悪魔との再会

文字数 2,908文字

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「わからーん」

 そう言うと、牧野はそのまま頭の後ろで手を組み、椅子の背もたれに体を預けた。さっきまでの威勢はどこに、と見つめていると、牧野は「だって俺は警察じゃねえもん」とノートを引き出しにしまった。もう見せてあげないもんね、と不貞腐れた顔をする。

「まあでも、暗号に気付けたのはすごいと思うよ」
「いや、気付いたのは俺じゃない。ネットを見たんだよ。店に行って確認する人もたくさんいるみたいだぜ」
「お店は落書きを消してないんだ? 証拠だからかな」
「詳しいことはわかんねえけど、そうなのかもな。でも、消さないんじゃないねえかなあ」
「そりゃまたどうして」
「SNSではみんな『行ってみた』ってアップしてる。落書き見物ついでにでも繁盛しているみたいだし、複雑な心境だろうけど、店にとってもちょっとは良いんじゃねえのかな。強盗された店が一番欲しいのは、お金だろ?」
「一番は犯人逮捕の報せでしょ」
「でも、金だって大事だ」

 生活だってあるし、老店主が落ち込んで店を畳む、というような展開になっていないだけましか、ともやもやとした気持ちと共に僕は卵焼きを口に運ぶ。そして、なんの気なく教室の中を見回した。

 クラスの半分ほどの生徒が教室に残り、お弁当や買ってきたパンを食べていた。ここにいない生徒は、学生食堂に行ったか、部室にでも行っているのだろう。一人で食事をしている人もいるが、教室は休み時間の開放感でそれなりに賑やかだった。

 時間が解決したのか、それともごまかしているだけか、と考えを巡らせる。

 担任の柳井先生が逮捕されたことにより、臨時のホームルームや保護者向け説明会が開かれた。事件発覚直後はみんながどう反応していいのかわからないと互いの顔を見合わせていた。柳井先生は生徒から慕われていたから泣き出す女子もいたし、今までにないくらい真剣な表情で説明をする校長を見つめる男子もいた。

 信頼されていた大人が僕らの信頼を裏切るような形で消え、途方に暮れるムードがしばらく漂っていたが、今は以前のような平和な光景に戻ったように思う。

 みんな何を話しているのかな、と思いながら耳をすましていたら聞き覚えのある音声が聞こえて来た。さっき牧野が再生させていた動画のものだとわかる。いつも寝ている運動部の男子が、数人と談笑しながらスマートフォンを凝視していた。

 視線を彷徨わせると、他にもスマートフォンで強盗ヤギの動画を見ているグループが目に入り、自分の顔が強張るのがわかった。せっかく平和になったクラスに、事件を持ち込まれたような気がして、不安でならない。

「どうした怖い顔して」
「みんなよく、事件の動画なんか見たがるね」
「面白い事件だし、普通見てみたいだろ。地元だし、気になるじゃんか。人質が撃たれるみたいなグロ要素があるわけじゃなし。ただのニュース、ただの動画じゃんか。目くじら立てるほどのことじゃねえよ」
「別に目くじらを立てちゃいないよ、でも--」
「平の気持ちもわかるぜ。柳井があんなことになったのにとかって思ってるんだろ。でもさ、これが普通なんだよ。事件があったらニュースを見るし、珍しい動画があったらチェックする、だろ?」

「普通」と僕は小さく復唱する。ニュースを見るのはかろうじて普通な気がするが、動画を見て暗号を書き起こしたり、被害にあった店に行ってみるのは普通なのだろうか。かといって、異常だ! と責めるつもりもない。

 普通ってなんだ?

 ……考えすぎだ。それこそ、こんなに考えすぎる僕の方が普通じゃない。僕は目を瞑り、瞼の上をぎゅうっと手で押さえる。

 昔の僕だったら、事件のニュースを見るのも牧野から話を聞くことにも、何の抵抗も不安も感じなかった。だけど今は、自分が責められているような気持ちになる。

 僕は、困っている人を放っておけない性分をしている。町や学校で困っている人に道案内をしたり、迷子のペットを探すのを手伝う程度のものだった。が、僕は人助けをした結果、柳井先生の起こした事件の調査をすることになり、逮捕にまで関わることになった。

 だからだろうか、今は事件の情報を見ると、「困っているんだ! 助けてくれ!」と無言のメッセージを発せられているような気持ちになり、自分に何ができるだろう、と考えてしまうが、何もできずに途方に暮れてしまう。

「あー、なんだか蕎麦を食べたくなってきたなぁ」

 牧野が気の抜けたことを言うので、「何それ」と思わず吹き出す。

「結構美味そうだったじゃん。ぐずぐずのかき揚げと一緒に、蕎麦を食いたいなぁ」

 そう言いながら牧野はご飯をかっこんだ。不気味な事件に対する気の抜けた感想は、僕の気持ちをふわりと軽くしてくれた。牧野のこういうところが嫌いじゃない。食べたいね、蕎麦、と笑って返事をする。

「平くーん」

 声のした方に視線を移すと、教室の後ろのドアのそばから委員長の瀬川さんが僕を見ていた。この前まで瀬川さんは飼い犬がいなくなったせいで沈んでいたけど、犬が戻って来たからか、すっかり元気を取り戻しているようでほっとする。

 瀬川さんがはにかむような笑顔を浮かべて、こっちこっちと手招きをしていた。

「どうしたの?」と返事をしながら箸を置いて席を立ち、瀬川さんの方に向かう。

 瀬川さんが廊下をちらちらと見た。

 廊下に誰かが来ている。そう察した瞬間、一人の男子生徒が現れた。

 心臓を、冷たい手で握られたような気持ちになる。

 彼は、爽やかな笑みを浮かべ、「やあ」と右手をあげた。

 白い肌とそれとは対照的な綺麗な黒髪、やや切れ長の目が印象的な美青年。


 彼は悪魔のように頭が切れて、それ故に怖ろしくもあった。だから僕は、彼から目を逸らして過ごしていたのに、彼は再び僕の目の前に現れた。

 一度遊んだ悪魔が、また遊ぼうと有無を言わせずにやって来たように思えた。

「平、久しぶりじゃないか」

 森巣良、二年六組の生徒で、容姿が優れているが鼻にかける様子もなく、分け隔てなく人と接し、ユーモアと行動力がある頼れる男子、みんなは思っている。

 だけど僕は違う。僕は彼の別の顔を知っている。

「ちょっといいかな? 話があるんだ」

 僕の返事を待たずに森巣が廊下に引っ込む彼のことを理解しきれておらず、怖いとさえ思っている。だけど僕は、自分の中にある別の感情に抗えなかった。

 廊下に出ると、森巣は僕の煩悶を気にすることなく、涼しい顔で待っていた。

「平、お昼はもう食べた?」
「まだ途中だけど」
「そうか、じゃあ、美術室に行こう」

 じゃあ、の意味がわからなかったけど、森巣は有無を言わせぬ様子で歩き出したので、反射的に彼の隣に慌てて並んでしまった。歩きながら、「なんで美術室?」と訊ねる。

「あそこは人がいないからね。同級生に話しかけられることもないし」

 人に聞かれたくない話をするということなのだろう。

「平は強盗ヤギって知ってる?」
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