チョコパフェ
文字数 3,596文字
3
頑張ることを「骨を折る」とは言うけど、実際頑張るのは骨を折った後だな、と思う。
食堂に移動し、空いている席を見つけて座る。痛む左腕を庇いながら移動するのは苦労した。迂闊に摂食しようものなら、その場でもんどり打つほどまだ痛んでしまう。
ここに来るのは初めてだな、とぐるりと視線を巡らせる。教室二つ分ほどの食堂はお洒落とは言い違いけど、ずっと病院を支えてきているのだろうなという趣があり、少し元の生活に少し戻れたような気持ちになれた。食事をしている人や、僕のように見舞いに来てくれた人と談笑する人で半分ほど埋まっている。
「なんだこれは?」
しばらくして注文してきたものが運ばれて来て、森巣が眉をひそめる。
「何って、パフェだよ。チョコパフェ」
テーブルの上には、オレンジジュースと花弁を想起させる器に入った、生クリームとチョコレートアイスクリームがそびえるパフェがある。ファミリーレストランや専門店のような大仰さはない、ささやかなものだけどそれでも迫力がある。
「入院食以外を食べていいのか?」
「森巣のだよ。見舞いに来てくれたお礼」
「パフェを食うって気分じゃないぞ」
そりゃそうだ。新しい事件の話をいきなり聞かされるのが嫌だったので、注文したのだ。森巣は僕の前にあるチーズケーキを見て、顔をしかめていた。
「チーズケーキ嫌いなんだっけ?」
「いや、嫌いではない」
「交換しろって言うのかと思った」
「言う訳がないだろ。毎年七月は絶対にケーキは食べないことにしてるからな」
「はあ」相変わらずよくわからないルールを持ってる奴だな、と曖昧に相槌をする。
森巣は勢い良く甘味の山にスプーンを突っ込んだ。
「期待してなかったが、なかなか悪くないぞ」
生クリームがたっぷり乗ったアイスを口に運び、頷きながら食べる森巣を見て、そう言えば、一緒にカフェに行ったなあと思い出す。あの時も感心した様子で青リンゴのアップルパイを食べていた。甘い物を美味そうに食べる奴、ということは僕が森巣について知っている数少ないことの一つだ。
「一口くれない?」「絶対にダメだ」「ケチ」
自分はそう言ったくせに、僕が「いただきます」と言ってケーキを食べようとしたら、先にスプーンでケーキをえぐり、自分の口に放り込んだ。
「ケーキは食べないって言ってたじゃないか!」
「一口だけだ。少し待て」
毒味じゃあるまいし、がめついなあと呆れる。しかし、よく見れば森巣の頬が以前よりこけて見える。最近ちゃんと食べていたのか? と心配になった。
先週の金曜に襲われたので、あれから四日経った。以来僕は学校に行ってはいないが、その一週間前から森巣は学校に来ていなかった。
その間に何をしていたのか、気になっていなかったと言えば、嘘になる。
「それで、森巣は学校に来ないで何をしてたわけ。小此木さんも心配してたぞ」
「調査をしていたんだ。平は滑川を覚えているか?」
滑川、その名前が出た瞬間に、肌にぴりりと緊張が走った。
森巣と関わるきっかけとなった事件、巻き込まれた事件、その全ての裏に滑川という男がいた。滑川の影にずっと付き纏われているような、不気味さがある。悪事の黒幕にいるのに手口が巧妙で、証拠を掴んでいないのか警察が滑川を指名手配したりもしていない。
「頭を殴られたけど、記憶喪失にはなっちゃいないよ。君がご執心だった悪党だろ」
「滑川は犯罪起業家みたいな奴だ。どうやら、会員制の違法な裏カジノに出入りしている連中が顧客らしい。そういう奴らだから、倫理観も狂っているし金も持っている。滑川の商売相手としては打ってつけだったんだろうな。俺は調査の為に、その裏カジノに潜り込んでいたんだ」
「学校に来ないでカジノに通ってたわけ?」
「学校とどっちが大事かなんて、比べるまでもないだろ。滑川は病気の子供がいたら親を騙し、疲れた母がいれば金品を奪い取り、死にそうな奴を利用する。つまり弱い人間を食い物にして私腹を肥やす汚ないゴミだ。目に入ったゴミは捨てないといけない、だろ?」
それを君がやらなくても、と思わなくもないけど、警察が逮捕できずに野放しになっており、今も誰かが被害に遭っているのではないかと思うと許せない気持ちもあった。
「で、その調査は終わったわけ?」
「ああ、まあ、一応な」
歯切れの悪い返事をして、森巣はかちゃかちゃとパフェをかき混ぜた。「一応?」やるなら徹底的に、というタイプだと思っていたので気になる。
「先を越されたんだ。滑川は居場所がバレて襲撃されたらしい。拉致されたって話だ。汚いやり方で儲けた分、恨みも買ってたんだろう。楽な死に方はさせてもらえないだろうな」
「楽な死に方、ねえ」
「時間をかけてやってくれる専門業者がいるっていうのも調べていたんだが」
「キーワード、『怪しい業者』とかで検索してるわけ?」
「検索して出てきたら、そりゃ怪しい業者だな」
振り上げた拳の行き場がなくなり、困惑しているのだろうか。冗談を口にしているけど、いつもの威勢の良さがない。
「結果として悪党がいなくなったんなら、それでよかったじゃない」
「まあな、俺はそんなわけで、ひと段落したところだ。話がある、というのはお前のことだ」
「僕のこと?」
「襲われたらしいじゃないか。どんな奴に何をされたのか、詳しく教えてくれないか?」
「君が犯人を捕まえてくれるのか?」
森巣が紙ナプキンを手に取り、険しい顔をして口を拭い、それを、小さくなるまで握り潰した。骨ばった手に力が篭り、血管を浮かび上がらせながら指が蠢くのを見て、思わず息を飲む。
「捕まえても一発殴るくらいでいいからね」
「任せろ」
低く、険のある声で返事をされ、冗談だと伝わったのか不安になる。
「それで?」
「いや、大した話じゃないよ、通り魔にあっただけで、運が悪かったんだ」
あっさり伝えてお終い、と誤魔化してみたものの、森巣の表情は険しいままだた。
じっと僕を椅子に押さえつけて尋問するような視線を向けられ続け、段々息が苦しくなってくる。喉に手を突っ込まれて、ぎゅうっと言葉を絞り出されるみたいに、結局一通り何があったのかを話をしてしまった。それってモデルガンですよね、と指摘したせいで殴られたかもしれない、ということは伏せておく。
「偶然モデルガンを見たせいで襲われたところに、タクシーが通りかかってキノコ男は逃げた。運転手は警察に電話をしつつ、お前をこの病院に運んだ、と」
「淡々と言わないでほしいな。実際にはもっと劇的だったんだ。死ぬかと思った」
「死ぬかと思った、か。お前はそんな目にばっかり遭ってるな」
「君と知り合うまではそんなことはなかったんだけどね」
「図書館の帰りって話してたが……それって野毛の図書館か?」
「そうだよ」と返事をし、「ああ、森巣の言いたいことはわかるよ」と続ける。
通っていた図書館の駐輪場で、僕は残酷な殺され方をした猫の亡骸を見た。前を通る度に、心に大きく空いた穴に、冷たい風が吹き抜けるのを感じる。
死とそれに纏わることの記憶が蘇る。ならば行かなければいいのに、と思われるだろう。
「自分の気持ちはまだわからないんだけど、なかったことにして生きるのは良くないことだって思うんだよ。残酷なこととか、抵抗できない弱い存在がいるってこととか、何もできなかった自分自身のこととか、忘れちゃいけないって」
自分の内にある、不思議な形をした造形物の感想を口にするような気持ちで述べる。色々な解釈が生まれると思うけど僕にはこう見える、という直感的とも無責任とも取れる曖昧な言い方になってしまった。
森巣を見ると、酷く沈痛な面持ちをしている。青褪め、僕より具合が悪そうなくらいだ。
「森巣?」
「ん? ああ、だな」
世の中には理不尽なことがある。僕が襲われたのもそうだ。でも、あの通り魔も警察がきっと逮捕してくれるだろう。滑川もいなくなったのなら、僕らは学校に通う高校生に戻ろう。そう提案しようとした時に、コーヒーカップを持ってうろうろしている中年男性が目に入った。
ふっくらとした体型で、困ったような顔をしていて、どことなくパグを彷彿とさせる。パグに似たおじさんを見て気になる理由は、どこかで会ったような気がしたからだ。
「あ」と思わず声が零れる。
彼は借金の所為で、滑川に偽装強盗の協力をさせられていた店のオーナーだった。
「あ」とおじさんの口が動く。
僕の声に気付いてしまったようだった。どうも、と頭を下げる。偶然知り合いと会っただけだ。すぐに彼はどこかに行くと思った。が、彼はどうするか迷うようにうろうろしてから、おそるおそるといった様子でこちらにやって来た。
瞬間、何故か目の前にいる森巣から知れないプレッシャーを感じた。ぶわっと全身の毛が逆立つような強い殺気を肌に感じる。
僕はただただ、嫌な予感がした。
頑張ることを「骨を折る」とは言うけど、実際頑張るのは骨を折った後だな、と思う。
食堂に移動し、空いている席を見つけて座る。痛む左腕を庇いながら移動するのは苦労した。迂闊に摂食しようものなら、その場でもんどり打つほどまだ痛んでしまう。
ここに来るのは初めてだな、とぐるりと視線を巡らせる。教室二つ分ほどの食堂はお洒落とは言い違いけど、ずっと病院を支えてきているのだろうなという趣があり、少し元の生活に少し戻れたような気持ちになれた。食事をしている人や、僕のように見舞いに来てくれた人と談笑する人で半分ほど埋まっている。
「なんだこれは?」
しばらくして注文してきたものが運ばれて来て、森巣が眉をひそめる。
「何って、パフェだよ。チョコパフェ」
テーブルの上には、オレンジジュースと花弁を想起させる器に入った、生クリームとチョコレートアイスクリームがそびえるパフェがある。ファミリーレストランや専門店のような大仰さはない、ささやかなものだけどそれでも迫力がある。
「入院食以外を食べていいのか?」
「森巣のだよ。見舞いに来てくれたお礼」
「パフェを食うって気分じゃないぞ」
そりゃそうだ。新しい事件の話をいきなり聞かされるのが嫌だったので、注文したのだ。森巣は僕の前にあるチーズケーキを見て、顔をしかめていた。
「チーズケーキ嫌いなんだっけ?」
「いや、嫌いではない」
「交換しろって言うのかと思った」
「言う訳がないだろ。毎年七月は絶対にケーキは食べないことにしてるからな」
「はあ」相変わらずよくわからないルールを持ってる奴だな、と曖昧に相槌をする。
森巣は勢い良く甘味の山にスプーンを突っ込んだ。
「期待してなかったが、なかなか悪くないぞ」
生クリームがたっぷり乗ったアイスを口に運び、頷きながら食べる森巣を見て、そう言えば、一緒にカフェに行ったなあと思い出す。あの時も感心した様子で青リンゴのアップルパイを食べていた。甘い物を美味そうに食べる奴、ということは僕が森巣について知っている数少ないことの一つだ。
「一口くれない?」「絶対にダメだ」「ケチ」
自分はそう言ったくせに、僕が「いただきます」と言ってケーキを食べようとしたら、先にスプーンでケーキをえぐり、自分の口に放り込んだ。
「ケーキは食べないって言ってたじゃないか!」
「一口だけだ。少し待て」
毒味じゃあるまいし、がめついなあと呆れる。しかし、よく見れば森巣の頬が以前よりこけて見える。最近ちゃんと食べていたのか? と心配になった。
先週の金曜に襲われたので、あれから四日経った。以来僕は学校に行ってはいないが、その一週間前から森巣は学校に来ていなかった。
その間に何をしていたのか、気になっていなかったと言えば、嘘になる。
「それで、森巣は学校に来ないで何をしてたわけ。小此木さんも心配してたぞ」
「調査をしていたんだ。平は滑川を覚えているか?」
滑川、その名前が出た瞬間に、肌にぴりりと緊張が走った。
森巣と関わるきっかけとなった事件、巻き込まれた事件、その全ての裏に滑川という男がいた。滑川の影にずっと付き纏われているような、不気味さがある。悪事の黒幕にいるのに手口が巧妙で、証拠を掴んでいないのか警察が滑川を指名手配したりもしていない。
「頭を殴られたけど、記憶喪失にはなっちゃいないよ。君がご執心だった悪党だろ」
「滑川は犯罪起業家みたいな奴だ。どうやら、会員制の違法な裏カジノに出入りしている連中が顧客らしい。そういう奴らだから、倫理観も狂っているし金も持っている。滑川の商売相手としては打ってつけだったんだろうな。俺は調査の為に、その裏カジノに潜り込んでいたんだ」
「学校に来ないでカジノに通ってたわけ?」
「学校とどっちが大事かなんて、比べるまでもないだろ。滑川は病気の子供がいたら親を騙し、疲れた母がいれば金品を奪い取り、死にそうな奴を利用する。つまり弱い人間を食い物にして私腹を肥やす汚ないゴミだ。目に入ったゴミは捨てないといけない、だろ?」
それを君がやらなくても、と思わなくもないけど、警察が逮捕できずに野放しになっており、今も誰かが被害に遭っているのではないかと思うと許せない気持ちもあった。
「で、その調査は終わったわけ?」
「ああ、まあ、一応な」
歯切れの悪い返事をして、森巣はかちゃかちゃとパフェをかき混ぜた。「一応?」やるなら徹底的に、というタイプだと思っていたので気になる。
「先を越されたんだ。滑川は居場所がバレて襲撃されたらしい。拉致されたって話だ。汚いやり方で儲けた分、恨みも買ってたんだろう。楽な死に方はさせてもらえないだろうな」
「楽な死に方、ねえ」
「時間をかけてやってくれる専門業者がいるっていうのも調べていたんだが」
「キーワード、『怪しい業者』とかで検索してるわけ?」
「検索して出てきたら、そりゃ怪しい業者だな」
振り上げた拳の行き場がなくなり、困惑しているのだろうか。冗談を口にしているけど、いつもの威勢の良さがない。
「結果として悪党がいなくなったんなら、それでよかったじゃない」
「まあな、俺はそんなわけで、ひと段落したところだ。話がある、というのはお前のことだ」
「僕のこと?」
「襲われたらしいじゃないか。どんな奴に何をされたのか、詳しく教えてくれないか?」
「君が犯人を捕まえてくれるのか?」
森巣が紙ナプキンを手に取り、険しい顔をして口を拭い、それを、小さくなるまで握り潰した。骨ばった手に力が篭り、血管を浮かび上がらせながら指が蠢くのを見て、思わず息を飲む。
「捕まえても一発殴るくらいでいいからね」
「任せろ」
低く、険のある声で返事をされ、冗談だと伝わったのか不安になる。
「それで?」
「いや、大した話じゃないよ、通り魔にあっただけで、運が悪かったんだ」
あっさり伝えてお終い、と誤魔化してみたものの、森巣の表情は険しいままだた。
じっと僕を椅子に押さえつけて尋問するような視線を向けられ続け、段々息が苦しくなってくる。喉に手を突っ込まれて、ぎゅうっと言葉を絞り出されるみたいに、結局一通り何があったのかを話をしてしまった。それってモデルガンですよね、と指摘したせいで殴られたかもしれない、ということは伏せておく。
「偶然モデルガンを見たせいで襲われたところに、タクシーが通りかかってキノコ男は逃げた。運転手は警察に電話をしつつ、お前をこの病院に運んだ、と」
「淡々と言わないでほしいな。実際にはもっと劇的だったんだ。死ぬかと思った」
「死ぬかと思った、か。お前はそんな目にばっかり遭ってるな」
「君と知り合うまではそんなことはなかったんだけどね」
「図書館の帰りって話してたが……それって野毛の図書館か?」
「そうだよ」と返事をし、「ああ、森巣の言いたいことはわかるよ」と続ける。
通っていた図書館の駐輪場で、僕は残酷な殺され方をした猫の亡骸を見た。前を通る度に、心に大きく空いた穴に、冷たい風が吹き抜けるのを感じる。
死とそれに纏わることの記憶が蘇る。ならば行かなければいいのに、と思われるだろう。
「自分の気持ちはまだわからないんだけど、なかったことにして生きるのは良くないことだって思うんだよ。残酷なこととか、抵抗できない弱い存在がいるってこととか、何もできなかった自分自身のこととか、忘れちゃいけないって」
自分の内にある、不思議な形をした造形物の感想を口にするような気持ちで述べる。色々な解釈が生まれると思うけど僕にはこう見える、という直感的とも無責任とも取れる曖昧な言い方になってしまった。
森巣を見ると、酷く沈痛な面持ちをしている。青褪め、僕より具合が悪そうなくらいだ。
「森巣?」
「ん? ああ、だな」
世の中には理不尽なことがある。僕が襲われたのもそうだ。でも、あの通り魔も警察がきっと逮捕してくれるだろう。滑川もいなくなったのなら、僕らは学校に通う高校生に戻ろう。そう提案しようとした時に、コーヒーカップを持ってうろうろしている中年男性が目に入った。
ふっくらとした体型で、困ったような顔をしていて、どことなくパグを彷彿とさせる。パグに似たおじさんを見て気になる理由は、どこかで会ったような気がしたからだ。
「あ」と思わず声が零れる。
彼は借金の所為で、滑川に偽装強盗の協力をさせられていた店のオーナーだった。
「あ」とおじさんの口が動く。
僕の声に気付いてしまったようだった。どうも、と頭を下げる。偶然知り合いと会っただけだ。すぐに彼はどこかに行くと思った。が、彼はどうするか迷うようにうろうろしてから、おそるおそるといった様子でこちらにやって来た。
瞬間、何故か目の前にいる森巣から知れないプレッシャーを感じた。ぶわっと全身の毛が逆立つような強い殺気を肌に感じる。
僕はただただ、嫌な予感がした。