信じていいよね?
文字数 2,977文字
13
『森巣くんのこと、信じても大丈かな?』
僕の心の声ではない。瀬川さんからの着信だ。
小学校を後にした直後、電話がかかってきた。
「どうしたの? 何かあったの?」
「さっき連絡があってね、森巣くんの知り合いが懸賞金を五十万円にすれば、犬探しを依頼として引き受けてくれるみたいなんだけど。
「そんな、ひどい、弱みに付け込んで」
「ううん、見つからなかったら一円も受け取らない、とは言ってくれているんだけど」
森巣のフォローをするように、瀬川さんが言葉を続ける。
『そこまで森巣くんに頼り切っていいのかわからなくて』
「僕はそんな話も聞いてないし、その知り合いが誰かも」
混乱していたらいつのまにか通話は終了していた。「まだ信じない方がいい」と一方的に告げたのは覚えている。
僕に吐いた嘘、突然登場した知り合い、頭の中で疑問が溢れていく。
森巣の連絡先を知らないので、確かめられない。瀬川さんに訊こうかとも思ったが、それは悪手に思えた。森巣に感づかれてはいけないと警戒し、手が止まる。
森巣は何をやっているんだ?
森巣を信用していいのか?
込み上げてくる不安に襲われ、胸騒ぎが止まらない。
猜疑心を抱えながら闇雲に町を歩いていたら、森巣と別れた交差点に戻って来た。
そこで掲示板が目に入った。町内のイベント情報や詐欺電話の注意喚起のポスターが掲示されている。
あるけど、なかった。
掲示板はあるけど、瀬川さんの犬を探すチラシの掲示がされていなかった。
どうしてここにチラシが貼ってないんだ?
貼り忘れか? と思ったが、別れてすぐのこんな場所を見落とすだろうか。焦りがこみ上げ、歩く速度が早くなる。しばらく歩いた場所にある次の掲示板にも、その次の掲示板にも、チラシは掲示されていなかった。
森巣はどうして張り紙をしてないんだ? と立ち止まって考える。
犬探しにもともと興味がないのか、と思ったが、瀬川さんと現場を見たりする理由がわからない。
だとしたら、犬がどこにいるのか、もうわかったんじゃないのか?
でも、どうしてそれを黙っているのだろう。
森巣は怪しい……だけど一体、僕に何ができる?
手にはチラシの束がある。
「僕にできること」
それは、このチラシを貼ることくらいのはずだ。だから、それをするべきだ。
だけど、どうしてだろうか、気持ちが前に進まない。
僕だけ気付いているのに、それを気付かないフリをするのはいいことか? と自問する。
「君の勇気を見習わないとな」
僕が森巣に言った言葉が頭の中で蘇る。あれは口だけなのか?
僕には、堂々と理不尽や悪意に立ち向かう勇気がない。
だけど、それを言い訳にして、誰かが傷つくのを黙って見過ごすつもりなのか?
慰めの言葉をかけることが優しさじゃない。
心の針はどっちを向いている?
「決まってる」
犬探しの最善を尽くすのが、最も優しい行動のはずだ。
だったら行くしかないじゃないか。
大きく息を吐き出し、覚悟を決めて踵を返す。
僕は事件が起きた袋小路に向かった。森巣はあの場所で何かヒントを得たのだろう。
歪んだガードレールのある道を進み、角を曲がる。そこは例の袋小路だ。左右には塀が立ち、奥にはコンクリートの壁がそびえている。
確かめてみるしかない。
袋小路をぐるぐる歩き回ってから、気持ちを固める。
ふっと息を吐き、ちらちらと周囲を確認してから、行き止まりに向かって右側のクリーム色の家の塀に手をかけ、人様の家を覗き込んだ。
小さな芝生の庭があり、プランターがいくつも並んでいた。名前のわからない観葉植物が育っている。そんな中、プランターの一つがひっくり返っているのが目に入った。
体重を支える腕が軋む。他にも見ておかなければ、と視線を巡らせる。奥には縁側があり、カーテンは閉まっている。何か特別なものはなさそうだ。
降りて、今度は反対側の塀に向かう。今の僕は不審者だ。罪悪感を払拭するように冷や汗を拭い、塀に手をかける。
地面を蹴り、覗き込む。
「ワンワンワンワンワンワン!」
猛然とした犬の鳴き声が響き渡った。
こちらの家には犬小屋があり、大きな毛玉のような犬がいた。僕を見た途端に、「仕事だ仕事だ!」と元気に吠え始めている。表札を確認すると、そこには、『セールスお断り・猛犬注意』というプレートがついていた。
左の塀を超えたら、番犬に見つかり、吠えられる。
消去法で考えると、犯人が逃げ込める場所は右の家しかない。倒れていたプランターも気になる。あれは犯人が倒し、そのままになっているからなのではないか。モリスの言う通り、これが計画的な犯行だとすると、犯人は家主にバレずに忍び込めるか、という賭けをしないはずだ。
ふと、閃きが生まれる。
家主が犯人の仲間であれば、犯人を匿えるのではないか。瀬川さんが探しに来ても、居留守をすればその場ではバレないし、後日訪ねて来られても白を切ればいい。
例えばだけど、放り込まれた犬に急いで口輪をしたり、スタンガンを当てれば、おとなしくさせることもできる気がする。
ここまで推測をすることができたが、この後、僕はどうしたらいいだろうか。考えあぐねるが、どこに行ったらいいのかわからず、途方に暮れる。
「ぼーっとして、どうしたんだ?」
突然背後から声をかけられ、心臓が口から飛び出るのではないかと思った。
振り返ると、怪訝な顔をした柳井先生が立っていた。
何故ここに柳井先生が? と固まり、そういえば瀬川さんとはご近所だと話していたなと思い出す。
「犬探しです」
「こんな何もないところを、歩き回って探してるのか? 地道だなあ」
「実は瀬川さん、散歩中に襲われて犬を拐われたらしんですけど、それが、ここらしくて」
「襲われた?」
そう言って、柳井先生が何か痕跡でも探すみたいに、地面に視線を這わせた。
「今、家庭訪問をしてきたところなんだが、そんな話を聞いてないぞ。瀬川も事件に巻き込まれたんなら、言ってくれないとなあ」
柳井先生がそう言いながらポケットから折り畳んだ紙を取り出し、まじまじと眺める。可愛い犬ですよね、と思いながら覗き込み、びっくりして、紙を先生からひったくった。
『発見に繋がる情報を提供してくれた方には五十万円をお支払い致します』
三十万円が、五十万円になっている。
どうして? と疑問が生まれたがすぐにわかる。
森巣だ、きっと森巣が金額を上げるように提案したのだ。
「どうした?」
チラシから顔を上げ、柳井先生を見る。
「先生、僕--」
犬が拐われた一連の流れをもう一度整理する。瀬川さんが犬の鳴き声を覚えていないのなら、やはりこの家の住人が関係している可能性が高い。だが、それだけじゃない。
消えた犯人に関して、一つの推測が思い浮かんだ。
犯人は複数犯、瀬川さんが見た犯人の格好……自分で思いついておきながら、ぞっとし、困惑した。
すがりつくような気持ちで、口にする。
「クビキリの犯人がわかりました」
『森巣くんのこと、信じても大丈かな?』
僕の心の声ではない。瀬川さんからの着信だ。
小学校を後にした直後、電話がかかってきた。
「どうしたの? 何かあったの?」
「さっき連絡があってね、森巣くんの知り合いが懸賞金を五十万円にすれば、犬探しを依頼として引き受けてくれるみたいなんだけど。
「そんな、ひどい、弱みに付け込んで」
「ううん、見つからなかったら一円も受け取らない、とは言ってくれているんだけど」
森巣のフォローをするように、瀬川さんが言葉を続ける。
『そこまで森巣くんに頼り切っていいのかわからなくて』
「僕はそんな話も聞いてないし、その知り合いが誰かも」
混乱していたらいつのまにか通話は終了していた。「まだ信じない方がいい」と一方的に告げたのは覚えている。
僕に吐いた嘘、突然登場した知り合い、頭の中で疑問が溢れていく。
森巣の連絡先を知らないので、確かめられない。瀬川さんに訊こうかとも思ったが、それは悪手に思えた。森巣に感づかれてはいけないと警戒し、手が止まる。
森巣は何をやっているんだ?
森巣を信用していいのか?
込み上げてくる不安に襲われ、胸騒ぎが止まらない。
猜疑心を抱えながら闇雲に町を歩いていたら、森巣と別れた交差点に戻って来た。
そこで掲示板が目に入った。町内のイベント情報や詐欺電話の注意喚起のポスターが掲示されている。
あるけど、なかった。
掲示板はあるけど、瀬川さんの犬を探すチラシの掲示がされていなかった。
どうしてここにチラシが貼ってないんだ?
貼り忘れか? と思ったが、別れてすぐのこんな場所を見落とすだろうか。焦りがこみ上げ、歩く速度が早くなる。しばらく歩いた場所にある次の掲示板にも、その次の掲示板にも、チラシは掲示されていなかった。
森巣はどうして張り紙をしてないんだ? と立ち止まって考える。
犬探しにもともと興味がないのか、と思ったが、瀬川さんと現場を見たりする理由がわからない。
だとしたら、犬がどこにいるのか、もうわかったんじゃないのか?
でも、どうしてそれを黙っているのだろう。
森巣は怪しい……だけど一体、僕に何ができる?
手にはチラシの束がある。
「僕にできること」
それは、このチラシを貼ることくらいのはずだ。だから、それをするべきだ。
だけど、どうしてだろうか、気持ちが前に進まない。
僕だけ気付いているのに、それを気付かないフリをするのはいいことか? と自問する。
「君の勇気を見習わないとな」
僕が森巣に言った言葉が頭の中で蘇る。あれは口だけなのか?
僕には、堂々と理不尽や悪意に立ち向かう勇気がない。
だけど、それを言い訳にして、誰かが傷つくのを黙って見過ごすつもりなのか?
慰めの言葉をかけることが優しさじゃない。
心の針はどっちを向いている?
「決まってる」
犬探しの最善を尽くすのが、最も優しい行動のはずだ。
だったら行くしかないじゃないか。
大きく息を吐き出し、覚悟を決めて踵を返す。
僕は事件が起きた袋小路に向かった。森巣はあの場所で何かヒントを得たのだろう。
歪んだガードレールのある道を進み、角を曲がる。そこは例の袋小路だ。左右には塀が立ち、奥にはコンクリートの壁がそびえている。
確かめてみるしかない。
袋小路をぐるぐる歩き回ってから、気持ちを固める。
ふっと息を吐き、ちらちらと周囲を確認してから、行き止まりに向かって右側のクリーム色の家の塀に手をかけ、人様の家を覗き込んだ。
小さな芝生の庭があり、プランターがいくつも並んでいた。名前のわからない観葉植物が育っている。そんな中、プランターの一つがひっくり返っているのが目に入った。
体重を支える腕が軋む。他にも見ておかなければ、と視線を巡らせる。奥には縁側があり、カーテンは閉まっている。何か特別なものはなさそうだ。
降りて、今度は反対側の塀に向かう。今の僕は不審者だ。罪悪感を払拭するように冷や汗を拭い、塀に手をかける。
地面を蹴り、覗き込む。
「ワンワンワンワンワンワン!」
猛然とした犬の鳴き声が響き渡った。
こちらの家には犬小屋があり、大きな毛玉のような犬がいた。僕を見た途端に、「仕事だ仕事だ!」と元気に吠え始めている。表札を確認すると、そこには、『セールスお断り・猛犬注意』というプレートがついていた。
左の塀を超えたら、番犬に見つかり、吠えられる。
消去法で考えると、犯人が逃げ込める場所は右の家しかない。倒れていたプランターも気になる。あれは犯人が倒し、そのままになっているからなのではないか。モリスの言う通り、これが計画的な犯行だとすると、犯人は家主にバレずに忍び込めるか、という賭けをしないはずだ。
ふと、閃きが生まれる。
家主が犯人の仲間であれば、犯人を匿えるのではないか。瀬川さんが探しに来ても、居留守をすればその場ではバレないし、後日訪ねて来られても白を切ればいい。
例えばだけど、放り込まれた犬に急いで口輪をしたり、スタンガンを当てれば、おとなしくさせることもできる気がする。
ここまで推測をすることができたが、この後、僕はどうしたらいいだろうか。考えあぐねるが、どこに行ったらいいのかわからず、途方に暮れる。
「ぼーっとして、どうしたんだ?」
突然背後から声をかけられ、心臓が口から飛び出るのではないかと思った。
振り返ると、怪訝な顔をした柳井先生が立っていた。
何故ここに柳井先生が? と固まり、そういえば瀬川さんとはご近所だと話していたなと思い出す。
「犬探しです」
「こんな何もないところを、歩き回って探してるのか? 地道だなあ」
「実は瀬川さん、散歩中に襲われて犬を拐われたらしんですけど、それが、ここらしくて」
「襲われた?」
そう言って、柳井先生が何か痕跡でも探すみたいに、地面に視線を這わせた。
「今、家庭訪問をしてきたところなんだが、そんな話を聞いてないぞ。瀬川も事件に巻き込まれたんなら、言ってくれないとなあ」
柳井先生がそう言いながらポケットから折り畳んだ紙を取り出し、まじまじと眺める。可愛い犬ですよね、と思いながら覗き込み、びっくりして、紙を先生からひったくった。
『発見に繋がる情報を提供してくれた方には五十万円をお支払い致します』
三十万円が、五十万円になっている。
どうして? と疑問が生まれたがすぐにわかる。
森巣だ、きっと森巣が金額を上げるように提案したのだ。
「どうした?」
チラシから顔を上げ、柳井先生を見る。
「先生、僕--」
犬が拐われた一連の流れをもう一度整理する。瀬川さんが犬の鳴き声を覚えていないのなら、やはりこの家の住人が関係している可能性が高い。だが、それだけじゃない。
消えた犯人に関して、一つの推測が思い浮かんだ。
犯人は複数犯、瀬川さんが見た犯人の格好……自分で思いついておきながら、ぞっとし、困惑した。
すがりつくような気持ちで、口にする。
「クビキリの犯人がわかりました」