過去の話

文字数 2,908文字

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 暗号について気付いたことあがる、とスマートフォンのメッセージで森巣へ飛ばした。既読マークはついたが、返事はない。昨夜、言われた通り僕が見たものも森巣に送ったが、それの返信もなかった。無言なのはなんだか不安になる。

 暗号について僕の推理を伝え、犯人の目的を話し合いたい。昼休みに六組に森巣の様子を見に行ってみたが、森巣の姿はなかった。しばらく待ったが、じっとしているのがもどかしく、美術室で小此木さんと話し込んでいるのかな、と足を運ぶことにした。

「おっ、平くんじゃないか、こんにちは」

 美術室に顔を出すと、そこには昨日の油絵の続きを描いている小此木さんの姿があった。僕を認識すると手を止め、手をあげ、笑みを浮かべた。生徒会長と話すのは二度目なので距離感をつかみかねるが、「こんにちは」と挨拶をしながら近寄る。

「森巣を探しに来たんですけど」
「良ちゃん? 今日はずる休みするって連絡がきたよ」
「ずる休み?」
「はいこれ、昨日頼んだお使いのお礼」

 小此木さんが、机の上に置かれたヨーグルト飲料の紙パックを差し出してくる。お礼を言い、受け取る。

「よく来るってわかりましたね」と言いつつ、ストローを抜き出してぷすりと差しこむ。
「良ちゃんから、多分美術室に来るだろうからよろしくって。一方的だよね」

 小此木さんと肩をすくめ、「昨日、来なくて正解でしたよ」と告げる。

「実は、店に行ったら強盗ヤギが来て大変だったんです」
「知ってる。やっぱりね」
「やっぱり?」

 小此木さんが不思議そうな顔をし、「あれ? 知らなかったの?」と口にした。何も知りませんけど、と首を振る。

「ほら、強盗ヤギが店に残して行く暗号あったじゃない。で、解読をするとブライアンはパンを焼いた、ジムはカフェに行った、ロンは麺を食べる、ロバートはビートルズの林檎を発見するって読み解ける」

 うる覚えではあるけど、確かそういう内容だったと思い出しながら、「ええ」と頷く。

「バー、パン屋、カフェ、蕎麦屋、って襲われてきたから、次に襲われるのは青リンゴ、グラニースミスが出るお店だと思ったんだよね。暗号は次に襲う店の予告になっているの」

 小此木さんの言葉と、強盗ヤギの情報が頭の中でかちりかちりと音を立てながら組み合わさって行くようだった。

「それ、いつから知ってたんですか?」
「え、昨日から。てっきり、良ちゃん説明したんだと思ってたんだけど」

 だから来なかったんですか、と納得すると共に思い出して気付くことも多かった。レンタルビデオショップで話し込んだが、あれは閉店間際に入店する為の時間稼ぎをしていたのかもしれない。

 どうして黙っていたんだ、という怒りよりも先に、森巣が僕に秘密にしていことに当惑した。信用されていない、ということだろうか。でも、殺されるかもしれないのに、昨日は僕の曲を歌っていた。

「なんで、森巣はわざわざ僕を連れて行こうとしたんでしょうか」

 訊ねてみると、小此木さんはぺたぺたと絵筆で絵の具をかき混ぜながら小さく唸り、口を開いた。

「良ちゃん、珍しく他人のことを嬉しそうに話してたんだよね。勇気がある奴と知り合ったって。それでじゃないかな? あと、目が良い、とも言ってた」

 僕には勇気なんてないし、買い被りだ。目が良いなんて理由も、漠然としている。

「そんな理由で僕を連れて、どうして森巣は強盗ヤギが来る店になんか」
「わたしにはわからないけど、何か直接調べたいことがあったんじゃないかな」
「小此木さんも、強盗ヤギが来るかもしれないなんて知っていたなら森巣と僕を止めてくれても良かったのに」

 口を尖らせ、不満をぶつける。

「それは、ごめんね」

 と小此木さんは素直に頭を下げた。あっさりと謝られて拍子抜けしてしまい、これ以上怒れなくなる。

「一緒に止めたら、森巣も無茶をしないんじゃないですか?」
「良ちゃんは、止められない」

 自然現象について口にするような、諦観の滲んだ口調だった。

「良ちゃんは、戦うことをやめられない。だって、そうやって生きて来たんだもん」

 森巣が、父親に殺されかけたという話をしていたなと思い出す。森巣が裏表のある人間であることや、好戦的な人間であること、事件に興味を持つ人間であることを理解できてはいないが、なんとなくわかりかけてはいる。

「森巣は一体どうして、ああなったんですか?」
「それは、わたしの口からは言えないかな」
「それじゃあ、どうして小此木さんは森巣を許してるんですか」
「許してるっていうか、良ちゃんの小さかった頃からのことを知っているから。わたしは何もできなかったんだけど、良ちゃんはわたしを助けてくれた。だから、わたしは良ちゃんの助けになることはしてあげようと思ってるの」

 一体何が? と聞いていいのかわからず、黙っていると小此木さんは話を続けた。

「うちは母子家庭なんだけど、小学生の時、母親の恋人に悪戯をされたんだよね。悪戯って言っても性的なやつ。いやらしい目線で見て来たり、スキンシップが多かったり。それでエスカレートしてきて、いよいよヤバいぞって時に、良ちゃんが助けてくれたの」

 子供が、大人の欲のはけ口にされるなんて、心が掻き毟られるような酷い話だった。思わず、自分の顔が情けなく歪んでしまう。

「すいません、辛い話を」
「平くんは誰にも言わなそうだし、それに、もう大丈夫だから。変態ロリコン野郎はちゃんと誰かにボコボコにされたし」

 あっけからんとした口調で小此木さんはそう言って、元気だよ、とアピールするようにニコッと笑ってくれた。

 ボコボコにした誰か、について思い当たる人物は一人しかいない。

「良ちゃんは悪い子じゃないけど、一人だと道を踏み外す気がする。だから友達ができたらいいなって思ってたんだよね。それで、良ちゃんが平くんと店に行くのを止めなかったの。わたしのエゴだったね」

 小此木さんの気持ちはわからないではない。小此木さんを助けたことはいいことだと思う。だけど、僕を強盗ヤギの現れる店に説明をせずに連れていったことは、間違っている。行き先もわからず、道案内をされ続けているような不安を抱く。

「小此木さん、森巣を正しいことをしているんでしょうか」
「良ちゃんは、自分の価値観で判断して行動しているだけなんだよね。良ちゃんがどういう人間なのかは、平くんが自分で決めてあげて。友達になれないと思ったら、絶交してもいいからさ」

 絶交、という言葉は子供じみていたけれど、カードの一つなのかもしれない。受け取り、そっと懐の奥に仕舞う。

 一体どうしたものかなと頭をかきながら視線を外す。キャンバスには林檎が描かれ、うっすらと下地になる薄い色が塗られている。僕と森巣の関係も、この薄く色づいた状態だ。どんな色になるのかわからない。

 そんなことを考えていたら、あることを思い出した。

 アップルパイのお会計を忘れていた。
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