きみはいい奴

文字数 2,954文字

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 現場に行くことで事態が前進するかと思ったのだが、迷路に踏み込んだようだった。

 拐われた犬はどこにいるのか、犯人はどこに消えたのか、クビキリの被害に遭ったのではないか。どんどん深刻になっていく。だけど、僕に何ができる?

 家の前まで送り届けた頃には、瀬川さんは落ち着きを取り戻していた。僕たちに礼を言って頭を下げ、家の中へ帰って行く。僕らが動くから、今日はもう休んで欲しいとなかば懇願するような形で、瀬川さんを説得した。

 瀬川さんの家は、大きくて立派だった。理不尽に家族が欠けている今は、空いたスペースに寂しさが侵食しているのだろう。

 僕と森巣の手には、町の掲示板に貼るためのチラシが握られている。地道に情報を収集し、探すほかあるまい。

 でも、その前に、だ。

「森巣は何かわかってるの?」

 隣に立つ森巣に向き直り、質問する。

 すると、森巣は「まあ、少しね」と歯切れの悪い様子で頷いた。「でも、まだ人に言える段階じゃないんだ」

「どうして瀬川さんにクビキリの話をしたの? 不安がらせる必要はなかったじゃないか」
「ちょっと知りたいことがあったんだ。あそこまで怯えさせるつもりはなかった。それは反省しているよ。でも、わかったこともある」
「何がわかったの?」
「これもまだ言えないんだ。悪いね」

 森巣がそう言って、肩をすくめる。言えない段階でも教えてもらいたかった。僕を安心させて欲しかった。が、きっと、問い質してもはぐらかされてしまうだろう。そういう有無を言わせぬ語気がある。

「平、少し歩こうか」

 そう言って歩き出したので、文句を飲み込んで森巣の隣に並び、夕暮れ時の街を歩く。態度に不満がないわけではないけど、チラシ貼りを手伝ってくれるのは心強かった。

「平は好きなのか?」
「好き?」
「瀬川のこと」
「僕が? 瀬川さんを?」

 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。森巣が、「え? 違うの?」と目をぱちくりとさせる。僕は大袈裟にぶんぶんと首を横に振った。

「別に恋愛感情で動いているわけじゃないよ。瀬川さんは良い人だと思うけど、そういうんじゃない」
「え、じゃあどうしてこんなに、歩き回って犬探しをしてるの?」
「それは、言ったじゃないか。瀬川さんが困ってるのを放っておけなかっただけだよ」

 そう言いつつ、それだけだろうか? と改めて考えみる。どうして僕はここまで瀬川さんの役に立とうと思っているのか? と自問する。

 例えば、他の同級生でも、同じように動くか?

 ……僕はきっと同じように動く。

 それは、僕が強いからじゃない。弱いからだ。
 世の中には悪意があり、そのせいで困りごとに溢れている。僕はそれを正すために真っ向から立ち向かったりできる人間ではない。だからせめて、フォローはしたい。力になれるなら、手を貸したい。

 ただ、優しくなりたいと思っているだけだ。この感情を持たなくなってしまったら、僕は自分のことを心底嫌いになってしまうだろう。

「妹がいるって話をしたよね」
「俺には会わせたくない妹だよね」
「いつか紹介するよ。静海(しずか)って言うんだけどね、子供の頃から車椅子生活をしてるんだ」

 頭の中で静海の姿を思い浮かべる。日向を思わせる柔らかい笑顔と、丈夫な車椅子がセットになっている。

 妹と暮らしていると、強く思うことがある。

「この社会は、弱い人の為にはできていないんだ」

 言葉にすると、巨大な壁が目の前にそびえているようで、途方もなく感じる。

「弱い人の為にはできていない」

 森巣が、僕の思考をなぞるように、復唱した。

「石とか、ゴミとか、小さな溝でも、油断すると静海の怪我に繋がることもある。でもね、そんなことよりも嫌なことがある。それは--」
「人間か」

 僕は目を丸くする。その通り、と首肯した。

「車椅子を使ってるだけで何も悪くないのにに、邪魔だとか鬱陶しいとかって因縁をつけてきたり、邪険に扱ってくる悪意のある人たちがいる。だから、僕は子供の頃から母親に言われてきたんだ。『誰よりも、優しくなりなさい』って」

 子供の頃、僕は妹が苛められたり、仲間外れにされたりするのが嫌だった。その不平不満を、母にぶつけた。どうしてみんな妹に酷いことをするんだ、と。

 すると、母親は屈んで僕の目をまっすぐ見て、こう言った。

「優しくなりなさい」と。

 年を取るにつれて母親の意図が、段々とわかるようになってきた。
 困っている人に気付けるのは、優しい人だ。妹のような困っている人に手を差し伸べられるのも、優しい人なのだ。だが、優しくなるには、人としての強さが必要になる。

 それはとても険しい道のりだと、思い知らされる日々だ。

「優しさが平の強さ、か」
「僕は全然強くないよ。だから、指針にはしてるんだ」

 どうするか迷ったら、他人の為になる方へ、針の指す方へ進め、と思っている。そしてそれは、困っている人を見て見ぬ振りができない僕の性分に合っていた。

「平は良い奴だな」

 森巣が、遠い昔のことを懐かしむみたいに寂しそうな顔をした。
 その表情の意味を測りかね、声をかける。

「森巣だって良い奴じゃないか」

 彼が持つチラシの束を目にやる。優しくなかったら、チラシ貼りを手伝ったりしない。

「俺はただ、弱い者いじめが許せないんだ」

 声から強い意思を感じた。その言葉には不思議な引力があり、彼となら一緒に、悪意に立ち向かえるのではないかと感じた。

 クビキリ、弱い小動物を一方的に手にかける酷い人間、森巣はそれを許せないのだろう。
 困っている人が放っておけない僕、弱い者いじめが許せない森巣、僕らは少し似ているのかな、と思ったのは僕だけだろうか。

「平はクビキリを見たんだよね?」
「うん」
「思い出させるようで悪いんだけど、どうだった?」
「それってみんな気になるんだね」
「みんな?」
「その質問は二回目だ。柳井先生にもされたよ。『クビキリを見て何を感じたか?』って」
「へえ。で、なんて答えたんだ?」

 なんと答えたんだっけ? 思い出す時の癖で空を見上げる。柔らかそうな雲が風に流されて散っていくのを見て、口を開く。

「命は、理不尽な終わりを迎えることもあるんだ、そう思ったよ。もちろん、理不尽に奪われていい命なんてない、そう思うけどね」
「なるほど」
「どうしてその質問を?」
「犯人が何か手がかりを残してないか気になったんだ」
「ああ、そういう質問だったんだね。変なことを言ってごめん」

 森巣を見ると、気にしてないよと微笑みを浮かべながら歩いていた。

「じゃあ、俺はこっちに貼りに行くよ」「わかった、僕はこっちを」

 そう言って、十字路で僕らは二手に別れた。
 森巣良、不思議な同級生だ。爽やかで人当たりが良く、行動力もあって頭も切れる。だけどまだ、彼が何を考えているのか計り知れない。

 森巣のことを全ては知らない。だけどそれだけではなく、何かを隠されているような気がして振り返ってみたが、姿は見えなくなっていた。
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