脇に立った。パグではなくヤギ、と頭の中で修正しながら、ヤギのマスクを被って強盗する事件が紐づけられる。

「ああ、覚えてるぞ。店はあれからどうなんだ」
「事件の後、お客さんが増えましたね。言う機会がなかったんですけど、私のことを黙っていてくれてありがとうございました」
「もう悪事はしてないだろうな」

 森巣が猫を被っていないので、おや、と感じたが、八木橋さん相手に推理を披露したことがあり、あの時もこのモードだったなと思い出す。

「実は」と言いかけて、「いや、やっぱりなんでもないです」と八木橋ささんが口籠もり、立ち去ろうとする。

「座るか?」

 座らせるの? と森巣の顔を見て、椅子を引く八木橋さんを見て、座るんですか? 驚く。森巣が少しずれ、隣の席に八木橋さんが腰掛けた。

 座った八木橋さんは俯いたまま、テーブルの上のコーヒーを飲もうとせず、黙り込み、そして疲れを伝染させるみたいな、大きな溜息を吐き出した。弱っているのが放っておけず、思わず「それで、どうしたんですか?」と声をかけてしまう。

「悪いことをするもんじゃないですね」

 タバコで肺を悪くしたという検査結果でも出たのだろうかと思ったのだが、違った。

「滑川って覚えてますか?」

 また滑川の名前が出てきた、と体が強張る。

「ちょうど平と、今頃殺されてるんじゃないかって話をしてたところだ」
「もう殺されてるでしょうね。でも、滑川じゃない」
「どういうことだ?」
「三人組が滑川の家を見つけて侵入したらしいんですよ。ちょうど、仕入れた器具の手入れをしていたみたいで、滑川が撃退して。襲撃犯の内、二人は殺されたそうです」

 二名だけ? 滑川はどうなったのか? と気になった。

「それで、滑川は?」と森巣が詰問する。
「滑川は今頃––」

 八木橋さんが、ゆっくりと天を見上げる。釣られて目をやると、蛍光灯が眩しかった。

「いるんですよ、この病院に」
「いるって誰がですか?」
「滑川ですよ。あばらと足を折られて入院してるんです。ギプスで体中を固められてるのに、ベッドで王様みたいに寝っ転がってますよ」

 いる? この病院に? と思わず、周囲に視線を向けてしまう。が、僕は滑川の姿も知らないし、病室にいるんだったな、と落ち着いて考え直す。

「僕も骨を折られて入院してるんですよ。整形外科の病床だったら同じ階なんですけど」
「滑川は別の階にいますよ。あいつは特別な個室にいますからね。VIP専用、私の住むマンションよりも広くて綺麗な部屋ですよ。でっかいテレビでサブスクも見放題の」

 そう口にしてから、八木橋さんが僕らの顔を交互に見てから、テーブルにつくんじゃないかというくらい深々と頭を下げた。突然のことに、面を食らってしまう。

「力を貸してもらえませんか?」

 八木橋さんが、切迫した様子で悲痛な声をあげた。森巣と顔を見合わせると、薄っすらと笑みを浮かべていた。その笑顔の意味がわからないけど、「頭を上げて下さい」と八木橋さんに声をかける。「どうして僕らなんかに」

「強盗ヤギの件も丸く収めてくれましたし、お二人ならどうにかするアイデアを考えてくれるんじゃないかと思いまして」

 藁にもすがる様子で、八木橋さんが顔をくちゃくちゃにする。実際、高校生に頼むくらい困っているし、他に頼れる人がいないのだろう。

「具体的に、どうしたいんだ。あんたはこの病院で何をしてたんだ?」
「まだ滑川に脅されてるんですよ。強盗事件でグルだったことをバラされたくなかったら、言うことを聞けって。一生このままなんじゃないかと怖くなりまして、それでこの機になんとかしたいんです」

 悪事に手を染めるということは、そういうことなのだろう。償わなければ一生付きまとうし、背負い込んで引きずって、それでも生きるということだ。が、泥沼の中から手が伸びて来て、その邪魔をされ続けるのは不憫だし、困り、助けを乞うてきているのを放って置くのも、気が引けてしまう。

「滑川は八階か」森巣が低く、険のある声で訊ねた。
「ええ、そうです。よく知ってますね」
「八階?」と僕は二人の顔を交互に見る。
「七階が個室病室の階だが、八階はVIP専用なんだよ」
「どうして入院患者の僕より詳しいんだ」と口を挟んだが無視された。
「その、特別個室にいます。けど、病室に乗りこめませんよ。どんな人脈があるのか、病院のスタッフも一部の人間しか近付けないようになってますし、部屋の前には護衛が二人も付いてるんで」

 話が不穏な方向に転がっていくのを感じて、胸がざわついた。

「まさか、滑川を襲撃するつもりじゃないよね?」
「居場所が割れていなかった男が、動けずにじっとしている、これはチャンスだ」
「聞いてただろ、セキュリティが厳重なんだ。行って、捕まったらただじゃ済まないぞ」

 これで、森巣が黙ってくれると思った。が、代わりに八木橋さんが口を開いた。

「だったら、二日後、二日後はどうでしょう?」
「二日後? 七月七日か? よりによって」と森巣が、露骨に顔をしかめた。
「七夕に何かあるの?」
「いや、断じて何もない。続けてくれ」

 八木橋さんが困惑しつつも「あ、はい」と頷き、話を続けた。

「あいつ、女を病室に呼んでるんですよ。借金があったり弱みを握られている女を、何人も言いなりにさせてるんです。信じられますか?」
「骨が折れてるのに、タフな奴だな」

「いやいや、ここは病院だろ?」と指摘しつつ、高校生にする話じゃないでしょ、と八木橋さんを睨む。が、彼は夢中になっていてどこか興奮した様子で鼻の穴を膨らませていた。「八木橋さんに協力したい気持ちはありますけど、襲撃なんてできないですよ。女の人を呼んでるとしても、僕らは男だから近づけないことには変わりはないじゃないですか」

 それに、滑川の病室に行って何かをするなんて、暴力に纏わる不穏なことが待ち受けている気がして、反対だ。

 が、森巣は乗り気だった。こつこつ、こつこつ、と森巣の指がテーブルを規則的に叩き、彼の頭が回っているのだとわかる。

「それなら、俺ならなんとできるな」
「なんとかって?」
「俺が女装をして、八木橋に案内してもらう。俺なら護衛を騙せるだろうからな」

 確かに、森巣の顔には女性的な美しさがある。それは騙せるかも、と一瞬思ってしまったが、「危険だ」と声をあげる。「滑川の個室に潜り込めても、話をしたら騒がれるぞ。そうしたら護衛をどうするもりなんだよ」と異議を重ねた。

「それは、私がなんとかします。テーザー銃を滑川が持っていたんで、それを奪っておいて護衛に撃ちますよ」

 テーザー銃とは、相手の体に高圧電流を打ち込む道具だ。そう言えば、クビキリ事件を起こした柳井も持っていたな、と思い出す。あれも、滑川からレンタルをしたものだと言っていた。

 どんどん物騒な話になっていき、冷や汗が浮かび、口の中が乾く。

「まさか、やる気じゃないだろうね?」
「馬鹿が仕留め損ねた馬鹿をやらない手はないな」
「やらない選択肢はある。警察に任せるんだ。今、ここで通報すればいいだけじゃないか」

 そう言うと、八木橋さんが「それは困ります!」と眉を歪めた。

「滑川は犯罪のアイデアを売ってましたけど、彼が何かをしたわけじゃない。証拠がないんで、通報しても無駄ですよ。名前だって本名かどうか」

 森巣が犯罪起業家みたいな奴だと言っていたなと思い返す。そんな悪に僕らが何をできると言うのか。

「でも、滑川の病室に乗り込んで、どうするつもりなんですか」
「一人、滑川を襲った奴男が逃げたんですよ。滑川は麻薬売買に関するチームを買収したみたいなんですが、納得しなかった人から恨みを買って、それで襲撃されたらしいです。私がどうにか、その逃げた一人を見つけ出します。彼に滑川を引き渡せば、解決すると思いませんか?」

 その計画は当てにして良いのか、他力本願じゃないかという気もし、納得できない。

「あと、病院から逃走する為の車を用意しておけよ」
「おい!」

 珍しく大声をあげたが、森巣は動じた様子がなく、ちらりと僕を一瞥しただけだった。

「滑川のことをどうでもいいとは思わないよ。僕だって、困っている人も放って置きたくはない。でも、君がすべきことなのか?」

 いくつかの事件を、一緒に立ち向かった。でも、僕らは高校生じゃないか、と思った。
 何故、今更僕が怖気付くのか、それは腕を折られたからかもしれない。危険な目に遭えば、ただでは済まない。森巣に何かあったら、と心配になっていた。

「俺がするべきことだ。滑川は町を汚すゴミだ。ゴミは拾って捨てる、それだけだ。誰かがなんとかするだろうなんて期待はしちゃいない。俺は自分が正しいと思うことをする」
「君は周りと足並みを揃えようとは思わないのか?」

 森巣は僕を見て喋ってはいるが、僕に向かって語ってはいない。自分自身に言い聞かせているようだった。

 彼は誰も信用していないのだ。

「さっき、僕を襲った奴を殴るって約束したじゃないか。その約束を後回しにするのか?」
 少なくとも、滑川を襲撃することよりも森巣にとっては安全なのではないか、という苦肉の提案だった。

 森巣がはっとした様子で、「それは、まあ、そうだが」と言い淀む。
 その時、スマートフォンが振動する音がして八木橋さんが確認し、顔をしかめた。

「呼び出されちゃったんで、私は行きますね。これ、後で電話下さい」

 そう言ってテーブルの上に名刺を一枚置くと、いそいそと立ち上がった。テーブルの上には、一口も飲まれなかったカップが置かれたままで、すっかり湯気もなくなっている。

「なあ、一つ質問をいいか? 滑川が襲われたのはいつのことだ?」
「先週の金曜日、六時頃だったと思います」
「平、そういうことだ」
「どういうこと?」
「平と滑川を襲ったのは、同一グループだ」

 頭の中で、時系列を組み立てる。僕が襲われたのは、五時過ぎだった。キノコ男は僕に暴行を働いてから、滑川のいる隠れ家を襲撃した、ということか。だけど、そのことについてどう反応していいかわからない。

「滑川を引き渡す相手、そいつはお前の腕を折ったグループの一人だ。もしかしたら例のキノコ男かもな。滑川を追うことでそいつにも辿り着ける、だろ? 俺も、これからそいつらを調べてみる」

 別の車線を用意したのにあっさりと合流されてしまい、唇を嚙む。滑川が入院していることをキノコ男が知っていたら、八木橋さんのコンタクトを待たず、ここにやって来るかもしれない。巨大な暗雲が、ゆっくりと近づいて来るようだった。嵐の気配だ。

「あと、さっきの質問への答えは、思わない、だ」
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