犬を探している
文字数 1,997文字
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僕は必死に犬を探していた。
「すいません、すいません」
校門のそばに立ち、下校する生徒たちに声をかけながら紙を差し出して行く。
『名前:マリン 犬種:ミニチュアブルテリア 二歳 メス
似ている犬を見かけたら、2-1瀬川潔子(せがわきよこ)までご連絡ください』
僕が探しているのは自分の家族ではなく、散歩中にいなくなってしまった同級生の犬だ。チラシの白い犬は、行儀良くお座りして口を開けていて笑っているように見えるが、君はいいね、とは思わない。早く助けなければ、と焦りがこみ上げた。
同じ学校の生徒とは言え、知らない生徒に話しかけるのは緊張する。
犬探しという名目があるが、不審な目を向けられたり邪険にされたら、僕のしていることは人を不快にされるんだな、とたかが知れているし、無力だと思って傷つく。だが、僕が傷つくことなんかよりも、大事なことがある。天秤の片方に不安や無力感があっても、揺るぎはない。
僕は、困っている人を放っておくことができない。
したくないではなく、できないのだ。
この犬と困っている瀬川さんの為ならば、と一歩前へ足を動かす。不幸中の幸いは、今が四月の末なので部活動の勧誘かと思って、新入生が一応興味を示してくれるところだった。
「すいません、ちょっといいですか?」
「何これ?」「迷子の犬だって」「ふーん、可愛いじゃん」
好意的な反応にほっとする。帰って行く一年生女子グループの背中を見ながら、犬を見かけてくれますように、連絡をくれますようにと祈る。
視界の隅に別の生徒が見え、勢いに任せて「すいません」と反射的に紙を差し出す。
「痛っ」
「ごめんなさい!」
慌てて謝るが返事がない。代わりに細い眉毛の男子が手を突き出し、彼は口を尖らせた。
「慰謝料くれよ、慰謝料」
襟章の学年カラーから三年生、上級生だとわかる。腰より低い位置でズボンを履いていて、だぼだぼと着崩している。
手をぶつけてしまった細眉の先輩は、不機嫌そうに眉を歪めていた。彼の隣に立つもう一人は、脱色をしているのか明るい髪色をしている。人を見かけで判断するのは良くないけど、二人からは柄の悪い気配が漂っている。
「ほら、慰謝料だよ、慰謝料」
覚えたての言葉を反復する子供のように、細眉の先輩は「慰謝料」と繰り返して手のひらを向けてくる。
年上だから気軽にからかっているだけなのだろうか。崖際に追いやられているみたいに肝が冷え、それでも機嫌を取ろうと苦笑いを浮かべてみる。が、相手は眉一つ動かしていない。本気で言っているとは思えないけど、悪いのは僕だ。なんとか切り抜けられないかともう一度丁寧に「すいませんでした」と頭を下げる。
「そういうのはいいんだよ、ほら、ジャンプしてみろよ」と細眉が口を尖らせ、
「古いっつうの。下級生からかうのはやめてやれや」と茶髪がいさめてくれた。
「で、君は何してるわけ?」
やはりからかわれていたのか。思っていたより悪い人たちではないのだろう。ほっとしつつ、「実は、犬を探してるんです」とチラシを差し出す。
茶髪がニコニコ笑いながら、「手伝ってやるから貸しな」と言って、チラシの束を全部持っていった。
「そこまでしてくれなくてもいいですよ」
と僕が言った直後、茶髪が大きく両腕を広げた。
捕らわれていた鳥を解放するような仕草だったが、チラシは足元にばさばさと落下していく。
「おしまーい。お疲れしたー」
茶髪がそう言って、快活な笑い声をあげた。
何が起きたかわからない。が、少しずつ状況を理解してきて、胸の内側から暗い色が溢れ出てきたような気持ちになる。
「ほら、ありがとうは? 手伝ったんだからお礼くらい言ってくれよ」
茶髪は悪びれる様子もなく、白い歯を覗かせていた。
弄ばれたことに、腹が立った。唇を強く結び、拳だけを強く握りしめる。
「何? その顔。なんか文句あんの?」
どうしてこんなことをするんですか、と言いたかった。ばら撒いたチラシをちゃんと拾い、謝罪してもらいたい。言い返してやりたいけど、僕にはそんな勇気はない。
どうしてこんな思いをしないといけないのか、と天秤の片方にずしんと重りが乗るが、それでも、気持ちは揺るがない。
もめている場合ではない。困ってる人を助けなければ。犬探しに戻ろうと自分に言い聞かせる。溜息が漏れそうになるが、今度はその溜息に因縁をつけられそうな気がして、ぐっと飲み込んだ。
その代わり、僕は屈み、散らばっているチラシを集めることにした。
「先輩なのに、酷いことするなあ」
僕の心の声だ。だけど、僕の声じゃない。
では誰の声か?
顔を上げると、隣にすらっとした男子生徒が立っていた。
僕は必死に犬を探していた。
「すいません、すいません」
校門のそばに立ち、下校する生徒たちに声をかけながら紙を差し出して行く。
『名前:マリン 犬種:ミニチュアブルテリア 二歳 メス
似ている犬を見かけたら、2-1瀬川潔子(せがわきよこ)までご連絡ください』
僕が探しているのは自分の家族ではなく、散歩中にいなくなってしまった同級生の犬だ。チラシの白い犬は、行儀良くお座りして口を開けていて笑っているように見えるが、君はいいね、とは思わない。早く助けなければ、と焦りがこみ上げた。
同じ学校の生徒とは言え、知らない生徒に話しかけるのは緊張する。
犬探しという名目があるが、不審な目を向けられたり邪険にされたら、僕のしていることは人を不快にされるんだな、とたかが知れているし、無力だと思って傷つく。だが、僕が傷つくことなんかよりも、大事なことがある。天秤の片方に不安や無力感があっても、揺るぎはない。
僕は、困っている人を放っておくことができない。
したくないではなく、できないのだ。
この犬と困っている瀬川さんの為ならば、と一歩前へ足を動かす。不幸中の幸いは、今が四月の末なので部活動の勧誘かと思って、新入生が一応興味を示してくれるところだった。
「すいません、ちょっといいですか?」
「何これ?」「迷子の犬だって」「ふーん、可愛いじゃん」
好意的な反応にほっとする。帰って行く一年生女子グループの背中を見ながら、犬を見かけてくれますように、連絡をくれますようにと祈る。
視界の隅に別の生徒が見え、勢いに任せて「すいません」と反射的に紙を差し出す。
「痛っ」
「ごめんなさい!」
慌てて謝るが返事がない。代わりに細い眉毛の男子が手を突き出し、彼は口を尖らせた。
「慰謝料くれよ、慰謝料」
襟章の学年カラーから三年生、上級生だとわかる。腰より低い位置でズボンを履いていて、だぼだぼと着崩している。
手をぶつけてしまった細眉の先輩は、不機嫌そうに眉を歪めていた。彼の隣に立つもう一人は、脱色をしているのか明るい髪色をしている。人を見かけで判断するのは良くないけど、二人からは柄の悪い気配が漂っている。
「ほら、慰謝料だよ、慰謝料」
覚えたての言葉を反復する子供のように、細眉の先輩は「慰謝料」と繰り返して手のひらを向けてくる。
年上だから気軽にからかっているだけなのだろうか。崖際に追いやられているみたいに肝が冷え、それでも機嫌を取ろうと苦笑いを浮かべてみる。が、相手は眉一つ動かしていない。本気で言っているとは思えないけど、悪いのは僕だ。なんとか切り抜けられないかともう一度丁寧に「すいませんでした」と頭を下げる。
「そういうのはいいんだよ、ほら、ジャンプしてみろよ」と細眉が口を尖らせ、
「古いっつうの。下級生からかうのはやめてやれや」と茶髪がいさめてくれた。
「で、君は何してるわけ?」
やはりからかわれていたのか。思っていたより悪い人たちではないのだろう。ほっとしつつ、「実は、犬を探してるんです」とチラシを差し出す。
茶髪がニコニコ笑いながら、「手伝ってやるから貸しな」と言って、チラシの束を全部持っていった。
「そこまでしてくれなくてもいいですよ」
と僕が言った直後、茶髪が大きく両腕を広げた。
捕らわれていた鳥を解放するような仕草だったが、チラシは足元にばさばさと落下していく。
「おしまーい。お疲れしたー」
茶髪がそう言って、快活な笑い声をあげた。
何が起きたかわからない。が、少しずつ状況を理解してきて、胸の内側から暗い色が溢れ出てきたような気持ちになる。
「ほら、ありがとうは? 手伝ったんだからお礼くらい言ってくれよ」
茶髪は悪びれる様子もなく、白い歯を覗かせていた。
弄ばれたことに、腹が立った。唇を強く結び、拳だけを強く握りしめる。
「何? その顔。なんか文句あんの?」
どうしてこんなことをするんですか、と言いたかった。ばら撒いたチラシをちゃんと拾い、謝罪してもらいたい。言い返してやりたいけど、僕にはそんな勇気はない。
どうしてこんな思いをしないといけないのか、と天秤の片方にずしんと重りが乗るが、それでも、気持ちは揺るがない。
もめている場合ではない。困ってる人を助けなければ。犬探しに戻ろうと自分に言い聞かせる。溜息が漏れそうになるが、今度はその溜息に因縁をつけられそうな気がして、ぐっと飲み込んだ。
その代わり、僕は屈み、散らばっているチラシを集めることにした。
「先輩なのに、酷いことするなあ」
僕の心の声だ。だけど、僕の声じゃない。
では誰の声か?
顔を上げると、隣にすらっとした男子生徒が立っていた。