僕は犬を探している

文字数 2,119文字

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 十六歳、高校二年生の僕は犬を探している。帰宅して、愛犬が尻尾を振りながら駆け寄って来たら、それはとても嬉しいことだろう。

 だけど僕は、自分の新しい家族を探しているわけではない。

「すいません、すいません」

 校門のそばに立ち、下校する生徒たちに声をかけながら紙を差し出して行く。

『名前:マリン 犬種:ミニチュアブルテリア 二歳 メス

 似ている犬を見かけたら、2-1瀬川潔子(せがわきよこ)までご連絡ください』

 僕が探しているのは、散歩中にいなくなってしまった同級生の犬だ。同じ学校の生徒とは言え、知らない生徒に話しかけるのは緊張する。チラシの白い犬は、行儀良くお座りして口を開けていて、笑っているように見える。

 苦手でも、この犬と困っている瀬川さんの為ならば、と一歩前へ足を動かす。

 僕はチラシを「すいません」と言いながら差し出ていく。突然声をかけてくるなんて胡散臭いと感じているのか、僕の態度がしどろもどろなせいか、声が小さいせいか、あるいは全てが当てはまるからか、下校する生徒は待ち構える僕に訝しむ視線を向けてくる。

 今は四月の末だ。部活動の勧誘だとでも思われているのかもしれないが、無視された時、心が傷つかないといえば嘘になる。校内の掲示板にチラシを貼り終え、余ったものを配ってしまおうと思ったのだが、なかなかに時間と根気とメンタルが試された。

「すいません、ちょっといいですか?」
「何これ?」「迷子の犬だって」「ふーん、可愛いじゃん」
「見かけたら、連絡をもらえると助かります」

 なんとか、通りかかった一年生女子グループに渡すことができた。好意的な反応にっほっとする。帰って行く彼女たちの背中を見ながら、犬を見かけてくれますように、連絡をくれますようにと祈る。

 視界の隅に別の生徒が見え、勢いに任せて「すいません」と反射的に紙を差し出す。

「痛っ」
「ごめんなさい!」

 慌てて頭を下げたが、返事がないのでおそるおそる見上げると、細い眉毛の男子が手を差し出していた。なんの手でしょうか? と窺うと、彼は口を尖らせた。

「慰謝料くれよ、慰謝料」

 襟章の学年カラーから三年生、上級生だとわかる。腰より低い位置でズボンを履いていて、だぼだぼと着崩している。手をぶつけてしまった細眉の先輩は、不機嫌そうに眉を歪めていた。
 彼の隣に立つもう一人は、脱色をしているのか明るい髪色をしている。人を見かけで判断するのは良くないけど、二人からは柄の悪い気配が漂っている。

「ほら、慰謝料だよ、慰謝料」

 覚えたての言葉を反復する子供のように、細眉の先輩は「慰謝料」と繰り返して手のひらを向けてくる。

 年上からからかわれることがないので、こういう時にどう対応していいのかわからず、苦笑いを浮かべてみせる。本気で言っているとは思えないけど、悪いのは僕だし、と焦りと不安が頭の中で渦を巻く。

「ほら、ジャンプしてみろよ」と細眉が口を尖らせ、
「古いっつうの」と茶髪がツッコミを入れるように肩を叩き、「下級生からかうのはやめてやれや」といさめてくれた。
「で、君は何してるわけ?」

 ほっとしつつ、「実は、犬を探してるんです」とチラシを差し出す。茶髪はそれを検分するように「見かけたら瀬川潔子にまで」と読み上げていく。

「慰謝料の代わりに連帯責任ってことでさ、潔子ちゃんをここに呼んでくれよ」
「あの、えっと、瀬川さんはもう下校してるんで」
「だったら呼べよ」
「もういいだろ、二年びびってんじゃん」

 茶髪がニコニコ笑いながら、「手伝ってやるから貸しな」と言って、チラシの束を全部持っていった。

 そこまでしてくれなくてもいいですよ、と口を開きかけたところで、茶髪が大きく両腕を広げる。ばさばさっと音を立てながらチラシが宙を舞った。

 捕らわれていた鳥を解放するような仕草だったが、チラシは飛んで行くことなく、足元に落下していく。

「おしまーい。お疲れしたー」

 茶髪がそう言って、快活な笑い声をあげた。

 何が起きたかわからず、放心する。少しずつ状況がわかってきて、胸の内側から暗い色が溢れ出てきたような気持ちになり、心がずしんと重くなった。

 茶髪は悪びれる様子もなく、白い歯を覗かせていた。

「ほら、ありがとうは? 手伝ったんだからお礼くらい言ってくれよ」
「えぐいえぐい」

 弄ばれているということは、さすがにもうわかった。

「何? その顔。なんか文句あんの?」

 どうしてこんなことをするんですか、と言いたかった。

 ばら撒いたチラシをちゃんと拾い、謝罪してもらいたい。言い返してやりたいけど、僕にはそんな勇気はない。溜息が漏れそうになるが、今度はその溜息に因縁をつけられそうな気がして、ぐっと飲み込んだ。

 その代わり、僕は屈み、散らばっているチラシを集めることにした。

「先輩なのに、酷いことするなあ」

 僕の心の声だ。だけど、僕の声じゃない。
 では誰の声か?

 顔を上げると、隣にすらっとした男子生徒が立っていた。
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