骨折り

文字数 1,981文字

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「私たちもう帰るけどさ、優介、何か困ってることない?」
「実は腕の骨が折れちゃって」
「あら、そうだったの?」

 母親が視線を移し、ギプスで固定された僕の左腕を見ると、わざとらしく目を見開いた。

「ホントだ、折れてる。静海、知ってた?」
「二人とも、そういうのいいから。兄、持ってきて欲しいものはないの?」

 持ってきて欲しいもの、と唱えながら考える。入院してもう三日経ち、退屈していないと言えば嘘になる。複雑に折れていたので腕の手術をした。救急の病室から一般病室に移ったし、殴られた頭や腕の痛みに悶絶することもあるけど朝夕に痛み止めの点滴をしてもらっているおかげで少しましにはなっている。ので、娯楽が欲しくない訳ではない。

 が、二十四個入りの地元銘菓と四十冊の少女漫画を静海が持って来てくれたのだから、これ以上の贅沢はないだろう。

「いや、特にないかなあ」
「えー、兄は無欲だなあ」
「私似で無欲なのよねえ」

 どの口が、と思いながら妹と母親を見つめると、バッグから財布を取り出していた。

「優介、これであの綺麗な子と食堂で何か食べてきなよ。この病院、ケーキとかパフェがあるらしいよ」
「え? いいよ、別に」
「心配して電話くれて、お見舞いにも来てくれたんだから、大切にしなさいよ。礼儀正しくて、私はあの子好きよ」
「わたしも。兄が退院したら三人で遊びに行く約束と、わたしの誕生日パーティにも来てもらうお願いをしたから」
「どんだけお願いしたんだよ。余計なことを話してないだろうな」

 余計なことを話してないだろうな、とは妹に対して言ったつもりじゃなかったのだが、身内にも敵がいたようだ。入院生活中くらい、心穏やかに過ごしたい。

 その時、カーテンが開く軽快な音がし、彼が現れた。

 視線がぶつかる。黒い瞳がじっと僕を捉えている。芯の強そうな迷いを感じさせない目だ。が、すぐに細められ、人当たりの良い笑顔に変わった。

 森巣良、見舞いに来てくれた僕の友達……でいいのだろうか。

「平、どうしたの?」
「聞いて下さいよ、実は兄が入院しちゃって」
「森巣は静海に言ったんじゃないよ」
「だってわたしも平だし」と静海が口を尖らせ、森巣がおかしそうにくすくすと笑う。母親が「わたしも平だけど」と言い出す予感がして、「二人はもう帰るってさ」と森巣に伝える。
「森巣さん、また来ますか?」
「うん。心配だし、暇だし」

 じゃあまたね、と母が妹の車椅子を押して病室を後にした。森巣と家族がいると、なんだかすごく心がざわついてしまうので、胸を撫ぜ下ろす。

「あんまり僕の妹と仲良くするなよな」
「嫉妬か?」

 呆れて言葉を返せず、溜め息を吐き出す。

「平が底抜けにお人好しなのは、ああいう家族がいるからなんだな。誕生日パーティなんてやってるのか?」
「パーティって言っても、家族で祝うだけだよ。ケーキを食べてプレゼントを贈るだけ」

「信じられない風習だな」と森巣が頬を引きつらせる。大袈裟だなと思いつつ、「分かち合えとか助け合えってのが母親の方針だからね。でも、僕が運ばれてすぐは、さすがにすごく取り乱していたよ」と弁解した。

 家族が帰宅中に襲われて入院したのだから当然だろう。警察に被害を伝え、捜査してもらっているが、犯人はまだ捕まっていないので安心もできない。さっきは冗談を言っていたけど、病院で妹に会った時、目を真っ赤にして大泣きしていたので、思わず僕の方が大丈夫かと訊ねてしまった。

「具合はどうだ? 骨は、その、音楽はまたできそうなのか?」
「心配ありがとう。治ったらギターもまた弾けるみたいだよ」

 そうか、と森巣がほっとしたように、一息吐いた。

「気を失ったらすぐに医者に診てもらえていいな」
「森巣も骨を折ってみれば、この痛みがわかるよ」
「あるぞ。足も腕も肋骨も折られた」

 すごいね、それは僕より大変だったろうね、と少しいじけた気持ちで鼻を鳴らす。

 森巣とは喧嘩をしている。原因は百パーセント彼にあり、まだ許し切ったわけではない。だけど、僕の身に遭ったことを学校には秘密にしてもらっているのに、どうやってか調べ、心配して気まずそうに見舞いに来てくれたので、すげなく追い返す気にはなれなかった。

「それにしても、久し振りじゃないか。元気だったのかい?」
「まあ、俺は骨を折られてないからな。色々調べることが多かったんだ。それはまあ、どうでもいい。それより、話したいことがある」

 きっと穏やかな内容ではないはずだ。森巣が口を開くのを、右手を向けて制する。この部屋はカーテンで仕切られているけど、四人部屋の三つが埋まっている。他の入院患者に聞かれたくはなかった。

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