君のこと

文字数 2,925文字

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「僕の紙袋が何も盗まれないで返された。これで結果的に何が起こったのか」
「何が起こったんだ?」

「僕が君に相談をして、呼び出した。これが目的だったんだよ」
「だろうな。犯人は理学療法士だ。偽者で、理学療法士の格好をして盗みに行った。病院にいそうな格好をしていたら、関係者だと思い込むだろうからな」

 森巣の表情は真剣そのものになっていた。

「まさか、自分が誘き出されたって気付いてたの?」
「平からメッセージが届いて、何か仕掛けられたのかと思っていたし、話を聞いて、そうだろうなと確信した」

 どうして、と僕は口を動かしながら、僕ではなく森巣が狙われている考えを巡らせる。

「平の所為じゃない。俺がヘマをしたんだ。滑川を襲った残党について嗅ぎ回ってることに気付かれたんだろう。今も見張られていると考えるべきだ」
「見張られてるって、まさか、さっきの女医さん?」

「いや、あれは本当に違う」と森巣が苦笑するが、こっちの不安や胸騒ぎが止まらない。
「人前で何かしてくることはないと思うけど、病院を出たら森巣が襲われるってことはないかな?」

「あるかもな」
「どうしてそんなに、余裕ぶってるんだよ。危ないのは君なんだぞ」

 森巣は、自分がキノコ男のグループを調べてバレたからだと言っているが、元を辿れば僕がキノコ男と遭遇してしまったことが、このトラブルのキッカケだ。僕の所為で森巣を危険な状況に連れ出してしまった、と後悔の波に飲まれる。

「平、勘違いをしてるぞ」
「何?」
「余裕ぶってない。余裕はないからな」

 森巣がそう言って、コップの水を口に運んだ。

「なあ、もう警察を頼ろう。今までのことを話せばきっと追い返されることもないって」
「いや、警察を頼る選択肢はない。俺は今までに犯人を逮捕させたこともあったが、あれはただの手段だ。刑務所にぶちこんでやりたかっただけで、俺にとって警察は守って欲しいと縋る存在じゃない」

「どうしてなんだ。意地を張るなよ」全然話が通じず、コミュニケーションが取れないことに、歯がゆさと苛立たしさを覚え、声を荒げてしまう。

 すると森巣は、僕を制するように右手のひらを向けた。そこには、目立つミミズ腫れになった線が刻まれている。前にも見せてもらったことがあるが、息を飲む傷跡だった。

「俺が父親に暴力を振るわれて育った話はしたよな。昨日も骨折したと話したが、全部あいつにやられたものだ。警察や偉い奴らは何もしてくれなかった。正しいと思うことをして生きる為には、自分自身が強くなるしかない」
「本当に、助けてもらえなかったの?」
「嘘だと思うのか?」
「そうじゃない」ただ、それは、とても悲しいことだ。

「俺はルールだとか綺麗事だけを言う誰かは信じない。気にくわない連中には立ち向かうし、守りたい奴は守る。それができなかった時に、何もしなかった奴の所為にしてのうのうのと生きるのはご免だ。俺はこういう目に遭うのも初めてじゃない。自分が安全じゃない道を進んでいる自覚と覚悟はしている」

 森巣が語っているのが、悟ったふりではないということが、尋常ではない真剣な目つきから伝わってきて、それが辛かった。

 彼は、痛みと、死を知っている目をしていた。
 覚悟をしていなければ、今までのような無茶はしてこなかったはずだ。理解はできる。だけど、僕といた時間は楽しくなかったのか、例えば雑談をしたり、甘いものを食べたりするようなあの時間だって良いものだと思わなかったのか、とやるせなさに襲われる。

「今回は予想できなかったことが起きた」

 僕の所為で彼が狙われてしまっていることか、と胸の奥がぎゅうっと握られる。

「が、考えがないわけじゃない。平の骨を折って、嗅ぎ回る俺を狙ってる奴は、滑川を仕留めそこなった、だろ?」

 やり切れなさで曇った頭を慌てて拭いて、相関図を頭の中で描き、そういうことになる、と相槌を打つ。すると、森巣がこつこつ、こつこつ、と指先でテーブルを叩き始めた。

「敵は病院にまで侵入して来た。危機的状況だが、平を見つけたのに放っておいているところを見ると、お前の優先順位は低そうだ。が、これからずっと病室のベッドで大人しくしていろ。何かあったら大声で騒ぐかナースコールを押して助けを呼べ。俺も今日一日、死ぬ気で逃げ切る。そして明日、八木橋と組んで滑川に奇襲をしかける。が、その前に俺たちを狙っている不審者を見つける。その情報を八木橋経由で滑川に流せば、護衛がそっちに行く筈だ。警備が手薄になった滑川の個室を、俺が叩く。不審者が滑川の護衛に勝てば、景品としてのびてる滑川を引き渡し、俺たちのことは忘れてもらう。護衛が勝ったら、待ち構えておいて撃退する。その場合、滑川は責任を持って八木橋になんとかさせよう。それは最終手段だがな」

 計画が瞬時に組み立てられ、説明されたことに、圧倒された。

「すごい……それ、今考えたの?」

 止める為の言葉を探すべきなのに、思わず感心の声を出してしまった。

「だけど、どうやって不審者を見つけるわけ」
「それは、平に頼みたい」
「僕?」
「お前は目が良いからな。この食堂にいる、俺を狙う不審者の目星をつけてもらいたい。明日、入り口のそばで見張って、そいつが病院に来たら知らせてくれ」
「そんな、責任重大じゃないか。一体どうやって」

 大きな爆弾を、急に手渡された気持ちになる。爆弾の存在を悟られていないか気にするみたいに、おそるおそる周りを見る。食堂には、ざっと見た感じでも四十人ほどいる。約一クラス分、覚えられない人数ではない。が、それでも、だ。

「食堂にいる全員を覚えろとは言わない。俺を尾行するように、出て行く奴を覚えてくれ」
「それなら覚えられる」
「じゃあ、任せたぞ」

 森巣がそう言って立ち上がり、僕の脇を通り過ぎようとした。ので、彼の腕を掴む。
 尾行する不審者を森巣が待ち伏せをすれば、とも思ったが、のびた滑川を差し出した方が交渉しやすいだろうし、森巣が先手を打って不審者を倒したら、滑川の処遇に困るのだろう。八木橋さんに任せるのが、最終手段だというのは僕でもわかった。

「森巣、僕はまだ引き受けたとは言ってない」
「不安なのか?」
「違う。計画が成功するのかが気になってるんじゃない。君がやろうとしていることが正しいんだって、確信させて欲しいんだ」

 すると森巣は、僕の心を覗き込むような目をして口を開いた。

「俺を信じろとは言わない。お前自身が何を正しいと思うかを、他人に委ねるな。自分で決めるんだ。俺に手を貸してもいいと思ったら、手を貸してくれ。警察に通報したかったらそうしても構わない。平の好きにしろ」

 穏やかな口調だが、突き放すような言葉だった。思わず掴んでいる手を離してしまう。

 森巣は何かを続けようと思ったのか、口を開きかけたが、何も続けずに食堂を出て行った。僕は、いなくなる森巣と、彼を追うように消える男の背中と、ぽかんと空いた店の出口をしばらく眺めていた。
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