君は犯人

文字数 2,855文字

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 インターフォンのモニターを見て、殺人鬼が僕を探しにやって来たような戦慄を覚えた。

 柔和な表情の森巣が写っている。何故、森巣がここにいるのか。もしかして、瀬川さんに『まだ信じない方がいい』と言ったことに怒り、僕を探しているのだろうか?

 隠れても無駄だ、僕がここにいることはお見通しだとでも言うように、再びピンポーンと音が鳴る。

 柳井先生が通話ボタンを押し、返事をする。

「森巣か、どうしたんだ? 突然こんな時間に」
「あの、突然すいません。実は、先生にご相談したいことがあるんです」

 柳井先生が僕を見て、「呼んだのか?」と訊ねてきた。首を横に振る。
 ちらりと壁の時計を見ると、もう夜の七時を回っていた。

 森巣の突然の訪問に意表を突かれたのか、柳井先生も動揺しているようだ。しばし逡巡するような間を置いてから、

「今開けるよ」と玄関へ向かった。

 自分の心臓がバクンバクンと動き回っているのがわかる。もうすぐ森巣がやって来る。リビングの扉を睨みながら、落ち着け、落ち着けと周囲を見回す。机の上の文具コーナーにカッターナイフやハサミがある。いざとなればこれを構えて、牽制はできるだろうか。

 でも、僕にそんなことができるのか?
 立ち向かう勇気があるのか?

 そう思った瞬間、扉が開き、森巣が現れた。

「平? どうして?」

 森巣は、僕がこの家にいるなんて想いもしなかったと言わんばかりの、演技とは思えないほど驚いた顔をした。その反応に白々しいと思いつつ、やあ、と返事をする。

「チラシを貼ってたら柳井先生に会ったから、ちょっと相談に乗ってもらってたんだ」
「そうなんだ。俺はここを瀬川さんに教えてもらったんだよ」
「どうして先生の住所を聞いたの?」
「それはまだ言えない」

 はぐらかされ、むっとする。キッチンから柳井先生の「森巣もお茶でいいか?」という声が飛んできた。

「すいませーん、おかまいなく」

 森巣が返事をしながら、僕の隣の席に腰掛ける。ぴりりとした緊張感が皮膚を走った。

「でも、平は何の相談を?」
「進路のこととか」

 進路相談ねえ、と森巣が呟く。そんなことをしている場合か? と思っている様子もないし、どんなこと? と気にしている素振りもない。言葉が霧散し、沈黙が生まれる。ごくりと唾を飲めば、それが森巣にバレ、緊張していると悟られてしまう気がした。

 森巣が僕を追ってきた。逃げた方がいいか? と廊下に通じるドアを見る。
 だけど、それでいいのか? と頭の中で声が聞こえた。
 今、この場を凌いでも、どうせ明日学校で会う。ずっと逃げ続けるのか?

 森巣は僕のことを侮っている。僕はもう事件の真相に気付いているし、幸いここは柳井先生の家だから、一人じゃない。

 柳井先生から、自分自身の欲望に忠実になって行動するんだ、と教わった。クビキリのあった小学校の先生との会話を思い出す。教えたいことと伝えたいこと。柳井先生が僕に教えてくれたことを、僕はちゃんとキャッチできているだろうか?

 やっぱり僕は、困っている瀬川さんと、瀬川さんの犬を助けたい。
 それだけではなく、奇妙な感情が生まれていた。
 僕はこの、得体の知れない同級生と、森巣と正面から向かい合ってみたくなっていた。
 ぎゅっと結んでいた唇を開く。

「ちょっと森巣の意見を聞かせてもらいたいんだけど、いいかな?」
「もちろん、俺でよければ」

 涼しい笑顔を見せる森巣に、立ち向かおうとしたその時、

「ほい、森巣の分」

 と柳井先生がティーカップを持って戻ってきた。カモミールティーの優しい香りが湯気となってふわりと漂う。礼を言って森巣が受け取り、香りを楽しむようにカップを掲げた。

「家に生徒が二人も。俺も人望のある教師になったもんだなあ。でもすまん、ちょっとトイレに行ってくるから待っててくれ」

 そう言って柳井先生がリビングを出て行く。森巣を問い質すから一緒にいて下さい、そう思ったけど言葉にはできない。

「それで?」

 森巣がじっと僕を見て訊ねてくる。「一人じゃ何もできないの?」と試してくるみたいな視線が刺さる。

 体のどこか、細胞の一つ一つに呼びかけるように、念じる。湧け、僕の勇気。
 覚悟はできた。対決だ。

「森巣、あの袋小路で犯人がどこに逃げ込んだのかわかったんだ」
「本当に?」
「うん、左の家には番犬がいたんだ。ちょっと覗いただけで吠えられたから、逃げ込むなんて無理だろうね。つまり、犯人は右の家に逃げ込んだことになる」
「なるほど。だけど、マリンの鳴き声が聞こえなかったことはどうなる?」
「犯人は一人じゃなかったんだよ。犬を待ち受けている人がいたんだ。つまり、右の家の住人も共犯者なんだ」
「なるほど、放り投げられた犬を捕まえて黙らせた、と」
「その通り。で、そのことを森巣は知っていたんじゃないの?」

 やっと森巣は自分に疑惑の矛先が向いていたことに気付いたようだった。目を瞬かせ、きょとんとした顔をした。

 いよいよ核心だ、と僕は畳み掛ける。

「森巣、君は犯人の一人で、クビキリにも関わっているんじゃないか?」

 さあ、どうなんだ? とじっと観察する。

 森巣の眉がぴくりと動き、表情が強張った。それは指摘されて焦っているというよりも、怒りが噴き出し、顔の筋肉が波打ったかのようだった。

 殺気立ったものを感じた。瞬間、森巣の発する雰囲気に飲まれ、息もできないようなプレッシャーを覚える。

 呼吸を忘れ、森巣から視線を外せずに固まる。

 森巣の表情がすぐに戻り、うっすらと笑みを浮かべた。ふっと部屋の中の空気が緩むのを感じ、今の表情は何だったのか、幻だったのではないかと思いそうになる。

「どうして、そう思ったんだい?」

 体温や感情の読めない、平坦な声色だった。だけど動揺しているのか、森巣の右手の人差し指が、こつこつ、こつこつとテーブルを叩き始めている。

「マリンちゃんに賞金について、瀬川さんからさっき教わったよ。森巣はマリンちゃんの無事を知っているから、賞金を更に釣り上げたんじゃないの?」
「あれは、知り合いに動いてもらう為だよ」
「それだけじゃない。第三のクビキリが見つかった小学校で先生から話を聞いたんだ。森巣が第一発見者らしいじゃないか。君は、クビキリを知らないって僕に嘘を吐いていた」

 森巣が第一発見者になった理由は、大切な動物が殺され、それを見つけた人の顔を一番近くで見るためではないだろうか。猟奇的な事件の犯人は、自己顕示欲の強い人が多いと聞く。だから、動物の死骸だけではなく、自分も目立ちたいと思ったのかもしれない。

 こつこつと動く、森巣の右手が止まった。
 目と目が合う。
 森巣は困ったように笑い、両手を合わせて「ごめーん」と茶目っ気のある声をあげた。
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