森巣良との出会い
文字数 2,908文字
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思わず息を呑んだ。
彼の白と黒が印象的だった。傷やにきび跡の一つもない白い肌、それとは対照的な濡れ羽色をした柔らかそうな髪をしている。彼と視線がぶつかる。切れ長の二重瞼の瞳からは、芯の強い冷たさと、安堵したくなるような優しさを感じた。中性的な顔立ちだけど、精悍な男らしさがある。イケメンと言うには言葉が安い。男の僕でもはっとするくらい、整った顔立ちをしていた。
「大丈夫? じゃないよね。見てたから」
僕は「ああ」とか「うん」とか曖昧な言葉を返す。クラスは違うけど、同級生の女子が彼のことを格好良いと噂しているのをよく耳にしていたので、芸能人に話しかけられたような、そんな当惑を覚えた。
これが僕と森巣良 との出会いだった。
「なんだよ、お友達か?」
「いや、彼とは初対面ですけど」
「じゃあ、正義の味方気取りってわけかよ」
「自分が悪って認めるんですね」
茶髪に茶化されても、森巣は爽やかな表情のまま答えた。飄々としていた茶髪の表情がカチンと音を立てるように固まり、そのまま体を揺らしながら詰め寄った。
「何? バカにしてんの?」
「バカにはしてませんよ。ただ、バカみたいだなとは思いましたけどね」
森巣が淡々とそう言うと、細眉も加勢するように茶髪に並んだ。まずい、危ない、と僕も慌てて立ち上がり、森巣の隣に並ぶ。が、この場を収める方法は思い浮かんでいない。
「死にてえの?」
茶髪が森巣の胸ぐらを掴み上げた。森巣の方がやや高く、動じた様子を見せていない。怯えた様子もない。胸ぐらを掴まれたことで、見下すように二人に視線を向けていた。
「生意気言ってんじゃねえよ」
「先輩、俺のことを殴るんですか?」
「それはお前の態度次第だっつうの」
「先輩が殴ったら、俺はその足で職員室に行きますよ。それで、校内で暴力行為があったと先生に報告します。生徒手帳の三十四ページに書いてありますからね。『暴力行為はことのいかんと問わず禁ず』って」
「せんせぇ、せんぱいに殴られましたよおって泣きつくわけか」
「泣きはしませんけど、生徒手帳十六ページの退学項目には『暴力行為を働いたと認められる者』ともあります。先輩はこれで一発退学になるわけです」
「格好つけて、チクりますって言いたいわけかよ」
細眉と茶髪が嘲笑するように、顔を見合わせた。お利口さんだな、とほくそ笑んでいるのが伝わってくる。模範的な生徒は害がない、と判断しているのだろう。
そろそろ、その手を離してくれませんか、と僕が言いかけたとき、森巣が声を発した。
「で、一分以上経ちますけど、どうするんですか?」
「どうする、はこっちのセリフだろうが。お前、どうすんだ? 謝んのか?」
「質問をしてるのは俺ですよ」
瞬間、空気がぴりりと張り詰め、産毛が逆立つのを感じた。森巣が苛立った? と顔色を見る。森巣は笑顔を崩していないが、目だけは笑っていなかった。
「俺はチクったって思われてもいいし、先輩たちがやり返しに来てもいいとも思ってますよ。で、先輩の方は退学するのかしないのか、覚悟があるのかないのか、教えて下さいよ」
胸倉を捕まれているのは森巣だ。
なのに彼は終始、表情を崩していない。
細眉と茶髪の方は、森巣の口から出た「退学」という言葉に絡め取られているようだった。殴れば退学、と二人が理解していくのが見て取れた。脅されているのはどっちだ? と混乱する。
森巣の言動は正しい。堂々とした彼の態度にすっきりするよりも、僕はハラハラした。追い詰められたら人は何をするかわからない。
「すいません!」
三人が僕を見る。誰かが謝らなければ引っ込みがつかない。「あの、もともと悪いのは僕だし、あの、その、もう」
森巣の顔色を窺う。意図が通じたのか、森巣が微笑んだ。
「おい、もう行こうぜ」
茶髪が面白くなさそうに舌打ちをし、突き飛ばすように森巣から手を離した。二人はそのまま、振り返ることなく、校門の外へと向かって行く。それを見ながら、ほっと胸を撫で下ろした。そして、森巣に向き直る。
「もう少し、だったんだけどな」
森巣が冷ややかな口調でそう呟いた。
もう少しで、なんだったのだろうかと考えを巡らせる。もう少しで殴られていた、本気で退学をさせようと思っていたのか? と困惑する。
「なんてね」
笑顔を向けられ、冗談かと安堵しつつ「ごめんね、助かったよ」と礼を言う。
「助かったのはこっちだよ。あのまま殴られるところだった」
森巣がそう言って、白い歯を覗かせる。「怖い怖い」と口にしているけど、とてもそんな風には見えなかった。
上級生たちと入れ替わりに、男女四人が駆け寄って来た。活発そうな背の高い男子や、髪にゆるいパーマのかかった女子たちだ。みんな安堵の色を浮かべ、森巣の引力に導かれるように彼を取り囲んでいる。
「大丈夫?」「ちょっと、無茶しないでよ」「びっくりしたぞ」「何、何があったの?」
と口々に森巣に声をかけ、森巣が「大丈夫大丈夫」と落ち着かせている。どうやら彼らとの下校中に、上級生に絡まれている僕を見かけて飛び出して来てくれたようだ。
宥められ、ひと段落した後に、みんなが「で? 誰? 何?」という顔で僕を見る。森巣を解放しなければと思いつつ、僕は集めたチラシを一人ずつに手渡した。
「実は、同級生の犬を探してるんだ」
森巣がチラシを受け取り、眺める。
「瀬川の犬か」
「森巣君も瀬川さんのこと知ってるの?」
「ああ、去年クラスの委員長だったからね」
「今のクラスでもだよ」
「瀬川は……あれ、俺、自己紹介したっけ?」
「有名だよ。噂を聞いてる」
「噂?」
「ええっと、少女漫画に出て来そうだって。うちのクラスの女子が話してたのを」と説明をすると、「何その噂」と森巣が愉快そうに笑った。
「交通事故にあって記憶がなくなったり、重い病気で死なない役だといいな」
彼が少女漫画に出てくるなら、ヒロインを救う王子様みたいな役だろう。周りの女子たちも、「なんかわかるか」とささやき合っていた。
「じゃあ俺も犬を見かけたら瀬川に連絡するよ」
「ああ、うん。そうしてもらえると助かる。殺される前に見つけたいんだ」
「殺される?」
森巣が怪訝な顔をした。
ぽろりと口から零れてしまったので、取り繕うように作り笑いを浮かべてみたが、森巣はじっと僕を見つめた。
脅されているわけではない、だけど早く話した方がいい、不思議な焦りを感じさせる眼差しだった。
「実は、“クビキリ”の犯人を見たんだ。それで--」
『二年一組の平優介 、二年一組の平優介、校内に残っていたら第二職員室まで来るように』
校内放送が響く。しばらく宙を眺めながら耳を傾けた後、僕と森巣は顔を見合わせた。
それで? と森巣の顔に書いてあるが、また僕は「ごめん」と謝る。
「呼ばれたから、行かなくちゃ」
思わず息を呑んだ。
彼の白と黒が印象的だった。傷やにきび跡の一つもない白い肌、それとは対照的な濡れ羽色をした柔らかそうな髪をしている。彼と視線がぶつかる。切れ長の二重瞼の瞳からは、芯の強い冷たさと、安堵したくなるような優しさを感じた。中性的な顔立ちだけど、精悍な男らしさがある。イケメンと言うには言葉が安い。男の僕でもはっとするくらい、整った顔立ちをしていた。
「大丈夫? じゃないよね。見てたから」
僕は「ああ」とか「うん」とか曖昧な言葉を返す。クラスは違うけど、同級生の女子が彼のことを格好良いと噂しているのをよく耳にしていたので、芸能人に話しかけられたような、そんな当惑を覚えた。
これが僕と
「なんだよ、お友達か?」
「いや、彼とは初対面ですけど」
「じゃあ、正義の味方気取りってわけかよ」
「自分が悪って認めるんですね」
茶髪に茶化されても、森巣は爽やかな表情のまま答えた。飄々としていた茶髪の表情がカチンと音を立てるように固まり、そのまま体を揺らしながら詰め寄った。
「何? バカにしてんの?」
「バカにはしてませんよ。ただ、バカみたいだなとは思いましたけどね」
森巣が淡々とそう言うと、細眉も加勢するように茶髪に並んだ。まずい、危ない、と僕も慌てて立ち上がり、森巣の隣に並ぶ。が、この場を収める方法は思い浮かんでいない。
「死にてえの?」
茶髪が森巣の胸ぐらを掴み上げた。森巣の方がやや高く、動じた様子を見せていない。怯えた様子もない。胸ぐらを掴まれたことで、見下すように二人に視線を向けていた。
「生意気言ってんじゃねえよ」
「先輩、俺のことを殴るんですか?」
「それはお前の態度次第だっつうの」
「先輩が殴ったら、俺はその足で職員室に行きますよ。それで、校内で暴力行為があったと先生に報告します。生徒手帳の三十四ページに書いてありますからね。『暴力行為はことのいかんと問わず禁ず』って」
「せんせぇ、せんぱいに殴られましたよおって泣きつくわけか」
「泣きはしませんけど、生徒手帳十六ページの退学項目には『暴力行為を働いたと認められる者』ともあります。先輩はこれで一発退学になるわけです」
「格好つけて、チクりますって言いたいわけかよ」
細眉と茶髪が嘲笑するように、顔を見合わせた。お利口さんだな、とほくそ笑んでいるのが伝わってくる。模範的な生徒は害がない、と判断しているのだろう。
そろそろ、その手を離してくれませんか、と僕が言いかけたとき、森巣が声を発した。
「で、一分以上経ちますけど、どうするんですか?」
「どうする、はこっちのセリフだろうが。お前、どうすんだ? 謝んのか?」
「質問をしてるのは俺ですよ」
瞬間、空気がぴりりと張り詰め、産毛が逆立つのを感じた。森巣が苛立った? と顔色を見る。森巣は笑顔を崩していないが、目だけは笑っていなかった。
「俺はチクったって思われてもいいし、先輩たちがやり返しに来てもいいとも思ってますよ。で、先輩の方は退学するのかしないのか、覚悟があるのかないのか、教えて下さいよ」
胸倉を捕まれているのは森巣だ。
なのに彼は終始、表情を崩していない。
細眉と茶髪の方は、森巣の口から出た「退学」という言葉に絡め取られているようだった。殴れば退学、と二人が理解していくのが見て取れた。脅されているのはどっちだ? と混乱する。
森巣の言動は正しい。堂々とした彼の態度にすっきりするよりも、僕はハラハラした。追い詰められたら人は何をするかわからない。
「すいません!」
三人が僕を見る。誰かが謝らなければ引っ込みがつかない。「あの、もともと悪いのは僕だし、あの、その、もう」
森巣の顔色を窺う。意図が通じたのか、森巣が微笑んだ。
「おい、もう行こうぜ」
茶髪が面白くなさそうに舌打ちをし、突き飛ばすように森巣から手を離した。二人はそのまま、振り返ることなく、校門の外へと向かって行く。それを見ながら、ほっと胸を撫で下ろした。そして、森巣に向き直る。
「もう少し、だったんだけどな」
森巣が冷ややかな口調でそう呟いた。
もう少しで、なんだったのだろうかと考えを巡らせる。もう少しで殴られていた、本気で退学をさせようと思っていたのか? と困惑する。
「なんてね」
笑顔を向けられ、冗談かと安堵しつつ「ごめんね、助かったよ」と礼を言う。
「助かったのはこっちだよ。あのまま殴られるところだった」
森巣がそう言って、白い歯を覗かせる。「怖い怖い」と口にしているけど、とてもそんな風には見えなかった。
上級生たちと入れ替わりに、男女四人が駆け寄って来た。活発そうな背の高い男子や、髪にゆるいパーマのかかった女子たちだ。みんな安堵の色を浮かべ、森巣の引力に導かれるように彼を取り囲んでいる。
「大丈夫?」「ちょっと、無茶しないでよ」「びっくりしたぞ」「何、何があったの?」
と口々に森巣に声をかけ、森巣が「大丈夫大丈夫」と落ち着かせている。どうやら彼らとの下校中に、上級生に絡まれている僕を見かけて飛び出して来てくれたようだ。
宥められ、ひと段落した後に、みんなが「で? 誰? 何?」という顔で僕を見る。森巣を解放しなければと思いつつ、僕は集めたチラシを一人ずつに手渡した。
「実は、同級生の犬を探してるんだ」
森巣がチラシを受け取り、眺める。
「瀬川の犬か」
「森巣君も瀬川さんのこと知ってるの?」
「ああ、去年クラスの委員長だったからね」
「今のクラスでもだよ」
「瀬川は……あれ、俺、自己紹介したっけ?」
「有名だよ。噂を聞いてる」
「噂?」
「ええっと、少女漫画に出て来そうだって。うちのクラスの女子が話してたのを」と説明をすると、「何その噂」と森巣が愉快そうに笑った。
「交通事故にあって記憶がなくなったり、重い病気で死なない役だといいな」
彼が少女漫画に出てくるなら、ヒロインを救う王子様みたいな役だろう。周りの女子たちも、「なんかわかるか」とささやき合っていた。
「じゃあ俺も犬を見かけたら瀬川に連絡するよ」
「ああ、うん。そうしてもらえると助かる。殺される前に見つけたいんだ」
「殺される?」
森巣が怪訝な顔をした。
ぽろりと口から零れてしまったので、取り繕うように作り笑いを浮かべてみたが、森巣はじっと僕を見つめた。
脅されているわけではない、だけど早く話した方がいい、不思議な焦りを感じさせる眼差しだった。
「実は、“クビキリ”の犯人を見たんだ。それで--」
『二年一組の
校内放送が響く。しばらく宙を眺めながら耳を傾けた後、僕と森巣は顔を見合わせた。
それで? と森巣の顔に書いてあるが、また僕は「ごめん」と謝る。
「呼ばれたから、行かなくちゃ」