明日に向かって撃て!

文字数 3,530文字

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 店を出ると、森巣は空を見上げてから、「以上が強盗ヤギのあらましだ」と言って歩き始めた。僕は生返事をしつつ、森巣の歩調に合わせて隣を進む。

 歩きながら、でも、と思う。
 でも、君の隣を歩き続けるのは無理だ。 

「平のおかげで、真相がわかった。感謝する」
「いや、それは、僕は見ていただけだよ」
「俺はこれから滑川について探る。何かわかったら声をかけるから、準備をしておいてくれ」
「準備って何を」
「心の準備だ」

 森巣がそう言って、八重歯を覗かせる。

「森巣は僕のことを買ってくれているみたいだけど、もう今回みたいに、君に協力はできない。まだ高校生だし、君みたいに悪に立ち向かうなんて無理だよ」

 森巣が立ち止まる。

 事件の謎はわかったはずなのに、森巣は重要なことを説明するように、まっすぐ僕の顔を見て、ゆっくり口を開いた。

「悪は誰だと思う?」

 そう言う森巣は、店の中では見せていなかった憎しみを顔に浮かべていたので、僕は驚いた。

「悪?」
「お前は正義とか悪とかに拘っていたが、今回の事件で悪いのはどいつだ?」
「そりゃあ、その強盗ヤギのシステムを考えた、滑川って奴だろ」

 他人を利用し、巻き込み、自分は安全な場所にいる、そいつが一番の悪ではないか。

「俺は、安全な場所から他人の不幸を楽しむ、想像力のない奴らも悪だと思うがな」

 言葉が、胸に突き刺さった。

 常に第三者で、他人の不幸さえも娯楽にしてしまう。森巣が言う悪とは、人間の悪意のことだろう。無意識であるが故におぞましく、掴み所のない、もやのような存在だ。

「俺は正義だとか悪だとか、言葉遊びに興味はない。正義を振りかざす奴なんてろくなもんじゃないしな。正義なんて言葉は、気に入らないものを叩きのめす時に使う言い訳だ」
「鬱陶しいとか目障りだって言ってたのは、強盗ヤギのことじゃないんだな」
「ああ、そうだ。馬鹿みたいに動画を再生させている連中のことだ」

 教室で、電車で、家や会社で、喫茶店や食事の席で、みんなが動画を再生させている。どんな気持ちで見ているのか。見て、何が満たされるというのか。

 森巣は腕時計を一瞥し、「今晩、動画を投稿する」と言った。

「動画?」
「約束をしちまったから店が協力者だってことは伏せるが、強盗ヤギは動画再生も目的にしていると告発する内容だ。SNSで小此木にも拡散させれば、学校で見てたバカには届くだろう」
「今まで自分たちが動画を見ていた所為で、と気付くかな」
「バカでもわかるように動画を作ってやるよ」

 森巣がそう言って、じっと僕を見る。僕の心の奥底を覗き込むような、そんな目だった。

「お前は、まだ悪に立ち向かうなんて無理だと言う。じゃあ、何歳になったら立ち向かうんだ? 筋肉がついたら立ち向かえるようになるのか? そもそも、人間の悪意から目を逸らしたまま生きることなんてできると思うか?」

 それは、と口を開いたが、言葉が続かない。何も知らなかった所為で強盗ヤギの視聴者のように悪に利用されてしまうかもしれないし、放っておいた所為で自分や大切な人が被害に遭ってしまうかもしれない。日常は簡単に捲れ、そこから危険が溢れてくることを知ってしまった。

「柳井の家で立ち向かったお前や、強盗ヤギを観察したお前には勇気と覚悟を感じたぞ」

 あの時は必死だっただけだ。僕は常に必死に生きているわけではない。

「森巣、君は何をしたいんだ?」
「俺は、自分の快楽の為に弱い者を虐げて、利用する奴を許さない。敵がいるなら戦う」

 お前もだろ、と挑むような視線を向けるてから、森巣は僕に背を向けてそのまま去って行った。小さくなっていく背中を見ながら、僕はどちらへ進むべきかがわからず、もう一度空を見上げた。

 夕闇に浮かぶ空では、吹けば飛ぶような小さな雲が浮かんでいた。



 母が作ってくれたオムライスとサラダを食べ終え、台所で夕飯の食器洗いをしていたら、妹の静海が「兄、これどうしたの?」と訊ねてきた。膝の上には、レンタルビデオ店の袋が乗っている。

「ああ、友達が勧めてくれた映画を借りたんだよ。食後に見ようかなと思ってたんだ」
「あたしも観たい! お母はどうする?」

 妹が車椅子に座ったまま体を捻り、リビングのテーブルでノートパソコンに向かっている母親を見る。会社でやりきれなかた仕事を持ち帰り、家でやっているようだった。

「優介、何借りて来たの?」
「『明日に向って撃て!』ってやつ」

 母親はパソコンから顔を上げて、僕の顔をまじまじと見た。何か? と視線で訊ね返す。

「観る?」
「わたしはいいかな。でも、二人は観たほうがいいよ。そういう映画ってあるから」
「見ないと人生損してるってやつ?」

「そんなことないよ」のんびりとした口調で母はそう言って、ダジャレになっていることに気がついて頬を緩めていた。

 静海に早く早く、と急かされて僕はテレビをつけ、DVDをセットし、再生の準備をする。映画のメニュー画面が表示されてから、僕は静海の元に行く。

 まずは僕が先にソファに座ってから、「はい、行くよ」と声をかける。横向きに車椅子に座っている静海の足を、僕の右太ももに乗せる。転倒防止のためだ。

 そして、ゆっくりと腕を伸ばす。右手で臀部を、左手を体の前から肩甲骨あたりを抱きかかえるように支える。静海も僕の体に抱きつくように腕を回す。

 二人で声を掛け合い、体を移動させる。静海の体重が僕の腕と肩にのしかかる。子供の頃に比べれば重くなった。だが、この重さを感じる度に、僕は嬉しくなる。妹がここにいるのだ、と安心する。

 兄として妹を怪我させるわけにはいかないぞ、と踏ん張る。体を回転させて、静海をソファに移動させ、深く腰掛けられるように奥へと押してあげる。静海も、自分の座りやすいポジションになるよう、両手を使って、もぞもぞと動いた。

「ありがと」

 いえいえ、と思いながら、DVDを再生させる。

 舞台は一八九〇年代のアメリカ西武で、ブッチとサンダンスというお尋ね者の物語だった。二人は、強盗団を作り、銀行や列車強盗をして暮らしている。だがある日、強盗に失敗し、逃亡を決意する。

 サンダンスの恋人、エッタ共に、ゴールドラッシュを迎えて入るという話題のボリビアへと高飛びをした。だが、ボリビアはただの田舎だった。そのことに憤慨しつつ、男二人は用心棒としての生活を始める。

 最初は強盗二人組に対して、眉をひそめた。だけど、泳げなかったり、外国語が喋れなくて困ったり、自転車を楽しそうに乗って入る姿はひょうきんで、いつの間にか彼らの幸せな時間が続きますようにと祈りながら見ている自分がいた。

 悪人だって人間だ。ブッチもサンダンスも、悪い奴だけど、弱い者いじめをしたりはしない。見逃してやってもいいのではないか。大げさに言うと、そんなことを感じていた。

 だが、社会はそれを許してくれない。不気味なほど、しつこい警察部隊に追われ続ける人生を送ることになり、「二人が死ぬところは見たくない」と恋人も去っていく。

 どんどん彼らの居場所が社会からなくなっていくのを見るのが辛かった。

 終盤、二人は大勢の追っ手に完全に包囲され、建物の中に逃げ込んだ。飛び出せば一体どうなるかわかりつつも二人は冗談を言い合い、銃を構えて建物を飛び出した。
 激しい銃撃音だけが続く。いつまでも続く。

 スタッフロールが終わってからも、しばらく呆然としてしまった。大切な友人たちがアリが踏み潰されるみたいに、呆気なく殺されてしまた。

「きっと、二人は死んじゃったよね」と静海が心細そうに言う。あれは絶望的な状況だった。僕は「うん、多分」と答える。
「でもさ、二人が一緒で良かったね」

 隣に座る静香の顔を見る。涙目になっていたけど、ぎゅっと唇を結んでいた。

「どうして?」
「だって、一人じゃ寂しすぎるじゃない」

 暗闇の中で見つけた小さな光を慈しむような、懸命な言葉だった。そっか、そうだね、と僕は相槌を打ちながら、テレビ画面を見つめる。
 一人じゃ寂しすぎる。
 頭の中に浮かんでいるのは、森巣のことだった。
 僕は、森巣が強盗ヤギに銃を向けられた時、怖くて足がすくみ、助ける為に動くことができなかった。僕にはまだ、悪に立ち向かう勇気がない。

 それでも、だ。

「死ぬところは見たくない」というエッタの悲痛な言葉が頭の中で囁かれる。

 僕もだ。
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