暗号解読

文字数 2,996文字

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 小此木さんは、世間の注目を集めている事件の、重要な暗号を解いたらしい。が、得意げな様子をおくびも出さず淡々としていた為、自分が話題の勘違いしているのではないかとさえ思ってしまう。

 だから、「強盗ヤギのやつ」と小此木さんが言ったとき、「やっぱり!」とテンションの高い声をあげてしまった。

「強盗ヤギが好きなのか?」

 ミーハーな奴め、と呆れるような口調で森巣に言われ、「そういうわけでは」と弁解する。

「銃で脅してお金を奪うなんて、最低だ。森巣だってそう思うだろ?」
「俺は別に、強盗や犯罪者自体は嫌いじゃない」
「前に弱い者いじめは嫌いだって言っていなかったっけ?」
「ブッチとサンダンス・キッドも、ボニーとクライドも弱い者いじめはしてないだろ?」

 同級生について語るように外国人の名前が会話に出て来たので、誰? と困惑する。すると森巣は、「観てないのかよ」と大袈裟に肩をすくめた。

「『明日に向って撃て!』と『俺たちに明日はない』だ。映画は最高の教科書だぞ」
「わたしもその映画知らない」
「生徒会長が聞いて呆れる。知識がない、とバカにされるぞ」
「そんなバカの相手はしないので結構です」

 ふん、と森巣は口をへの字にしたが、小此木さんから受け取ったルーズリーフを眺め、満足そうに頷いた。海賊が宝の地図を眺めて悦に浸るような、悪人面になっている。

 野次馬的だと思いつつ、呼び出されたのだから僕にも権利があるとも感じ、森巣の持っているルーズリーフを覗き込む。暗号が解けたという話は、観たことのない映画の内容よりも気になった。

 紙には、例の○×のマークと、綺麗な文字が書かれていた。赤い文字でアルファベットの羅列が、その下には青い文字で英文が整列している。

『ndumznmwqendqmp Brian bakes bread』
『vuyiqzffaomrq Jim went to cafe』
『dazqmfezmmpxqe Ron eats noodles』
『danqdfrauzpnqmfxqembbuq Robert found beatlesapple』

 青い英文は、ちゃんと意味が通じるものになっていた。

「これ、小此木さんが解いたんですか?」
「そうよ。大したことはしてないけど」
「いやいや、すごいですよ。僕にはただの文字化けにしか見えなかったですもん。どうやって解いたんですか」
「これはとても単純なものだったから。出てくる平字の頻度にムラがあるから、予測はすぐにできたし、鍵字を使って変換を混ぜ合わせていなかったから、規則を見つけたらするするわかる、本当に簡単なものよ」

 小此木さんが滔々と教えてくれているが、理解はできなかった。僕はなるほど鍵字ですね、とわかっていないくせに、曖昧に頷く。

「これは、アルファベットのAをMにして、並び変えたものだったの。BはN、CはOって感じ」

 僕の心中を察してか、小此木さんが諭すような口調で続けてくれた。頭の中で鍵が外れていく。「っていうことは、DはPですね」

「そういうこと。文字をずらすシーザー暗号っていうシステムなの。もう解読してる人もいるんじゃないかな」
「もしかして一つずつ、ずらして検証したんですか?」

 小此木さんは、「まあ、一応」と答えてから、はっとした様子で森巣を見た。

「面倒臭そうだから、わたしに任せたんでしょう!」
「信頼しているからに決まってるじゃないか。それに好きだろ、そういうのを解くの」
「まあ好きだし、スッキリしはたけど」そう言って簡単に森巣を許す小此木さんを見ていたら、二人はなんだか仲の良い姉弟に見えた。
「だけど、これってどういう意味なんでしょうね」
「ブライアンはパンを焼く、ジムはカフェに行く、ロンは麺を食べる」

 詩を読み上げるように、森巣が口にする。よく通る声をしているので、何か特別な哲学や深い意味があるようにさえ思えた。

 こつこつ、こつこつと規則正しい音がするので何かと思えば、森巣が机の上を叩く音だった。人差し指から小指までを順に、ピアノの鍵盤を弾くみたいに動かしている。前にも見たな、と思い出す。彼の考えるときの癖なのかもしれない。

「霞、この解読は合ってるのか?」
「と、思うけど、どうして?」
「ロバートはカブトムシの林檎を発見する、ここがよくわからん。カブトムシの林檎ってなんだ? 餌か?」
「ああ、そこね。所有格のsだと思うんだけど、アポストロフィーがないんだよね」

 やり取りを聞きながら、自分の頭の中で閃光が焚かれた。

「ビートルズ!」

 反射的に口をついていた。森巣の指が止まる。二人からの視線が集まり、どきりとする。森巣が怪訝な顔をしたが、小此木さんは「あー」と感心するように嘆息をあげた。

「そういうことかぁ」「なんだよ」「どうして気付かなかったんだろ」「だからなんだよ」

 森巣が苛立ち、舌打ちをする。僕は慣れて来たのか、森巣が歯噛みしているのを見ても、はらはらしなくなっていた。焦らされるのがかわいそうだとは思わないけど、勿体ぶるほどのことではないと思うので、説明をする。

「訳は、『カブトムシの』じゃなくて、『ビートルズ』なんだよ、それでアップル」

 そう伝えると、森巣はきょとんとした。
 すぐに説明を求む、と眉を寄せる
 小此木さんが「あれー?」と愉快そうに声をあげた。

「知識がない、ってバカにされちゃうよ?」
「根に持つとは性格が悪いな」
「見かけによらないでしょ?」

 不毛だ、と森巣が口を尖らせ、僕を見た。説明の催促をしてくるように手招きをしてくる。求められ方は癪だが、教えてあげることにした。

「ビートルズが作ったレーベルがアップル・レコードって言うんだよ。そのシンボルマークが、林檎なんだ」

「ビートルズねえ」と興味がなさそうに言った。映画の話をしていたときの熱量はない。

「一応教えておくけど、ビートルズの映画もあるよ」
「『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』なんて名前の映画、観る気は起きないな」

 僕と話をしながら、森巣は制服のポケットからスマートフォンを取り出して操作し始めていた。画像検索でもかけていたのだろう。バンド名が書かれた青リンゴが表示されているはずだ。

「グラニースミスという種類の青リンゴなのか」
「品種までは知らないけれど」
「日本じゃ珍しいみたいだぞ」

 知ってました? と訊ねるように視線を向けると、小此木さんも首を横に振った。

 小此木さんによって、強盗ヤギの暗号文の解読はできた。だけど、その意図がわかっていない様子だ。各々が考え込み、美術室に沈黙に包まれる。

 なんとなく、次に口を開いた人が正解を言わなければいけないような雰囲気になったような気がする。ので、僕は思考を放棄して、二人が何か言うのを待つことにした。ストローを咥えて、飲料ヨーグルトをすする。が、中身が空になり、ずずずと音がした。お昼ご飯を食べていないから、お腹も空いているし、頭も回らない。

「糖分が必要だな。放課後に甘いもんでも食べに行こう」

 森巣がそう提案し、正解、と思って僕は条件反射で頷いてしまった。
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