死ぬかもしれない

文字数 2,465文字

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 もしもし、と警戒する声が聞こえる。森巣の声だ。

「森巣、僕だ」
「どうした」

「僕が渡した菓子を食べたか?」
「いや、まだだ。それが--」

「食べてないんだな! いいか、それには毒が入ってる、だから絶対に食べるなよ」
「おい、平、何がどうなってる」

「よく聞いてくれ。僕は今、図書室に滑川といる」
「図書室? 三階のか?」

「ああ。僕が入院中に会っていた奴が、実は滑川だったんだ。滑川は、君を狙ってる。だから、君は」

 逃げろ、そう伝えたかったが、口がまた勝手に動いていた。

「勝てよ」

 そう言った後に、なんと続けるべきか逡巡する。ピポーン、と何か電子音が聞こえてはっとして言葉をがむしゃらに投げつけた。

「君のやってることを正しいとは思ってない。だけど、君が負けていいとも思ってないんだ。だから、君は、勝てよ。覚悟があるんだろ? 覚悟があるなら、何年かかってでも、探し出して追い詰めて、それで、絶対に勝てよ」

 混濁する意識の中で考える。これは遺言なのだろうか、こっちは必死に伝えてんだからキャッチしてくれよ、そう念じていたが、返事がない。

 おかしいと思って画面を見ると、通話が切れていた。いつからだよ、と顔をしかめる。

「終わったかい? これはもう必要ないね」

 滑川がそう言って、僕からスマートフォンを取り上げた。

「ところで、君の人生って何があったら満足なんだい?」
「友達や家族が、平和に暮らすことだよ」
「ふうん、それはつまらない答えだね」

 立ち上がろうと思ったが、足にうまく力が入らなかった。が、もうどこにも行く必要はない。背もたれに預け、深く呼吸をした。

「安心してくれ。友達とは地獄で再会させてあげるよ」
「地獄に落ちるのはお前だ。僕の友達は誰にも負けない」

 そう言った、その直後だった。

 勢いよく図書室の扉が開く音が響く。滑川の仲間が僕を連れ去りにきたのか、そう思ったのだが、現れたのは森巣だった。

 入院着を着た森巣は息を切らせ、殺気を放ちながら鬼のような形相でこっちを見ると、迷いのない足取りでやって来た。

 どうしてここに? どうして入院着を? どうして、と頭の中が疑問符で埋まっていく。まさか滑川が呼んでいたのか? と確認すると、森巣の登場は想定してなかったようで目を見張っていた。

「お前が滑川か」
「やあ、森巣君。はじめまして、だね」

 滑川が余裕を取り戻し、足を組んで顎に手をやった。相手を苛つかせるのが得意な奴だな、と一瞥する。

「森巣、さっき話しただろ。僕は毒を食べた。わかるんだ、もうすぐ死ぬ。だから、君は今すぐそいつを倒せ」
「そうとも限らないと言ったらどうする?」滑川はそう言って、僕を指差した。「そいつを助ける方法はあるって言ったら、どうする?」

「どういうことだ?」
「上の病室に解毒剤がある。そうだね、三十分以内に飲めば助かるよ」

「気前良くくれるのか?」
「勝負に勝ったらあげよう」

「勝負?」

 ああ、と滑川が頷き、コンビニ袋から菓子を取り出して、また二つテーブルの上に並べた。プレーン味とチョコレート味のものだ。忌々しい、毒入りの菓子。

「どちらかには毒が入っている。毒が入ってない方を君が食べたら、解毒剤をやるよ。片方は毒入りじゃないと証明する為に、私も食べる。どうだい?」
「運試しか?」
「二度説明するのは面倒だからしないよ。まあ、君が友達を見殺しにするってなら、それでもいいけどさ。お友達は君に電話をかけるために私と勝負をしたぞ」

 助かりたい、という気持ちはもちろんある。だけど、君が命を賭けることはない、そう伝えたいのにもう上手く声にできなかった。

「ほら、苦しんでるじゃないか。時間はないぞ」と滑川が危機感を煽る。
「やろう。お前をたっぷり苦しませてやるよ」

 滑川が目を妖しく輝かせ、片頬を引き攣らせるように笑い、菓子を差し出した。その顔にはどこか余裕がある。やはり、見分け方があるのだ。そして、見分けられる方法は一つしかない。だとすると、だ。

『まずは痛みを知っておけ。今日、自分が死ぬかもしれないと思うんだ』

 いつか言われた言葉を思い出し、僕は自分の折れた腕で思いっきりテーブルを叩いた。

 左腕から脳天まで痛みが駆け抜けていき、体が曲がり、口から曇った絶叫が飛び出す。悶絶しながら身を起こし、向き直る。

「チョコだ!」と力を振り絞って叫ぶ。森巣が心配そうな顔で僕を見る。
「チョコ味を食えってことか?」

 響き続ける痛みを堪えながら大きく頷いてみせる。考えられる見分け方はそれしかない。滑川を見ると、水を差されたことに怒っている様子で、眉をひそめていた。

「滑川、俺からも一つ提案がある」

 森巣はそう言うと、僕のそばにやって来て、「借りるぞ」と耳元で囁くと、僕のブレスレットを外し、力任せに千切って結んである五円玉を外した。

「これじゃ勝負にならない、だろ? 先に選ぶ方をコイントスで決めるってのはどうだ?」

 滑川が虚を突かれたような顔をしてから、笑い始めた。
 目を爛々とさせ、不穏な笑い声をあげながら肩を震わせている。

「素晴らしいじゃないか」

 どうしてそんなことを? と憤って視線を向けるが、もう僕のことは見ておらず、険しい顔で滑川を見据えていた。

「私は裏だ」
「俺は表だ」

 そう言って、森巣が右手の親指で五円玉を構える。
 が、なかなか弾かない。

 森巣がじっと氷のような冷たい表情で、滑川を見下ろしている。不安に飲まれているのだろうか、と案じていたら、滑川の体がぐらりと揺れた。視線を移すと、滑川がテーブルの上のテーザー銃に手を伸ばし、森巣に銃口を向けた。

 その瞬間、五円玉が凛としたささやかな音を鳴らしながら上昇した。
 滑川の視線が、優雅に宙を飛ぶ五円玉を追う。
 直後、余所見をした顔を目掛け、森巣の拳が叩き込まれた。
 殴られた滑川の頭が大きく揺れ、操る糸が切れた人形の様に床に倒れ込んだ。

「神に助けてもらったことなんてないからな。俺がそんな奴を頼る訳がないだろ」

 森巣の声が聞こえ、君らしいねと思いつつ僕は意識を失った。
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