百万飛んで

　　　　　　　１

　歌は自分の心に身を任せ、心の声を言葉にすればいい。

「森巣、お前は来ないのかよ！」

　それが心の声だけど、さすがにそれを人前で叫べない。
　僕は今、観光客の行き交う桜木町駅の駅前広場で、弾き語りをしている。
　何故か？　少し遡る。

「平はギターが上手かったよな。ライブはしないのか？　弾き語りとか、駅前でやってる奴がいるじゃないか」
「ライブは、したことないなあ」
「じゃあ今度の日曜日、三時から桜木町の駅前で三十分くらいやってくれよ」

　と友達の森巣に提案されたからだ。最初は抵抗したけど、話している内にある欲がむくむく湧いていた。

　森巣と四月に出会ってから、もう二ヶ月が経つ。
　その間、恐ろしいほど冴える森巣の洞察力を間近で見て、僕と違ってすごいなあと感心してばかりいた。と同時に、そんな森巣が何故僕を友達にしたのだろうか、僕をどう思っているのだろう、と気になっていた。

　もし、僕の演奏を見たら、森巣は一体どんな顔をするだろう？

　弾き語りなんて初めてだけど、気合を入れてやって来たのだが、予定の時間になっても森巣が来なかった。

「時間厳守でよろしく」

　と今朝メッセージが来たけど、それ以降音沙汰がない。通話も返信も、メッセージに既読マークもつかない。

　森巣が来るのを待っていようかと思ったけど、「おいおい、俺が見てないとダメなのか？」と笑われる気がして、僕は意地になって時間通りにギターを構えた。

　飄々とした佇まいで弾き語りをしている人を何度も見たことがあるし、自分にもできるんじゃないかと心のどこかで思っていた。が、彼らは強靭な精神の持ち主だったんだなあ、と身を以て思い知る。

　日曜日の桜木町は、ひっきりなしに人が行き交っている。遊びに行く中高生たち、ランドマークタワーを背にスマホで写真を撮っている女性グループ、ベビーカーを押す家族、彼らには行きたい場所があり、そこに向かって移動している。立ち止まって聞いてくれないし、誰も反応をしてくれない。

　人前での演奏は、公衆の面前で自分の心臓だけが晒されているような、そんな心細さがあった。膝が笑い、声が上ずり、リズムが狂い、混乱してしまう。

　誰も聴いていないんだし、ギターをケースにしまって帰ろうかとも思った。だけど、森巣が「おいおい、途中で投げ出すのか？」と笑うのが目に浮かぶ。

　なんでこの場に来ていない奴のことばかり考えなければいけないのか！　とかぶりを振ってイメージを追い払う。

　誰も気にしていないし、どうせなら思いっきりやってやろうかと僕の中で眠っていた対抗心が目覚めた。どうせやるなら、自分の音楽をやってやろう、と腹を決める。

　まずは森巣への怒りを発散しよう、と音で感情や空気を攪拌するように六本の弦をかき鳴らす。弾き語りにしては早いテンポで、コードを繋ぎなら音を走り回らせる。

　言葉にメロディに乗せて行く。この場にいない奴に向かって、むきになって歌を歌った。

　すると不思議なことに、人がぽつりぽつりと立ち止まるようになった。遠巻きに見る人や、近くで演奏を聴いてくれる人もいる。

　買い物の途中、あるいは帰り道かもしれないが、見ず知らずの人たちがわざわざ僕の演奏に耳を傾けてくれた。足踏みでリズムを取ったり、体をわずかに揺らしたりしているのが見える。音楽で、人と繋がった瞬間、得もしれぬ安堵感に包まれていく。

　すると更に嬉しい出来事が起こった。一人、また一人と僕のそばにやって来た。まずは少女が小銭を置き、次に青年が封筒をギターケースに入れてくれた。投げ銭だと気付き、舞い上がりそうになる。ずっとギターをいじっていた僕の部屋に光が差し込んだようだ。

　三十分間の弾き語りをし、その結果、僕は百万飛んで五円を手に入れた。