天使みたいに座ってた

文字数 2,824文字

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 死んだらどこに行くのか、と考えたことはあるが、暗く寂しいところなのではないかと考えて眠れなくなったことがある。だから、友達の鼻歌が聞こえ、青白い光で世界の輪郭が浮かび上がってきた時、死後の世界も悪くないなと思った。

 絵画の中から出てきたような奴が、椅子に足を組んで座り、窓の外の月を見上げている。悪魔のように頭が切れると思っていたけど、まるで天使のような姿で見惚れてしまった。

「もしかして君も死んだのか?」
「俺が死ぬわけないだろ。お前は何を言ってんだ」

「どうして」そう言いながら体を起こすと、左腕だけではなく、頭が締め付けられるように痛み、奥歯を噛みしめる。揺れている船の中にいるみたいに目眩と吐き気がした。

 周りを見ると、ここはさっきまでいた図書室だった。

「超短時間作用型の薬は、すぐ効く代わりに持続時間が短い。前にも説明しただろ」

 前、いつだ、と思い返しながら、今の状態に似た感覚を思い出す。クビキリ事件の調査をした際に、犯人に睡眠薬を盛られた時だ。

「毒じゃなくて、睡眠薬だったのか」
「そうだ。あんなものは勝負でもなんでもない。二つともに薬が入ってたんだ。睡眠薬は常用してたら耐性ができるからな。滑川は耐性を作っていたんだろう。気絶するくらいの量なら、少しの時間稼ぎしかならなかっただろうけどな」
「睡眠薬を飲んでるって確かに言ってたけど」

 そう言いながら、トランプをした後に少年が車椅子に座ったまま眠ってしまったことを思い出した。あれは、少年を使って実験していたのかもしれない。睡眠薬入りの菓子を食べた滑川が意識を失うのを、森巣は五円玉を構えて待っていたわけか。

「でも、どうして睡眠薬だってわかったわけ?」
「既に平と接触していたなら、お前を殺すことはいつでもできた筈だ。それをしなかったのは、あっさり殺すつもりがないってことだ。それに……」

 言い淀んだ森巣に、「それに?」と説明を促す。

「もし俺が滑川だったら、平を殺すなら絶対に明日にするからだ」
「どうして明日?」

「万が一、俺だけ生き残れたとしても、毎年必ず思い出すだろうからな」
「なるほど?」よくわからないまま返事をし、鈍い思考の中で咀嚼しながら、追求しようと思ったら、先に森巣が言葉を放った。

「約束を守ったぞ」
「約束?」

「お前の腕を折った奴をぶん殴ると約束しただろ」

 言われ、あー、と声が漏れる。森巣がどこか誇らしそうな顔をしているが可笑しくて、「ありがとう」と礼を言いながら、苦笑してしまう。

 一件落着、とはまだいかない。聞きたいことはたくさんある。

「ところでその格好は?」
「それは平が襲われて入院したと知って、すぐに俺もここに入院したからだ」

「食堂とか図書室とか、呼んですぐに来られたのは、そういうことか」
「金を積んで入院するようにしたのは、良心が痛んだ」

「なるほどね。なんとなくわかってきた」
「じゃあ、もう説明をしなくていいな」「いいや、説明はしてくれ」

「明日じゃダメか?」「今してくれ。全てを説明して欲しい」

 絶対にだ、と刺すような視線を向ける。森巣は煩わしそうに頭をかきながら、手を組んで僕を見た。

「まず平が襲われて、タクシー運転手に病院に運ばれたと聞いた時点で、これには裏があるとわかった。頭を打たれてるのに、救急車を待たないで運ぶバカがいるか? つまり、この病院に平を入れたいんだとわかった。思いつくのは滑川が俺を誘き出す為だ。俺はあいつの仕事をいくつか潰したからな」
「……続けて」

「滑川がどうして平を特定できたのかが気になるんだろ? それは言いにくいんだが、強盗ヤギの時に、俺がお前を店に連れて行った所為だ。八木橋は制服姿の俺たちを見たから学校も特定できただろうし、あいつの前で名前も呼び合ったから、校門のそばに張り付いていれば見つけることができるだろう。だから、俺は学校に行かないで、別ルートで滑川のことを調べていたわけだ。食堂で平が襲われたと話していたのに、八木橋がそれについて訊ねなかったのを見て、確信した。何もかも知ってるんだな、と」

「……続けて」

「あとはそうだな、平が入院して人質状態になったわけだが、滑川が何かをするとしたら明日だということはわかっていた。明日、平が捕縛されて奴の個室に連れ込まれたら打つ手がない。だから俺は今晩仕掛けることにした。夜になり、八木橋に『消灯後の図書室に忍び込んで隠れる』と偽情報を流し、手下が向かえば奴の個室の警備が手薄になると思ってな。だが、まさか滑川が現場主義で平と鉢合わせするとはな。イレギュラーはあったが、平に協力をしてもらったおかげで、無事に滑川を仕留めることができた。以上だ」

「……続けて」

「全部話したぞ。これ以上、何を知りたいんだ」

 説明を聞き、顔を拭う。食堂で語られた森巣の計画は嘘だったし、僕が見た森巣を尾行する不審者も、ただタイミング良く食堂を出た客だったのか。

「全部じゃないだろ」

 一番聞きたかったことを森巣はまだ話していない。

「どうして僕が襲われて、罠だとわかってるのに来たんだ?」

 森巣は澄ました顔のまま何かを言おうと口を開きかけたが、すぐに閉じた。俯いたり視線を彷徨わせたり、頬や口元に手をやったりしながら、言葉を探している。ポケットの中に偶然あるような言葉じゃなく、君の心の中にある言葉を僕に聞かせてもらいたい。

 森巣は顔を上げ、僕の目を見つめ、苦しそうに声を発した。

「正直に言おう。俺は今まで一人で戦って来た。だから、周りに被害が及ぶということを考えてこなかったんだ。それに、もし何かあっても、動じないと思っていた」
「それで?」

「平が襲われたという情報を知った時……動揺したんだ。巻き込んだことへの罪悪感、滑川に対する怒り、あとは」

 言葉が途切れ、ゆっくりと時間をかけて、森巣は表情を引き締めて僕を見た。

「お前がいなくなったらつまらなくなると思った」

 いつも飄々としている森巣が、そわそわと僕の様子を窺っている。

「お前は目が良いし、さっき自分の腕を殴ってまで知らせてくれたのは、勇敢だった。俺はこれからも、お前と組んでいきたいと思っている」

 森巣が逸脱行為をしている時、本気で止めなかったし、加担したこともある。滑川と関わってしまった結果を生んだのは、森巣に全て責任があるわけではない。

「なるほど、わかったよ。助けてくれてありがとう」

 森巣が短く「そうか」と言って、素知らぬ顔をしてそっぽを向いた。

「ところで、滑川は?」
「あいつなら、ほれ、そこに転がってる」

 森巣が顎をしゃくったので釣られて右を向き、ぎょっとする。そこには窓枠のパイプにベルトで繋がれている滑川がいた。
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