あたし、見てたんだけど
文字数 2,533文字
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僕は口が固い。秘密は守る。念押しで百万円をもらうような秘密はない……はずだ。
「内密にして欲しいみたいですよ」
口にしながら、何を? と眉根に皺が寄る。
自分は今、百万円だけではなく、誰かの秘密を握っている。そう考えたらとても居心地が悪くなってきた。
はっとし、この瞬間も僕が何か秘密を漏らさないか監視している人がいるのではないか、と背後を確認する。イートインスペースは比較的空いてて、テーブル席に五人いるだけだった。親子三人と、カップル二人だ。
彼らは窓際から離れたテーブル席に座っており、外で起こった騒動をあまり気にしている様子がなかった。母親が子供の口についたパンくずを取ってあげているのが微笑ましい。カップルの方は彼氏の口元にパンくずがついていたが、彼女は何も言わなかった。だけど美味しそうに頬張る彼氏を嬉しそうに眺めている。これはこれで微笑ましい。
「平くんは、あのゾンビとは面識はなかったんだよね?」
「あんな変な知り合いはいないですよ」
変な知り合い、でぱっと思い浮かんだのは森巣だった。ゾンビでさえ来たのに、森巣は何故来なかったのか、と思い出してむっとするのを顔に出さないように堪える。
「じゃあ、平くんが二時間もベンチに座っている間に、何かを見ちゃったんじゃない? それで、ヤバイぞ見られたぞって焦って、口止め料で百万を渡したとか」
「百万円の価値がある何かなんて……」と言いながら、記憶を呼び覚ます。思い浮かぶのは、日曜
日を楽しむ人たちと、日曜日なのに働く人々だ。例えば、置き引きや誘拐、カバンを無言で交換するような怪しげな取引なんてものは目撃していない。
「何か記憶に残っていることはないの?」
「いやあ、ただぼーっとしてただけなんで。それこそ、足元を歩く鳩を見て、首のところが綺麗な緑だなーとか考えてました」
「……鳩って」と小此木さんが不憫そうな顔をするので、「なんだかすいません」と謝りながら、「だけど」と疑問を口にする。
「何か秘密を抱えた人間が、あんな注目を集めることしますかね」
「案外目立ちがたりなのかもよ」そう言って小此木さんがスマートフォンを操作する。ゾンビ、真相、とかで検索して理由がわかったりしないだろうか、と空想する。
「あった」
「あったんですか!?」
ほら、とスマートフォンを向けられる。身を乗り出して確認すると、鳥のマークで有名なSNSが表示されており、僕に百万円を渡したゾンビの動画や写真がいくつも投稿されていた。ゾンビの奇行や拉致した三人組を不気味がっている人もいれば、パフォーマンスを楽しむようにコメントしている人もおり、賑わっている。
「ゾンビパンデミックだって面白おかしく書かれてるねえ」
「抱きつかれた人からしたら、少しもおかしくないでしょうけどね」
そう言いながら、僕もスマートフォンをいじってネットを漁り、ゾンビと百万円に関するものがないかを調べてみる。が、見当たらない。こんなに人がいるのに、同じ悩みを抱えている人がいないというのは、大海に一人ぼっちで浮かんでいるような心細さがある。
「いいか、重要なのは結果だ。意味のない妄想をしないで、結果から原因を考えろ」
小此木さんが声を低くし、芝居めいた口調で言った。
「森巣の真似ですか?」
「そう、わかる?」
「そういうこと言いますよね。上から目線が似てましたよ」
「良ちゃん的に結果から鑑みると、やっぱりゾンビは目立ちたかったんじゃないかな」
「捕まるかもしれないのにですか?」
「逆に捕まらないと思ったんじゃないかな」
どういうことか? と首を傾げて、説明を促す。
「理由はわからないけど、ゾンビは百万円を持ってあの三人組から逃げていた。このままだと捕まって酷い目に遭わされる。でも、さすがに人前だったら手を出されないと思った」
「拉致されましたけどね」
「読みが甘かったね」
やれやれ、と小此木さんが溜め息を漏らす。
「でも、一時的に人の注目を集めても、いつかみんないなくなりますよね。そうしたら三人組が、そろそろかなって現れて捕まえに来るとわかるんじゃないですか?」
「逃げ切れるとは思ってなかったんだよ。目的は人に撮影してもらうことだからね」
「顔が映ってるから誰か特定されちゃうと思いますけど、それが目的ですか?」
「違う違う。自分が捕まる瞬間も、撮影してもらいたかったんだよ。あの三人組も映れば、わかる人が見たら誰に捕まったのか、どこに運ばれていくのかもわかるんじゃない? 仲間がそこに助けてに来てくれる、と信じてるのかも」
「ネットに写真があがっても、話題にならないかもしれないですよ」
「どうだろう。意外と簡単なんじゃないかな。コンビニの冷蔵庫に入ったり、ハロウィンで暴れたり、誰かの迷惑になることをすれば、みんなが叩きに来る世の中じゃない。立派な強制わいせつ罪だしね。女子供には抱きついてなかったみたいだけど、男から見てもアウトでしょ?」
自分が見知らぬ半裸の男に抱きつかれたらと想像したら寒気がした。アウトもアウト、退場ですよ、と口を尖らせる。
退場、と思ったら自分もちょっと中座したくなった。トイレだ。
「ちょっとお手洗いに行って来ます」と小此木さんに告げ、席を立つ。店内にトイレはなく、ショッピングモールの隅あるので一度店を出て廊下を移動する。移動しながらぼんやりと考える。
小此木さんの考え元にすると、ゾンビを追うあの三人組が何者なのかが大事な鍵になる。
「ねえ」
物騒なことをしているのは間違いないと思うけど、調査に出かけず、パン屋のイートインで安楽椅子探偵の真似ができるだろうか。引き続きネットで新たな情報が出てくるのを待つことくらいしかできることはないと思うが。
「ねえってば!」
振り返ると、黒いパーカーにジーンズ姿で、顔にマスクをした女性が立っていた。金髪に染められた髪は後ろで結われている。ちょっとコンビニに行くような格好だった。
知り合い、ではない。
「あんたよね? あたし、見てたんだけど」
僕は口が固い。秘密は守る。念押しで百万円をもらうような秘密はない……はずだ。
「内密にして欲しいみたいですよ」
口にしながら、何を? と眉根に皺が寄る。
自分は今、百万円だけではなく、誰かの秘密を握っている。そう考えたらとても居心地が悪くなってきた。
はっとし、この瞬間も僕が何か秘密を漏らさないか監視している人がいるのではないか、と背後を確認する。イートインスペースは比較的空いてて、テーブル席に五人いるだけだった。親子三人と、カップル二人だ。
彼らは窓際から離れたテーブル席に座っており、外で起こった騒動をあまり気にしている様子がなかった。母親が子供の口についたパンくずを取ってあげているのが微笑ましい。カップルの方は彼氏の口元にパンくずがついていたが、彼女は何も言わなかった。だけど美味しそうに頬張る彼氏を嬉しそうに眺めている。これはこれで微笑ましい。
「平くんは、あのゾンビとは面識はなかったんだよね?」
「あんな変な知り合いはいないですよ」
変な知り合い、でぱっと思い浮かんだのは森巣だった。ゾンビでさえ来たのに、森巣は何故来なかったのか、と思い出してむっとするのを顔に出さないように堪える。
「じゃあ、平くんが二時間もベンチに座っている間に、何かを見ちゃったんじゃない? それで、ヤバイぞ見られたぞって焦って、口止め料で百万を渡したとか」
「百万円の価値がある何かなんて……」と言いながら、記憶を呼び覚ます。思い浮かぶのは、日曜
日を楽しむ人たちと、日曜日なのに働く人々だ。例えば、置き引きや誘拐、カバンを無言で交換するような怪しげな取引なんてものは目撃していない。
「何か記憶に残っていることはないの?」
「いやあ、ただぼーっとしてただけなんで。それこそ、足元を歩く鳩を見て、首のところが綺麗な緑だなーとか考えてました」
「……鳩って」と小此木さんが不憫そうな顔をするので、「なんだかすいません」と謝りながら、「だけど」と疑問を口にする。
「何か秘密を抱えた人間が、あんな注目を集めることしますかね」
「案外目立ちがたりなのかもよ」そう言って小此木さんがスマートフォンを操作する。ゾンビ、真相、とかで検索して理由がわかったりしないだろうか、と空想する。
「あった」
「あったんですか!?」
ほら、とスマートフォンを向けられる。身を乗り出して確認すると、鳥のマークで有名なSNSが表示されており、僕に百万円を渡したゾンビの動画や写真がいくつも投稿されていた。ゾンビの奇行や拉致した三人組を不気味がっている人もいれば、パフォーマンスを楽しむようにコメントしている人もおり、賑わっている。
「ゾンビパンデミックだって面白おかしく書かれてるねえ」
「抱きつかれた人からしたら、少しもおかしくないでしょうけどね」
そう言いながら、僕もスマートフォンをいじってネットを漁り、ゾンビと百万円に関するものがないかを調べてみる。が、見当たらない。こんなに人がいるのに、同じ悩みを抱えている人がいないというのは、大海に一人ぼっちで浮かんでいるような心細さがある。
「いいか、重要なのは結果だ。意味のない妄想をしないで、結果から原因を考えろ」
小此木さんが声を低くし、芝居めいた口調で言った。
「森巣の真似ですか?」
「そう、わかる?」
「そういうこと言いますよね。上から目線が似てましたよ」
「良ちゃん的に結果から鑑みると、やっぱりゾンビは目立ちたかったんじゃないかな」
「捕まるかもしれないのにですか?」
「逆に捕まらないと思ったんじゃないかな」
どういうことか? と首を傾げて、説明を促す。
「理由はわからないけど、ゾンビは百万円を持ってあの三人組から逃げていた。このままだと捕まって酷い目に遭わされる。でも、さすがに人前だったら手を出されないと思った」
「拉致されましたけどね」
「読みが甘かったね」
やれやれ、と小此木さんが溜め息を漏らす。
「でも、一時的に人の注目を集めても、いつかみんないなくなりますよね。そうしたら三人組が、そろそろかなって現れて捕まえに来るとわかるんじゃないですか?」
「逃げ切れるとは思ってなかったんだよ。目的は人に撮影してもらうことだからね」
「顔が映ってるから誰か特定されちゃうと思いますけど、それが目的ですか?」
「違う違う。自分が捕まる瞬間も、撮影してもらいたかったんだよ。あの三人組も映れば、わかる人が見たら誰に捕まったのか、どこに運ばれていくのかもわかるんじゃない? 仲間がそこに助けてに来てくれる、と信じてるのかも」
「ネットに写真があがっても、話題にならないかもしれないですよ」
「どうだろう。意外と簡単なんじゃないかな。コンビニの冷蔵庫に入ったり、ハロウィンで暴れたり、誰かの迷惑になることをすれば、みんなが叩きに来る世の中じゃない。立派な強制わいせつ罪だしね。女子供には抱きついてなかったみたいだけど、男から見てもアウトでしょ?」
自分が見知らぬ半裸の男に抱きつかれたらと想像したら寒気がした。アウトもアウト、退場ですよ、と口を尖らせる。
退場、と思ったら自分もちょっと中座したくなった。トイレだ。
「ちょっとお手洗いに行って来ます」と小此木さんに告げ、席を立つ。店内にトイレはなく、ショッピングモールの隅あるので一度店を出て廊下を移動する。移動しながらぼんやりと考える。
小此木さんの考え元にすると、ゾンビを追うあの三人組が何者なのかが大事な鍵になる。
「ねえ」
物騒なことをしているのは間違いないと思うけど、調査に出かけず、パン屋のイートインで安楽椅子探偵の真似ができるだろうか。引き続きネットで新たな情報が出てくるのを待つことくらいしかできることはないと思うが。
「ねえってば!」
振り返ると、黒いパーカーにジーンズ姿で、顔にマスクをした女性が立っていた。金髪に染められた髪は後ろで結われている。ちょっとコンビニに行くような格好だった。
知り合い、ではない。
「あんたよね? あたし、見てたんだけど」