裸の王様

文字数 2,807文字

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 僕に向けられている二枚のカードを見つめる。人生は選択の連続だ。軽はずみに引いたらババ、ということもあり得る。相手にするべきなのは滑川かキノコ男か。だけど、どっちもババじゃないか。

 どうにかして森巣を止めるべきか、それとも協力して成功する確率を上げるべきか。他に手はあるのか。

「ちょっと、悩みすぎじゃない? 早く決めてよ」

 向かいの席に座る少年が、そう言いながら持っているカードを振る。はっとして、僕は左を抜き取り、顔をしかめる。ババだった。

「ほら、博士、引いて」

 少年に急かされ、少年の隣に座る男性の細い腕が伸びた。色白で線が細く、揃えられた真面目そうな七三分けに大きな黒縁眼鏡は、確かに学者然としている。大学で心理学を教えていると自己紹介をしてくれたので、ぽいなと思った。

 博士さんが左のカードを捲った。

「あがり、です」

 という声が、ストールを巻いた喉に押し当てている小さな装置から、ビブラートがかかった音声として流れた。少年は足にギプスをし、車椅子に乗っているからわかるけど、博士さんの病気はなんなのだろうか。

「平、顔に出すぎだよ」
「ババ、バレバレ、でしたね」

 トランプのことかとほっとしつつ、カードをしっかりかき混ぜれば良かったなと省みる。

 九階建ての総合病院の三階の隅に、教室の半分ほどのサイズの図書室がある。中には入院患者向けの暇つぶしになる本がある、というわけではなく、気軽に読むには難解過ぎてわからない医学書が並んでいる。院長が自宅に収まらないものを入れる倉庫にしている、という噂が流れているくらいで、利用者はほぼいない。

 僕がここにいる理由も、同じ階のエレベーター前で会った少年から「新入り? 遊びに行こうよ」と誘われたからだ。「展望室?」と訊ねると、「あんなところ何もないよ。通は図書室だよ」と大人びた口調で案内された。確かにそこは、前を通っても図書室だとわからない、通な場所だった。

「あがりです。では、もらいますね」 

 テーブルの中央に置かれた三つのお菓子の内一つを、博士さんが手元に移動させる。昨日、母親から見舞いでもらったもので、二人におすそわけのつもりで持って来たら、それを景品にババ抜きをすることになった。

 悪党滑川が入院していて、明日森巣が八木橋さんと物騒なことをしでかすかもしれない病院で、自分は患者同士でトランプをしている場合なのか! という声が頭の中でするのだが、他にするべきことが何も思い浮かばず、ふがいなくてため息が洩れる。

「平、悩み事? 好きな子がお見舞いに来てくれないとか?」「違うよ」

「来てくれたんだ?」「そういう意味ではなく」

「そのブレスレット、その子からもらったの?」

「これは違うよ」左の手首に、五円玉を結んだブレスレットをしている。弾き語りで初めてもらった投げ銭で、大事なものなのだからお守りにしている。弾き語りに来なかった森巣からもらったものではない。

「じゃあ、磯貝(いそがい)さんのことでしょ」
「どなたですか?」とハカセさんが僕らを窺う。
「ああ、僕の病室にいる迷惑な患者さんです。お年寄りなんですけど分別がないというか、ナースコールを押しまくってるし、手術の同意書を見て、『合併症とか怖すぎんだろ、術中覚醒が起きても文句言うななんて同意できねえよ』とか騒ぐような人です」

 何度も騒がれるので、僕は聞き覚えのない言葉まで覚えてしまった。

「術中覚醒って何?」
「手術中に目が醒めることですよ。滅多に起きませんけどね」

 確かにそれは怖いね、と少年が身震いをしてから、「でもさ、迷惑だって平が注意すればいいじゃん」と年長者を責めるように僕を見た。

「僕が言っても、素直に自分が間違ってました、とはならないと思うけどなあ」
「ですが、対処されていない問題に対して、ルールが機能するのを待つのは、社会の維持に繋がりますが、無責任でもあります」

 博士さんが、講義をするような口調で話を始めた。

「例えば、『裸の王様』っていう話がありますよね」

 童話の話が出て意外に思いながら、「ええ」と返事をする。

 王様が「愚か者には見えない不思議な布地ですよ」と商人から売りつけられ、家来や町の人たちはその布で出来た服を見えているフリをしていたが、一人の少年から「王様は裸だ」と指摘され、商人から騙されていたことが明るみになるという話、だったと思う。

「誰かの間違いに気付いているのに、みんなが何もしないからと放置することは悪循環になります。怠慢、と言ってもいいかもしれません」

 言われてみたら、その通りのように感じた。が、それはあくまで童話だ。現実だったらどうだろう。

「でも、個人で動くのってリスクがありますよね。磯貝さんに注意して、逆ギレされて事態がややこしくなるかもしれないじゃないですか」
「リスクもありますが、知恵でどうにかなるかもしれませんよ。少し親しくなってから『夜中に何度もナースコール押すの誰なんでしょうね』と罪悪感に訴えるとか」
「それは俺だ、なんだよ嫌味か? ってやっぱり逆ギレされないですかね」

「すいません、これも無責任な発言でしたね」そう言って博士さんが苦笑する。だが、こうして答えを博士さんに出してもらおうとしている自分の方が無責任だな、と反省した。

「ちょっとトイレに行ってきます」

 博士さんがトイレに席を立ち、図書室を出て行くのを見送ると、少年がそう言えばと口を開いた。

「放っておくのも一つの手かもよ」
「王様が裸だって?」
「そっちじゃなくて、磯貝って人の話。実はさ、態度の悪い患者は夜中に連れて行かれちゃうって噂があるんだ。次の日の朝、ベッドからいなくなってるんだって」

 それは、夜中に容体が急変してしまい、そのまま戻らなかったということではないだろうか。そのことを小学校三年生に伝えるのも憚られるので、そうだねと頷く。

「人間の腕が飛び出してる清掃カートが、夜中に運ばれていくのを見た人がいるらしいよ」
「それは怖い話じゃないか!」幽霊とかは苦手なんだよ、と顔をしかめると、少年がけたけたと笑った。

 しばらくして博士さんが戻ってくると、僕は悩みを全て見なかったふりするようにババ抜きやら七並べやらに興じ、博士さんが大人げなくお菓子を総取りし、そのお菓子を一つずつ分けてもらって談笑しながら食べ、少年が「なんだか眠くなっきた」と大きく欠伸をして本当に眠ってしまったことへの自由さに苦笑しながら、解散することになった。

 車椅子に座ったまま眠っている少年を病室まで送ると言う博士さんと別れ、僕は五階にある自分の病室へ戻った。少女漫画の続きを読んで素直になれない主人公にやきもきしようと、ベッドのそばに置いてある筈の見舞いの品をまとめた紙袋を探す。

 だが、見つからない。
 僕はのんききにババ抜きをしている場合ではなかったのかもしれない。

 病室から、僕の私物がなくなっていた。
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