強盗、ごうとう、ゴートー、ゴート

文字数 3,182文字

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 強盗をする動物ってなーんだ?

 強盗、ごうとう、ゴートー、ゴート、という訳で正解はヤギ。

 それが理由かは知らないけど、スマートフォンの画面に映っているスーツを着た二人組の頭は、ヤギのマスクですっぽりと覆われていた。マスクはゴム製でリアルな造形をしている。そのヤギ頭の二人組のうち、一人の手には拳銃が握られていた。

 店の壁には短冊状のメニューが掛かり、テーブルの上にざる蕎麦が見えることから、ここが蕎麦屋なのだとわかる。

「おっ、もうすぐ四百万いくぜ」

 隣の席に座る牧野(まきの)はお弁当のソーセージを箸でつまんだまま、スマートフォンを僕に向けて興奮気味に言った。画面の中には、横浜で起きた強盗事件の動画が再生されている。

 牧野は羊を彷彿とする牧歌的な天然パーマの持ち主だけど、ワイドショーじみた野次馬話を好み、ヤギマスクを被った強盗の話を口にする。

「平、事件だぜ」と興奮気味に語る牧野に悪気はないし、人当たりが良くてひょうきんな牧野のことが嫌いじゃないから、僕はいつも話に付き合うことにしていた。

 再生されている動画は、強盗事件に居合わせた客の一人がそっと撮影したもので、四百万というのは動画投稿サイトでの再生数のことだった。「すごい数だね」

「強盗が襲うのは、銀行とかコンビニだと思ってたよなあ」
「あとはカジノとか?」
「カジノは日本にはないだろ。映画じゃないんだぞ」

 冗談のつもりで言ったのだが、呆れた口調で返されてしまった。

「でもまあ、現実の方がおかしいことだらけだよな」
「だね」

 一月程前に担任が逮捕された僕らの言葉には重みがあり、深く深く気持ちが沈む。
 蕎麦屋の店員たちも、まさか自分の働く店が襲われるなんて思っていなかっただろうし、人生で銃を突きつけられるなんて考えたこともなかっただろう。気の毒だ。

 動画の中で、ヤギ頭の一人が持っているICレコーダーから、『騒ぐと殺す』という台詞が流れている。音声合成ソフトで作ったような抑揚のない声だった。強盗たちの顔も声もわからない。コミュニケーションが取れなさそうで、それが不気味さを更に際立たせ、思わず顔をしかめる。

「蕎麦屋が襲われたのはいつだっけ」
「先週の月曜だな。憂鬱な月曜日に、こいつらは張り切ってるのかねえ」
「で、みんな火曜に投稿された動画を四百万回も見てる、と」
「短い動画だから見やすいし、みんな暇なんだろ」
「先週の動画を、昼休みに何度も見てる人が言うと説得力があるね」
「コメントに最新の情報が書き込まれていないかチェックも兼ねてるんだっつうの。お前は情報に疎いから、教えてやろうと思って」
「強盗ヤギは一応知ってるよ。テレビのニュースでもちらっと見たから」

 ヤギマスクを被った強盗コンビは、『強盗ヤギ』と呼ばれ、最近メディアで騒がれている。 強盗ヤギが現れたのは、今回で四件目だ。バー、パン屋、カフェ、蕎麦屋、とチェーン店ではない比較的小さなお店ばかり襲われている。

 そのうち、一、三、四件目の事件で、人質になった客が撮影した動画が、動画投稿サイトにアップされている。警察やニュースでは、「危険なので撮影はやめて下さい」と訴えているが、最初に撮影された映像が話題になったからか、撮影する者が後を絶たない。貴重な体験をシェアしたいと思っているのかもしれないけど、犯人を逆上させて何かあったらどうするのだろう、とはらはらしてしまう。

 僕はそんな物騒な事件から目をそらしたくて、チャンネルを回す日々を送っていた。母と妹は「見てたのに」と口を尖らせるが、イケメンアイドルがテレビスタジオでスポーツのようなものをしている番組にすると文句が収まることに気付いたので、助かっている。

「じゃあ、落書きは知ってるか?」
「落書き?」と訊ね返すと、牧野が「ほら、最新情報を知らないじゃんか」と嬉しそうな声をあげた。「仕方ないな、よおく見てろよ」

 牧野が嬉しそうにスマートフォンの画面を指でなぞり、シークバーを動かす。動画が巻き戻り、再生された。

 画面には強盗ヤギが映し出され、銃とICレコーダーを構えた。『騒ぐと殺す』とICレコーダーから流れる。銃を持った強盗ヤギが移動し、店主にボディバッグを押し付けた。割烹着姿の老人が、機嫌を損ねないようになのか、丁寧にボディバッグを受け取っているのがなんとも不憫だ。

「ここだよ、ここ!」

 牧野が動画を一時停止させ、画面を指し示す。どこのことを言っているのかわからず、目を細めながら画面に顔を近づける。

「壁にほら、見えるだろ、この赤いやつだよ」

 凝視する。するとそこには赤い、何かの記号のようなものが描かれていた。×の上に○が描かれている。円の周りを囲むように、小さな文字が書かれているのもわかる。大量のアリが這っているように見えて、思わず眉をひそめる。

「これは、蕎麦屋にもともと描いてあったわけじゃないよね」
「ああ、強盗ヤギが残していったんだよ」

 そう言うと、牧野はいつの間にか用意していたノートを開いてこちらに向けていた。
 ノートには、○と×だけではなく、

『ndumznmwqendqmp』『vuyiqzffaomrq』『dazqmfezmmpxqel』『danqdfsqfemzmbbxq』

とアルファベットの羅列が書かれている。

「これって?」「書き起こしたんだ」「すごいね」「だろ?」

 すごいんだよ俺は、と牧野が謙遜することなく、胸を張る。その熱量をどうして学業に注がないのか、と喉まで出掛かる。そうすれば、英語の補習に呼び出されることも、テストの前に「必勝法を教えてくれよ」と僕に泣きついてくることもないだろうに。

「強盗ヤギたちは店員と客を黙らせて、現金を要求しながら、この小さな文字をちまちま書いたわけ? そんなに時間あったの?」
「いや、あっという間にできるそうだ。シールを貼って、その上からスプレーをするステンシルっていう描き方で、グラフィティアートじゃ有名な方法なんだと。時短だよ、時短」

「それでも、手間じゃないか」なんでわざわざ。アーティストのタグのつもりなのかな。強盗ヤギ、参上みたいな。
「この○と×には意味がありそうでな」

 牧野が言葉を止め、にやりと笑う。

「ゾディアックっていうアメリカの連続殺人犯が使ってたマークに似てるんだよ」

 牧野が再び、スマートフォンを素早く操作し、ゾディアック事件について扱われている記事サイトを表示した。

 記事曰く、自らをゾディアックと名乗った殺人犯は、六十から七十年代のアメリカで五人を殺したが、逮捕されずに未解決事件となっているらしい。

「でも、マークが微妙に違くない? ゾディアックは十字架の上に○を描いているように見える。角度が違うよ」

 僕が指摘をすると、牧野はむくれ、下唇をぬっと突き出した。

「細かいことはいいとしてさ、ゾディアックは、調子に乗ってマスコミに暗号文を送りつけていただろ? これもそうだと思うんだよな。劇場型っていう点では似ているだろ」
「劇場というか、個人店だけど」
「目立つ行動をしてるから、劇場型でいいんだっつうの。平は細かい」

 兄は細かい、と妹によく指摘されるので、そのフレーズには弱い。文句は飲み込む。

「細かいといえば、四つとも書かれてる内容が違うね」
「暗号だよ。ゾディアックと同じだ、挑発してるんだ」

 意地でもゾディアックに寄せたいらしい。まあいいけど、と思いつつ、日本の奇妙な強盗犯とアメリカ連続殺人犯に共通するものがあることは、確かに気になった。

「で、暗号の意味はなんなの?」
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